読書日和

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ASEANの旗

2012-05-08 23:00:52 | ウェブ日記


ASEAN(東南アジア諸国連合)の旗。
こうしてみると、明らかに日本の「日の丸」に似ているのが分かると思います。
それは偶然似たのではなく、明確に日本へ向けたメッセージが込められているのです。
そこで今日はこの旗に込められたメッセージについて、紐解いてみます。
以下、「ねずさんの ひとりごと」 様より引用。



■ククリックド・プラモード(タイ、元首相)

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。

十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」

( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )



■ラグ・クリシュナン(インド、元大統領)

インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。
驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。

(昭和44年「日本経済新聞」)



■ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、
「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。



■ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)

要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。

 ・・・・・ 

私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。

それなのに、あなた方は自分らの子弟に
「 日本は犯罪を犯したのだ 」
「 日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ 」を教えている。

満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
あやまられた歴史は書き変えなければならない。

(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)



■朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)

「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。
『事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし』というのが、開戦時の心境であった。

それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争―この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、『聖なる戦争』であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

( 昭和42年10月 )



■H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」



■ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)

日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。

(中略)

インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。
これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。

日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。



■バ・モウ(ビルマ元首相 独立宣言より)・・ビルマは現在のミャンマー

約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器を使用せり。

 ・・・・・

ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。

ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。

ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり。

(一問に百答 日下公人 PHP研究所)



■モハマッド・ナチール (インドネシア元首相)

大東亜戦争というものは、本来ならば私たちインドネシア人が独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争とはそういう戦いだったんです。



■アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。

その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。

(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)


英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。
それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。

(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)



上記のコメントは太平洋戦争(大東亜戦争)についての各国の人達の発言です。
これを見れば明らかなように、この当時のアジアは白人によって支配されていました。
歴史の授業で「西欧列強」という言葉を習ったかと思います。
その西欧列強がインドやインドネシアなどのアジア各国を植民地とし、圧制、弾圧、搾取の限りを尽くしていたのです。
現在の「人類皆平等」という考えとはかけ離れた、「白人至上主義」が世界を支配していました。
そしてこの当時、アジアにおいて白人の支配に唯一対抗できたのが日本という国でした。
引用した発言の一番最初、タイの元首相の発言の赤字にした部分に注目してみてください。

今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。


このように言っています。
日本をお母さんに喩え、称えてくれています。
身を殺して仁をなした。。。まさにそのとおりで、日本というお母さんは戦いに敗れて倒れましたが、しかし西欧の植民地にされていたアジア各国は全て独立を果たすことが出来ました。
日本の戦いぶりが植民地にされていたアジアの人々の心に独立への火をつけたのです。

このASEANの旗は、日本へのメッセージ。
これは日本人全員が知っておくべきことなのではないかなと思います。

  

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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あたまかなやさんへ (はまかぜ)
2021-10-31 15:24:56
あたまかなやさんは多くのアジアの国々へ行かれているのですね。
どの国でも居心地が良いのは素晴らしいことですね
私もご先祖様たちに感謝しています。
日本人として生まれたことに誇りを持って行きたいと思います
Unknown (あたまかなや)
2021-10-29 18:27:27
つい先日、東アジアサミットのニュースをTVで見て、この旗が気になりGGったところ、ここにたどり着きました。仕事柄、多くのアジアの国々へ赴きましたが、日本人というだけでどの国でも居心地が良かったのは、こうしたご先祖様たちのおかげと常々感謝しています。学生や生徒たちには愛国心が芽生える教育をしてほしいものです。
Unknownさんへ (はまかぜ)
2016-09-10 19:42:50
デザインについて、何に由来しているか特にASEANから明言はしていないはずです。
私の場合はASEANの国々の日本への言葉、そしてデザインされたASEANの旗が日の丸をモチーフにしているように見えることから、このASEANの旗には日本へのメッセージが込められていると受け止めました。
Unknown (Unknown)
2016-09-03 21:49:02
ASEAN諸国が日本に感謝してるのはよくわかったけど、肝心なASEAN諸国連合旗デザインの由来は?
Unknown (Unknown)
2013-08-26 22:47:23
日本 Japan の国旗によく似ている 東南アジア諸国連合 ASEAN の旗
https://www.youtube.com/watch?v=Wo8OmYEkIvc
paxさんへ (はまかぜ)
2012-12-08 16:05:52
なるほど、お祖父様が軍医として南方に従軍していたのですか。
私の祖父も兵隊として太平洋戦争に行っていました。
私も存命中にもっと色々話を聞いておきたかったなと思います。
Unknownさんへ (はまかぜ)
2012-12-08 15:50:47
そうですね、戦後から最近まで誇りが失われていたようですが、どうやら状況は変わってきたようです。
この先の世代にはしっかりと誇りを持ってほしいと思います。
偶然にも (pax)
2012-12-08 15:18:10
本日12月8日にこちらを目にして、思わず涙が出ました。
万一、日本に悪意のあるASEANであれば、
このようなデザインにするはずがありませんものね。

アジアのため、黄色人種のため振りかぶった刀が
はからずも多くの人を傷つけた側面はあったかも
知れませんが、アジアはより多くのものを手に
入れたのだと確信をもてました。

祖父は軍医として南方に従軍し、帰国後も
多くを語りませんでしたが、存命中積極的に
話を聞いておけば良かったと思います。

ありがとうございました。
Unknown (Unknown)
2012-12-08 13:39:02
誇りある我が祖国
先人の偉業に敬意を表する

願わくば 子々孫々にその高き志が 引き継がれんことを
nogaさんへ (はまかぜ)
2012-05-10 12:15:05
>尊い犠牲者のことは、我が国では子供・若者にも教えられていない。
残念なことです。
靖国神社のことなど、しっかりと教えてあげてほしいと思います。
fallen soldiers (noga)
2012-05-09 23:25:57
わが父は、昭和17年にフィリピンで玉砕した。
旧大須賀町の忠霊殿の草刈りをしながら、「遺族会を通じての奉仕も、私の代で終わりだ。若者には、この作業は興味がない」と会員のМさんは言う。
戦死者への追悼は、我々の世代では祖先祭りになり変わっている。米国式の国家による永代追悼にはなっていない。
戦死者は、国が存続し発展するための貴重な犠牲者であるという考えはこの国にはないようである。
尊い犠牲者のことは、我が国では子供・若者にも教えられていない。

鎖国時代と同様に、排他的であることが、自国の独立の唯一基礎となっているのであろう。
我々はどこから来たか、何者であるか、どこに行くかの内容は語られることはない。
過去の出来事は素早く風化し、未来の内容は不透明に見えている。
ただ、目の前の現在だけが信じられ、刹那は永遠と考えられている。
この国には、この世界のグランド・デザイン、マスター・プランは考えられていない。
哲学がないから、新しい社会の建設努力はどこにも見当たらない。ただ、世の中の修復と繰り返しの連続である。

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族衰退の過程は見て取れる。その一例を以下に掲げる。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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