横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

保土ヶ谷の坂3

2007-10-28 07:52:46 | 近所

保土ヶ谷の坂1
保土ヶ谷の坂2
2回に分けて見てきた12ヶ所の坂道は、どちらかというとJR保土ヶ谷駅に近いところにある。
今回は少し北側、相鉄線の両側の9ヶ所の坂道を見る。
西谷駅を降りて帷子川に沿って横浜方面に歩くと、田んぼの風景がある。




帷子川のミゾソバの花などを見ながら歩くと、川島小学校の近くで「りょうけ坂」に出た。
この坂のふもとと頂上の2軒(両家)が村の発展のために坂道を切り拓いたそうだ。


坂の上は畑や林があり方角を見失ったが、いくつかの団地を目当てに歩く。
西原団地の近くの水道道の延長に「みずのさかみち」があった。

水道道について 水道道を歩く (2006.4.4) で紹介したことの一部を抜粋する。
「横浜市の水道は道志川、相模湖、馬入川、酒匂川および相模川を水源として
日量955,700立方メートルが供給されているそうだ。
明治20年にイギリス人技師の力を得て、
津久井郡の相模川から横浜まで43kmの水道管を敷設する工事が完成した。
その後明治30年に取水口は道志川に変更され、後に相模湖も水源に追加された。

水道管が埋設されている上が水道道になっていて、
相模原市・大和市・町田市などを通って横浜市中区野毛のあたりまで続いている。」



上の写真に白っぽく水道管が見えて、近くの西谷浄水場につながっている。
西谷浄水場は大正4年に出来て、今も横浜市民の水道を供給している。
これは古い沈殿池だろうか。 


ここには水道記念館も併設されていて、
水の歴史や技術的なことを知ることができる。
庭には長く使われてきた機械や設備が展示されていて、
普段見ないものが興味深い。


浄水場から進んでいくと「水道道の坂」で上星川方面へ下がる。
左奥の山の斜面にマンションが見える。
長いエスカレータを利用するらしい。


相鉄線沿いに進む水道道から右へ入ると「仏向原坂」がある。
かなり長い坂道だが左右に緑が多い。


緑に誘われて脇の階段を上がる。
歩いている場所がわからなくなるが、ふいに杉山神社が見えた。
祭伸は五十猛命 (いたけるのみこと)だ。
実は保土ヶ谷の坂道を歩いていると、あちこちに杉山神社があった。
保土ヶ谷に5社、横浜には35社あるが、その他は川崎に3社、東京に6社あるのみだ。
なぜ一部地域に集中するのか分からないらしいが、
杉山神社考
が参考になる。


戻って相鉄線の向こうの国道16号を上星川駅に向かう。
駅前から斜面のマンションの西側を上がるのが、この「釜台つづら坂」だ。
延長163m高低差38mの階段はきつい。
 


上りきって進むと大池道路に出る。
その向こうに常盤台小学校があるが、この学校への階段・坂道がいくつもあった。
そのひとつが「なかよし坂」
3年前に当時4年生の子供たちが描いたそうだ。 


16号を横浜方面へ進み、横浜新道の手前を北に向かうと「レンガ坂」
むかし水道管を埋設するときにレンガの階段にしたそうだが、
今は踊り場のみに面影を残す。 


16号をさらに横浜方面へ進み、保土ヶ谷郵便局の辺りから上がっていくのが「峰坂」 


この道は八王子への唯一の交通路で、生糸や年貢米を馬の背にのせて往来した。


さらに横浜方面、西区に近いところ、宮田中学校へ上がる道が「宮田坂」だ。
子供たちも一苦労で小さい子は遅れ気味だ。


西区に入って浅間台小学校から墓地を通る坂道を下ると入り口の門標に諸悪莫作とある。
白楽天が道林禅師に参禅した時、仏法の大意を問うたのに対し道林は「諸悪莫作 衆善奉行」と答えた。
「悪いことをしてはいけない  善いことをしなさい・・
それぐらいなら三歳の童子でも言うでしょう。」
「三歳の童子も言い得るが 八十の老翁も実践することが難しい。」
白楽天は礼拝して帰ったそうだ。 


西区に入って進むと追分というところで八王子への街道と旧東海道が分かれる。
旧東海道を16号線へ向かう辺りは松原通商店街としてにぎわっている。



この商店街は魚や野菜が安くテレビでもときどき取り上げられる。
その日、売れた空き箱をどんどん庇屋根に放り上げるこの店も有名だ。


スタートの西谷を流れていた帷子川の下流。
このあたりに、あざらしの「タマちゃん」がいたのは何年前だろうか。
人が詰め掛けた堤防も静かなものだ。


保土ヶ谷の坂 完
3回にわたり長々とした記事を読んでいただいて、ありがとうございました。