さて。
今回の福島原発絡みの“人災”によって、日本の原発に関係する会社や人が如何に危機管理能力に欠けていたか、が見事なまでに露呈しました。
そんな中でも、特に個人的に“異彩を放っていた”のが、いわゆる
原発の「安全神話」。
例えば、日本は工業用ロボットの製造に関しては世界一と言っても過言ではありません。
ところが今回の原発事故では、処理に当たらせたり、単純に撮影させる程度の事でさえ、「日本製ロボット」が全く存在していない事が判明しました。
ちなみに、
「たかが撮影くらいなら、ラジコン戦車に無線カメラ付けて突入させれば済むんじゃねえの?」
と、個人的には思ってますが。
マルイのラジコン戦車なんて、かなり出来が良いですよお。
ちょっとした段差なんか簡単に乗り越えていくし、超信地旋回なんかも楽々こなしますからね。
オマケにBB弾まで発射出来るし(^^;)
え~。
話しが逸れましたが、では、なぜ世界的にも“とびっきり優秀”とされる日本製ロボットが、原発関連では“存在”していないのか?
答え。
「日本の原発で、そんなモノを投入せざるを得ない様な事故が起こるはずがないから、必要性を感じなかった。」
もしくは
「『万が一に備えて』を考える事、語る事すら許されなかったので、準備する事すら想像していなかった」
てな感じだった様なんです。
話は又逸れますけど、昔、私の知り合いで車の保険に絶対に入らない人がいたのですけど、その理由が
「保険に入ったら、逆に事故を起こす気がするから」
でした。
そんなのは単なる思い込みであって根拠も何も無いのに、本人はそれを堅く信じていて、結局私が知る限りでは加入しませんでした。
そして、事故発生後から漏れ聞こえてくる原発関連の情報を色々と読んだり、有識者の話とかを聞いていると、原発関係者や東電の連中の発想には“それに近いもの”を感じてしまいました。
ま、いわゆる「言霊」と言いましょうか、この手のオカルトチックな話を信じている人ってのは、意外と多いんですけどね。
そういう「あやふやな思い込み」に理屈を付けたのが、「マーフィーの法則」とも言えますが。
んで!
「『事故が起こると考える事すらおこがましい』って考え、どっかで聞いた気がするなあ」
と風呂に入りながら考えていたら、ハタと思い当たりました!
いわゆる「自衛隊は“人殺し”の“悪の組織”」等と言って軍隊の存在を拒否したり、「話し合えば皆判ってくれる」とか、「地球市民」とか、「無抵抗主義」をさけぶ連中、すなわち日本のエセサヨク共と全く一緒の発想なんですね。
連中も何かと言うと
「外国が責めて来るワケがないから、自衛隊なんかいらない」
とか
「無抵抗でいれば、相手もそんなに非道な事はしないだろう」
とか
「もし侵略してきても、話し合うぞ!」
などと言う
「全く根拠のない、根拠を示すことの出来ない安全神話」
を、日々、迷惑なまでに振りかざしています。
しかし現実には、支那・露助は相変わらず頻繁に領海侵犯、領空侵犯をして挑発しまくり、東日本大震災の時には、尖閣諸島周辺に偽装戦艦が“勢揃い”していたけど、アメリカの空母がやってきたので逃げていった、と言われていますし、そもそも、同じ言語を喋る日本人同士でさえ「話し合って解決」するどころか、主義主張が違った場合、得てしてまともに“話し合う”事すら出来ません。
ましてやこれが言語の違う国同士ならば、尚更お互いの意思疎通が難しくなるのですから、連中が理想としている「話し合い」で解決出来るハズがありません。
又、他国が攻め入ってきた場合、攻め入られた国の民に対して、略奪、レイプ、殺人などが頻繁に行われているのは歴史が証明しています。
その類の犯罪を殆どしなかったのは、旧日本軍くらいじゃないかな?
なのに日本のエセサヨクは「“そういう事”を考える事すら危険」などと言って、「万が一」の為の備えの一つである自衛隊すら否定し、ひたすら
「人類皆兄弟、人は皆平等、話し合えば全て解決」
などという「しょーもない思想」にどっぷりとつかりまくっています。
いわば、東電以上に「危機管理能力が欠けている」ワケですが、つい数年前までの日本はそういう連中が“主流”だったんですよねえ。
今更ながら、コワイ話ですわ・・・。
そう考えると、原発絡みの「安全神話」に始まり、今回の“人災”とも言える原発事故ってのも、長い目で見れば「戦後教育のひずみによって生み出された産物」だった、とも言えるのかな。
まあ、現政権自体が「戦後偏見教育の賜」と言えますからねえ。
あの無責任さと責任転嫁も大概のモノですが、ある日突然、「警戒区域宣言」なんてのを政府が一方的に出し、
「警戒区域に立ち入ったものは逮捕する!」
なんてのは、モロ!旧ソ連のやり方ですよ!
「住民のためを思って」
ってのも、やっぱり共産国などが好んで使った「ごまかし」の言葉です。
実際は、自分達の保身の為、知られたく無い事を他国の人間から隠す為に、体よく隔離し、監視していただけなワケですが。
しかし、菅直人がどうして今更「滅んだ国」のマネをしたがるのか、私には全然理解出来ません。
よっぽど共産主義国家に憧れていたんだろうなあ・・・。
いや、アイツが憧れていたのはもっと単純な
「何もかも自分の思い通りになる独裁者」
だったのでしょう。
現実問題として、法律にない事、法律の手順を踏まずに独自判断で勝手にやっている事が、現状、あまりにも多すぎます!
しかも、民主党幹部やマスコミがその暴走を「見て見ぬフリ」をし続けている為、調子に載りまくった結果、被災者に罵倒されてしまう事態に陥った、と。
今の菅直人見ていると、コイツが成功したのか失敗したのかよく分かりませんな(^^;)
ただ、「首相を辞めたら、誰も相手にしなくなるだろう」と言う事だけは良く判りますが。
ま、独裁者の末路なんて、古今東西、殆ど似た様なモンですからね。
当人もそれを少しは理解しているからこそ、辞めないのでしょうけど、今や菅直人は「人間国難」と化してしまってますからねえ。
困ったもんだ・・・。
ついでに『リアルキチガイ』こと『ルーピー鳩山』がいつの間にかTwitterを辞めてたみたい。
流石身内から、人間的に問題有りと言われるだけの事があります。
何と言うか、もう自分でも何をしたら良いのか判らない状態になっていそうです。
しかし結局は「安全神話」を非難する反原発信者たちが「安全神話信者」たちと同じ発想で原発問題を論じている、という事には気づいていないでしょうね。何せ火力発電が燃料なしで動かせると思っている能天気信者もいるくらいですから。
菅直人もかなり情緒不安定になっていて、いきなり激昂したり、逆に泣き出したり、と確実に精神を止んでいる時の症状が現れつつあるようです。
更に、週明けからは小沢派による逆襲も始まるようですので、果たして連休後まで正気を保っていられることやら(笑)
いっその事完全発狂してくれれば、それはそれで手の打ちようがあるのに、ここに来てまで中途半端ぶりを発揮してくれて、国民に大迷惑を掛けまくってくれてます。
しかしルーピーと言い、菅といい、民主党もよくもまあ、あんな半端キチガイを首相にしようとしたものですな。
むしろ、そっちの方に驚きます。
菅とルーピーの最大の違いは「権力への固執」でしょう。
金持ちで、何不自由なく暮らしていけるルーピーは、そもそも他人の面倒を見る事には疎く、それ故権力欲も多少はあってもそれに固執することがなく、だからこそ、面倒くさくなったら「や~めた」と言って放り出してしまいました。
一方菅は、多少は金持ちではありますが、権力への固執が昔から半端では無かったようで、とにかく「お山の大将」でなければ気にくわなかったようです。
「コンプレックスの裏返し」とも言えますが、それが何のコンプレックスなのかは不明ですけどね(笑)
更に、回りに取り巻きをおいて悦に入るのを喜びとしていたようであり、そんな菅にとっては首相と言う地位は、自分の全ての欲望を満たしてくれる最高の位置と言えます。
ただし、もともと責任感を持っていない為、「権力には責任が伴う」事にまで思いが及ばず、結果、今の様な状況になってしまった、と言えます。
つまり菅直人と言う人物は、
「独裁者とはいえ、国民の面倒を見る義務がある事を全く考えてこなかったただのバカ」と、言うワケです。
そんなバカに権力持たせてしまった民主党と国民にも、多少は責任はあるんですけどね。
ただ、それでもここまで権力に執着する、ってのは皆予想外だったでしょうねえ。
「原発安全神話」と「エセサヨク思想」をくっつけるなんて、多分私くらいじゃないかな。
でも「言霊」とは書いてますが、結局の所連中のやってきた事といえば、「臭いものに蓋をする」事と、無言の圧力による言論弾圧でしたからね。
そして戦後、エセサヨクが最も利用して来た手段であり、それに大半の日本国民が騙され続けていました。
しかし悪い事ってのはやっぱり何時までも続かないもので、結局は自分達のやってきた事で、今や自分達が追い詰められてしまっています。
これは原発だけでなく、エセサヨクの主張もそうですね。
何しろ、ちょっと前までは「嫌韓」「在日米軍」「沖縄」「日の丸・君が代」なんて、他人との会話でうっかり喋る事も出来なかったのですから。
それを考えると、「多少は良い時代になったんじゃないかな?」と、個人的には思っています。
それと、火力発電にしても、風力発電にしても、安易に考えている人って結構いますねえ。
発電量よりも、建設コストやその後のメンテ、更には周辺住民への配慮とかが全く抜け落ちているのが、この手の自然エネルギーを推奨している連中の特徴ですが。
やっぱりこういう「変に歪んだ自然エネルギー信奉者」ってのも、戦後偏狭教育の賜じゃないかなあ、と。