病理学教室で研究したころ
平成26年5月に病理学講座の元教授T先生の傘寿をお祝いする会が開かれました。病理の先生方と、病理で学位研究を行った臨床の先生方が集まりました。私も文字通り末席を汚すという程度でしたが、3年間病理でお世話になりました。
先生は大学定年退職後も市中病院(県内有数の)で病理診断医として活躍されました。温厚な先生で、学校の校長先生のような印象でした。「諸君は~」という言い方をされました。
研究テーマの関係で、助教授が当方を指導をするものと思い込んだらしく(そんな話はありません)、研究についてあまり厳しく言われずに過ごしました。
助教授のT先生は、皮肉を込めた人物評価が的確で、病理や臨床の歴代の教授の逸話は興味深いものでした。また女性の評価にも長けていて、病理標本の診かたよりも大事な?女性の診かたを教わりました。ご本人もかなりモテていたようです。
助手のC先生は、数学的手法による研究を担当していました。マニアックで下世話な趣味が私と共通していて、昔のテレビ番組の話や、B級アイドルの写真集の話をしていました。教授が来ると慌てて話題を変えました。
外科のS先生は、世慣れた兄貴という印象の先生でした。ある日大学病院の近くの病院から中心静脈カテーテル挿入の依頼があり、30分で仕事を済ませて戻りました。病院からの報酬3万円に家族からお礼の3万円ももらったそうで「俺は30分で6万円稼ぐ男だ」と豪語していました。
胸部外科のY先生は、強気の先生で、納入の遅れた業者を電話口でビシビシと叱っていました。研修をした病院の看護師さんたちとスキーに行った時に、ストックが看護師さんの足に刺さり、近くの病院(県内一の病院)に搬入されました。その病院の手術のやり方が気に入らなかったので、そのまま救急車で研修をした病院(他県)まで連れて行って、自分で手術したそうです。
呼吸器内科のE先生は、現在はその分野の権威になられました。大学院生の時は、研究熱心なあまり臨床を診る余裕がないのか、病棟から電話が来て、「え~、そんなになっちゃったの~」という声が聞こえてきました。バイオリンを弾かれ、さすが名門出身(医師一族で教授も輩出)は違うと思わせますが、宴会では隣の人の料理まで食べる方でした。
外科のF先生は、講習会で知り合った女性医師と結婚されました(F先生はイケメン)。付き合った当初は知らなかったそうですが、後で高名な病理の教授のお嬢さんだとわかりました。初めての論文をCancerに載せるという快挙も成し遂げ、そのまま病理研究者になられました(のちに教授に就任)。
臨床から病理に行くと、大学の剖検に病理医の助手として入ります。3年間で数10例の剖検を経験しました。印象に残っているのは、27歳女性の後腹膜腔・腹腔内出血(腎動脈線維筋性異形成の破裂)と、17歳女性のくも膜下出血(脳動静脈奇形の破裂)です。
1年間は剖検と生検診断のお手伝いだけでしたが、そのうちに助手のY先生に連続切片の作り方やコンピュータ入力などを、手取り足取り教えてもらって、地味な作業を続けました。その甲斐あって、まったくインパクトのない雑誌ですが、何とか論文2編を載せることができました。
学位授与式に行くと、たまたまその当時の学長はあのミスター半導体のN先生でした。有名なN先生から授与されて、ちょっと嬉しかったのを覚えています。