ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

ヒラメキ

2015-10-05 10:00:18 | 日記・エッセイ・コラム
人間にはヒラメキがある。
脳の不思議である。
今のところコンピュータにはないようだ。
とは言え、ヒラメキのようなものはある。
それは圧倒的な記憶容量と演算速度が演出している。
でも人間のヒラメキとは違う。
・・・・・
ヒラメキはどうして起こるのか。
はっきりとは分からない。
分かっているのは、
脳の中の記憶はただ蓄積されているだけではない、
相互にやり取りをしている、
ということだ。
意識してできることも少しはあるのだろうが、
その多くは無意識下で行われる。
それは眠っている間にさえ行われている。
記憶は無意識下で絶えず相互に接触しているのである。
その接触が刺激となり新たな局面を生む。
それが意識に現れる。
ヒラメキとはそういうものだろう。
となればさらに思う。
ヒラメキらしきものは絶えず起こっている筈である。
だが、そのほとんどは気付かれないまま消えている。
では現れるにはどんな条件が必要なのか。
研究に没頭すれば四六時中気に懸かるという。
寝ても覚めても、である。
しかし何事も煮詰まり過ぎると良くない。
時にはそこから離れたくなる。
その時ではないのか。
そこから離れる瞬間こそ、その時ではないのか。
覚束ない私の経験からではあるが、
そのように思う。
・・・・・
ヒラメキにとって大事なことがある。
脳の記憶である。
いろんな情報をできるだけ脳に記憶させなければならない。
それがヒラメキの元である。
コンピュータで検索すれば分かるからといって、
記憶を蔑ろにすればヒラメキは起こらない。
情報を脳に入れなければならないのである。
詰め込み教育は良くないと言われるが、
それはそういう面もあるが、
明らかに詰め込みも必要なのだ。
このこと留意しなければならない。
なるほどコンピュータの検索は便利である。
大いに利用すればいい。
それはそうだが、
そればかりではいけない。
情報を脳に取り込もう、
そして自分で考えよう。
コンピュータはあくまでも道具である。