花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

「ポルトガル旅行」(5)

2014年01月24日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅠ」ポルトガル・英国
≪初代国王の誕生の地「ギマランイス城」≫

昼食後、「ポルト」の北東45kmにあるギマランイスに向かった。初代のポルトガル国王「アフォンソ・エンリケス一世」が生まれた城「ギマランイス城」を見学するためだ。
町の入り口に「ここにポルトガル誕生す」と書いてあった。今は北部の静かな町だが、バスが止まったところにあった市役所は歴史を感じさせる建物だった。街中の古い教会も目立っていた。


「ギマランイス城」は廃墟になっていたが、往時を偲ぶことができた。
城の城壁の一部に王のレリーフが嵌め込まれていた。また傍に小さな教会が残されていて、その入り口に王が誕生した後、多分洗礼を受けただろうと思われる水盤が残っていた。



  

また、「ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会」はロマネスク様式とゴシック様式が混ざった古い教会で、その前には1340年にジブラルタル海峡の制海権を巡ってムーア軍と戦い勝った記念碑が造られていた。1342年に造られたという。
教会前の小さな広場を囲む古い家並みは、木組みでできた美しいものだった。

  

 

(ネットで調べた「ムーア人」とはー
ローマ時代に北西アフリカの住民(ベルベル人)をマウハリムと呼んだことに由来する。マウハリムはフェニキア人の言葉で「西国の人」を意味する[要出典]。
7世紀以降には北アフリカのイスラム化が進み、イベリア半島に定着したアラブ人やベルベル人は原住民からモロと呼ばれるようになる。次第にモロはアラブ、ベルベル、トルコを問わずイスラム教徒一般を指す呼称となり、レコンキスタ以降は再び北西アフリカの異教徒住民を指すようなる。)

さらにギマランイスから25km西北の町「プラガ」に行った。祈りの町といわれる「プラガ」のカテドラルに向かった。
ここは4世紀にムーア人に破壊された教会の跡地にアルフォンソ一世の両親が12世紀に建てた教会だという。

 


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