横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

来宮神社とトンネル

2010-01-27 08:01:06 | 近所
もう少し熱海の記事をひきずります。


熱海城からの眺望
ここの夜景は東洋のナポリと呼ばれたこともある。
最近は観光不況で廃業するホテルも多く、
その跡地に進出したリゾートマンションも入居者確保がままならないようだ。




午前中だけれど、熱海駅前から街や海岸に出る商店街もなんとなく寂しそう。

ここから熱海七湯の一つ、野中の湯のそばを通って来宮神社まで歩いた。




来宮神社は伊東線の来宮駅のそばにある。
古くより「来宮大明神」と称され、熱海の地主神として来宮の地に鎮座してきた。
祭神は 大己貴命(おおなむちのみこと)、五十猛命(いたけるのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)
大己貴命とは大国主命のこと。

熱海湾で網にかかった木の根を漁師があらためると神像のようであったので浜の近くに祀ったところ、
夢に五十猛命が現れ、その神託により現在地に遷祀したのだという。





五十猛命は木の神様である。
そのためか境内にはご神木の大楠があり国の天然記念物に指定されている。




いかにも古木の様相。
樹齢2000年以上で周囲24m、高さ26mぐらいあるらしい。




周囲を回ると1年寿命が伸びるという言い伝えもあるそうだ。




境内には第二大楠もあり、砂利の間には艶のある楠の実がたくさん落ちていた。




来宮神社から梅園のほうに向かうと途中にトンネルが見えた。丹那トンネルだ。




丹那トンネルは1918年に着工、1934年に完成した7804mのトンネルで、
子供のころ清水トンネルに次ぐ長さと教えられた。
煤煙の蒸気機関車で通り抜けるのは運転手も乗客も大変だったのではないだろうか。

このトンネルができる前は東海道線は今の御殿場線を経由していた。





かなりの難工事で67名の犠牲者を出し、坑門の真上に殉職碑がある。

また近くには犠牲者の鎮魂と工事の守り神として丹那神社が建立されている。




最新の画像もっと見る

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
丹那トンネル (ひらりん)
2010-01-27 11:20:14
丹那トンネルの名前が懐かしいです。
私が初めて両親に連れられて家族旅行に出かけたのが、こだまに乗って箱根熱海東京タワーでした。
そのとき、父に丹那トンネルは日本でいちばん長い(正確には2番なんですね)と教えられ、真っ暗な中をいつまでも出口が見えてこず、ちょっと怖かったです。
梅や寒桜が早くも咲き始めて熱海は暖かいのですね。
返信する
熱海 (ポージィ)
2010-01-27 11:40:09
熱海ほどの観光地も不況の波の影響がはっきり見てとれるのは
なんだか寂しいですね。昔ながらの観光地の形態を、発想の転換で
変えていけば盛り返せるのか、もはや温泉街の観光地はこのまま
衰退していくのか、地元の方たちも見極めが難しいでしょうね。
今はじっと我慢のしどころかしら。地主神様がお守りくださるといいですね。

その来宮神社は歴史のありそうな神社ですね。ご神木の大楠には圧倒されました。
樹齢2000年以上とは、弥生時代の頃からずっとずっとこの地にあり続けてきた
ということでしょうか。すごいことですね。どんな日本を見続けてきたのか…

丹那トンネル、恥ずかしながら何も知りませんでした。
この辺りを通るときは新幹線ばかりで通ったこともなさそうです。
長い年月と費用、大勢の殉職者のおかげを現代人も享受しているのですね。
東海道新幹線の方は新丹那トンネルなのですね。こちらは何度も通っていますが、
おーちゃんの記事に刺激されて検索してみて、初めて工事のことなど知りました。



返信する
ひらりん さん (おーちゃん)
2010-01-27 13:26:31
子供の時だと長く暗いトンネルは恐かったでしょうね。
新幹線で通ってもそうですから蒸気機関車の時は、
もっと時間もかかるし煤煙が入ってくるし大変だったに違いありません。
熱海や湯河原、伊豆はやはり多少暖かく、ミカンもいっぱいなっていました。
返信する
ポージィ さん (おーちゃん)
2010-01-27 13:36:41
熱海の旅館やホテルも泊る人が減っているようで、
おかげで私も安いプランで行けました。
いろいろ企業努力があり、市としても観光客を呼ぶための工夫をしています。
でも世の中の景気が変わらないとなかなか厳しいですね。
来宮神社の大楠は昔は7本ぐらいあったそうです。
150年ぐらい前に大網事件と言うのがあって、
訴訟費用を捻出するために切られてしまったそうです。
沼津などを訪れるために在来線に乗らないと、丹那トンネルを通ることもありませんね。
我々のころと違って最近の学校では話題にならないかもしれません。
むかし梅園の下は煤煙でした・・??
返信する
昔日の繁盛は? (sagano)
2010-01-27 15:33:52
熱海と言えば、温泉の中でも多分 かなりの人気でした。
家族旅行や会社の慰安旅行で賑わったんでしょうね。
旅行先にも流行や景気の状態が影響するのかも?
こうして、ゆっくり見て回るにはよかったですね。
楠の大木の根元の辺りは凄いものですね!
何周回られたでしょうか?
神様の名前の読み方は 難しいですが興味ありますけど、分からない方が多いです・・・

私も、学校の地理の時間に覚えた時「丹那トンネル」が一番だと思っていましたが・・・
独身時代 信州に行くには大阪から夜行列車に乗って
うっかり窓を閉め忘れたら 鼻の穴が真っ黒!でしたっけ・・・
返信する
丹那トンネル ()
2010-01-27 17:13:28
こんにちは~♪
丹那トンネルの名前、今はすっかり忘れられてしまったようですね。
同じように清水トンネルも関越トンネルに取って代わられてしまいましたね。
新幹線利用で、滅多に在来線に乗ることがなくなりました。

大観光地、熱海の衰退は淋しいですね。
忘年会、新年会は熱海と言う時代が懐かしいです。

来宮神社、行った事がありません。聞きしに勝る大楠ですね。
おーちゃんは何年生き延びることが出来そうですか~。
返信する
sagano さん (おーちゃん)
2010-01-27 17:15:57
昔の繁盛ぶりをこの目では見ていないので分かりませんが、
いろんな目的での観光客が多く賑わったことと聞いています。
熱海の場合は景気の問題もあるけれど、
もうひとつ脱皮しなければいけないのかもしれません。
大楠は何回回っても寿命が延びるのは1年だけだそうです。
トンネルは窓を閉めればいいのだけれど、
急に突入しますからみんな真っ黒になりましたね。
懐かしいです。

返信する
紅 さん (おーちゃん)
2010-01-27 17:23:08
こんばんは。
汽車の歌にトンネルも出てきますが、新幹線ではそんな風情を感じませんね。
いつか在来線で途中下車しながらの旅をやってみたいと思っています。
土曜日の午前中は仕事をして午後から熱海へ向い1泊の忘年会、新年会・・
というパターンも今は考えにくいですね。
社員気質も仕事が終わってからまで一緒にいたくないというふうに変わったようです。
大楠は何回回っても同じらしいので、1年寿命が延びました。
返信する
熱海 (ミンゴ)
2010-01-28 00:05:02
熱海に行かれたのですね^^
暖かそうですね!
サクラにウメ楽しませて頂きました。
大楠の凄い事!
御神木を見せて頂いただけでも1年長生きできそう~
熱海に新婚旅行へ行かれる人も多かったと聞いてます。

いい所ですね。
返信する
熱海・・・元気は今 (縄文人)
2010-01-28 08:12:10
   《熱海の夜》

恋の湯けむり消えるのも
 知っているのに燃えました
  こんな私の女でも
   夢見るのよあの人を
    熱海の夜

「熱海」と言えば昭和30年代は、東京の奥座敷
《夜のネオンもまばゆいばかり、不夜城の熱海》
と、もてはやされ沢山の観光客でにぎあった。

》最近は観光不況で廃業するホテルも多く、
その跡地に進出したリゾートマンションも入居者確保がままならないようだ

交通機関の発達により行動半径がものすごく遠くに伸びました。また泊り客も価値観が多様化して泊り+付加価値を求めるようになりました。
よくバスで熱海周辺を通ることがありますが、
何か元気が消えうせた・・・・・そんな感じを受けます。
返信する

コメントを投稿