山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

OH MY LOVE

2007-05-28 23:47:48 | 独り言
松岡農相がまさかの自殺。
安部首相の優柔不断と、内閣維持のためのヘタなかばい立てが彼を死に追いやった、そう言ったら言い過ぎだろうか?

やはりサムライは世に恥じない生き方をしなければならない。悪事に手を染めたら責任を取る、責任を取らせるというケジメをつけないと生きて行けない生き物なのである。政治資金を事務所費とやらの名目で私物化した脱税容疑はどうした?
何らの追求もしない税務当局も腰抜けと言わなくて何と言うのか?法律に基づいて税務当局としての使命を粛々と果たすべきではないのか?

いっそのこと税務当局も社会保険庁も、雁首揃えて腹を切って見せればすっきりするものを、、、、。


ZARDの坂井泉水さんが40才の若さで旅立ってしまった。
釣り旅に出るとき、ハイウェイに乗って最初に聴くのは決まってZARDのCDでした。澄みきった高音の爽やかな声に元気づけられたものでした。




『OH MY LOVE』がイッチャンすきでしたね。
 
♪♪ ほら加速度つけて あなたを好きになる 

Oh my love もう友達のエリアはみ出した

あなたといるときの 素直な自分が好き ♪♪


ガンと向き合いながら再起に賭けていたと言う。
絶望と希望がないまぜになったやるせない日々を過ごしていたのだろうか?

死、、、、、。

それは、ずっとずっと遙か彼方で、私たちが近づいて行くのを待っていてくれるものでは決してないんですよね。ある日突然、肩をたたかれて、、、、『次はあなたの番ですよ、明日ですからね!』と告げられる、そんな感じなんですね。

10年前、手がしびれ、口がゆがんで言葉がしゃべれなくなった私に都立病院の主治医は『脳梗塞です。次の発作が起きたときには、、、、』。まさに『旅立つ準備をして下さいね』と肩をたたかれた感じですね。

死に直面したとき、極く普通の人間はどんなふうになるのだろうか?
死ぬということは、とても怖いことでした。この世から消えてしまうということを受け入れられなくて、とてつもなく恐怖感に襲われたものでした。でも不思議なもので一週間も死と向き合っていると、死に対する覚悟ができてきて恐怖感も薄らいでくるものなんですね。そして最後に残るのは、この世に残してゆく最愛の家族への未練、こればかりは時間の経過と共に増幅してゆくもの。だから涙が止むことはないのです。明日がないと言うことの意味、それは今日もないということなんですね。今日という日が無意味なものに思えてしまうものなんですよね。
達観している人ならば今日一日を精一杯生きるということができるのでしょうが、私にはできませんでした。いわゆる絶望感というやつですかね、、、、。だから、明日がある、明日につながるということは実に素晴らしいことなんですよ。





命には、いつまでと言う約束がありません。
だから皆さん、、、、、、?







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消えた年金記録

2007-05-27 17:09:16 | 独り言
5000万件もの年金記録が消えちゃったんだってね。
日本国民の半数の記録が消えちゃったって、あまりにもレベル低くすぎて笑っちゃうよね。これって、国や自治体のやることなすこと信用ならんと言う典型だよね。

30年も前の領収証を持ってこいなんて、信じられないこと言ってるし。
安部首相なんて、申し出た者全員に年金を支給しろって言うんですかなんて開き直っちゃってるし、どうするつもりなんだろうね。

25年も前から年金の信頼性に疑問を抱いていた私は、『年金なんて掛け損になるから絶対に払っちゃいかん』と言い続けてきたわけで、社保庁の体たらくが露呈した今となっては、そら見たことかと大声出して言いたい感じですね。国なんかを信じてるより私的年金代わりにコツコツと収益性不動産なんかを運用してきたことが結局は正解だった。自助努力してきた皆さん良かったですね。

この問題、結局は収拾の着けようがなくて、またぞろ国民の血税が使い続けられることで決着でしょ。またまた国の借金が増えて、その分は我らの税負担が増やされてジャンジャン。


さて皆さん、この年金記録。
本当に職員の入力ミスで消えたんでしょうかねえ、、、、それとも、、、、消された?

年金官僚A『いやあ、人の金を使い放題使えるっちゅうのんは気分ええもんやのう』 年金官僚B『さいざんすねえ、入局以来30年、使い放題使い続けても使い切れまへんからねえ』『当たり前やろ、だから年金官僚はやめられんのじゃよ。これからもガンガン使ったるでえ。このゼニはワイらのものやからのうガッハッハッハッハ。』『でもA局長、年金積み立ても減ってきてるし、そうそう保険料も値上げできまへんし、どないしまひょ?』『B君、心配する必要はあらへんで。簡単なこっちゃ。積立金が減ってきたらどうする?、、、年金を払わんかったらええんじゃろ。頭を使え頭を。ワイらはアホな国民とはちゃうで、君も東大出ならもっと戦略家にならんと出世しまへんで』『でっ、A局長、どないしまひょ?』

『そうやB君、年金記録を適当に消してまえ!年金記録がなければ払いたくても払えんからのう。現場の職員たちのミスと言うことにすりゃワシら官僚の責任逃れもできるしな。』『でもA局長、そんなことしたら世の中大騒ぎになりまっせ』『B君、もっと太っ腹になりなはれ。今までに官僚が責任とって詰め腹切らされたことがありまっか?』『それはまあそうですが』『そやろ、なんちゅうたってこの国は役人天国やからのうガッハッハッハッハ』

『おまけに昨日は社会保険庁解体法案が強行採決じゃ。これで社会保険庁のデタラメぶりも雲散霧消する、願ったり叶ったりじゃのう。大体じゃのう、ワシらのような行いの良い者には天も味方するものなんじゃよ、ムッヒッヒッヒッヒ、、、』
『しっかしA局長、こんなにうまく事が運ぶとは、、、』『B君、ワシらは東大出じゃよ東大出。世の中なんぞチョロいものよ。国民はアホやし、政治家もアホやし、この国はワシら官僚の手の中にあるんじゃ。もっとプライドを持ちなさいプライドを』
『分かりましたA局長、ワテもA局長のような有能な戦略家になるように精進いたします。』『B君、これで後は政治家どもが適当に手を打ってくれるやろ。さあてと、ボチボチ柳橋にでも行こか?』『A局長、またあの娘でっか?すみにおけまへんなあ』『ガッハッハ、なんちゅうても年金はワシらの小遣いじゃからのう、やめられんはなあガッハッハッハ。』

今頃、社会保険庁の官僚たち、顔をゆがめてほくそ笑んでいるのでしょうか?

ちなみに私は25年間、年金の支払を拒否し続けています。
勿論、カミさんも息子も支払っておりません。こんな年金官僚に誰が自分の大切なお金を託せるものですか、ねえ皆さん。


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2007-05-19 23:54:06 | 山歩き.散歩
今日は事務所でひとり仕事でした。
時折、激しい雨と雷鳴が轟いて、、、、。
ふとこんな時、思い出すことがあるのです。

山では突然の雷雨は良くあることで、濡れ鼠状態は覚悟して山に入る訳ですね。
特に初めての山、単独山行の山中で遭遇する雷雨はとても惨めで、底知れぬ不安感に襲われるもの。だから、ザックは重くなっても必ず雨具とビバ-ク道具と非常食は携行しています。

雨にうたれながら張ったツェルトにもぐり込み、ずぶ濡れの雨具を脱いだ時の安堵感。薄い布一枚のツェルトでも、雨露をしのげることの有難さ。



寒さにふるえながらインスタントラ-メンをすする時、暖かいものを食べられることの有難さが心の底から湧き上がってきます。ウイスキ-もペットボトルの水も非常食のピ-ナッツも、みんな自分の命をつないでくれる貴重な存在、一滴たりとも一粒たりともおろそかにはできなくなるのです。食料が目の前にあることの幸せをしみじみと実感したりして、、、、、。

それが下界に下りるとどうでしょう。
暖かい家があり、水もお酒も食べ物も、そこにあることが当たり前になって有難さを感じることも薄れてしまいます。


10年ほど前、死を覚悟したことがあります。入院中は、家族やお世話になった方々に遺書を書いたりしたものですが、もし奇跡的にも生き続けることができたら残された人生をどのように生きようか、そんなことを考えたものでした。

運良く命を拾って退院した当時は、生きていることの有難さに感謝し、命を、自分の体を大切にしようと心に誓ったものでした。それが今ではどうでしょう?
自分への誓い、こんなにあやういものはありませんね。


老犬モモとの朝夕の散歩が私の日課になっています。
近くの公園にホ-ムレスの人が二人、支え合いながら暮らしています。
古本を集めてサンドペ-パ-で磨いて、向かいの古本屋に収めて生計を立てています。毎日必ず言葉を交わすのですが、二人ともとても好感のもてる方なんですよ。公園も、公園脇のトイレも、毎日二人が掃除していてピッカピカになっています。

こんな人たちが、なぜホ-ムレスになってしまったのだろうか?
いつも二人と言葉を交わしながら考えてしまいます。

いつの時代にも、いくつになっても、世の中から必要とされるスキルを持つことの大切さ。でも、たとえスキルがあってしっかり働いていたとしても、それだけでは不足です。
将来設計や浪費しないで貯蓄すること、大切な家庭を壊さないこと。事情は様々で計り知れないものがありますが、ホ-ムレスになってしまった人たちの多くに欠けていたことであるような気がしてなりません。

これは事業がうまく行かずに自己破産する方にも言えることなんですね。




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人生の成功者とは?

2007-05-15 23:54:17 | 川飯.B級グルメ
先日、またまた南会津の方から山菜のプレゼントをいただきました。
お贈り頂いた方のご好意と豊かな山の恵みに心から感謝して、山の風味をしみじみと味あわせていただきました。

山菜の王様です。タラの芽、そそられますなあ。



これも山菜の王様です。コシアブラ、美しい。美しすぎるぅ。欲しくてもなかなか手に入るものではありません。初めてのご対面です。



行者ニンニク、かぐわしきかな。これも今では入手困難な貴重品になってしまいました。



そして、我が家の食卓に乗りました。山菜の豊かな風味をいただく、これだけで人間は至上の幸せを感じることができるのですねえ。


蕗のような風味のシドキのおひたし、旨かねぇ。



そして、行者ニンニクのおひたし。
味と言い、香りと言い、これはもう絶品。初めて味わう行者ニンニクは美味しすぎて言葉がありませなんだ。



最後は、タラの芽とコシアブラの天ぷら。
タラの芽が美味しいのは勿論ですが、初めて味あうコシアブラの深い味わいにはもう絶句。生きてて良かったぁ、これが食べたかったんだよなあコシアブラちゃ~ん。



田舎育ちの私にとっては山菜が何よりのご馳走、こんな幸せはありません。
しかも、憧れのコシアブラと行者ニンニクとは初のご対面。
こんなに美味しかったとは、もう感激感動感涙ものでありました。
季節の山菜をこうして味わえる、こんな豊かさが他にあるでしょうか?

でも、でもね、食べるのも勿論幸せなんですがね、、、、。
豊かな自然に抱かれた山村に住み、深い山に分け入って瑞々しい山菜を自らの手で摘み取り、そして食卓にのせて味わう。こんな生き方を淡々と当たり前のようになさっている人たちは、実は日本一豊かな人生なのかもしれませんね。


私は最近、自問自答しています。
人生の成功者とは、どんな人のことを言うのだろうか?
豊かな人生とは、どんな人生を言うのだろうか?

社会的地位を得て満たされる人、会社の規模を大きくして成功の喜びを感じる人、巨万の冨を得て幸せを感じる人、どれもみな成功の形であることは間違いありませんし、成功者として認めたいと思います。

でも私はちょっと違和感を感じてしまいます。他と比較して優れている、そう言う満足感ではなくて、最後はあくまでも自分の心の豊かさを実感して生きたいから。

困らない程度のお金があって
気の合う友がいて
自分のために使える時間がたっぷりあって
本当にやりたいことがあって
そのやりたいことに没頭できること。

これが私なりの答えです。

このためにこそ、仕事に賭けてきたのだろうと思います。
もちろん仕事は大好きだけど、忙しい忙しいと言いながら人生を終わってしまうことだけは絶対にしたくないと思います。
自分を納得させることができないから。

40才の頃から同じようなことを考えて、50才で実現させようと決心したのに、未だにその夢は叶っていません。それどころか忙しくなるばかりです。このままではいかん。自分の生き方に反するから。納得できないから。

今年こそ、自分の生き方、豊かな人生を実現する道筋を再考する年にしようと思います。








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夢追いびと

2007-05-12 17:14:51 | フライフィッシング
アメリカに住む懐かしい釣友から嬉しいメ-ルが届いた。何年振りであろうか?
しかも、でっかいレインボ-を釣り上げている写真が添付されていた。





彼は以前にも一度このブログに登場している夢追いびと三人衆のひとりである。
国立農工大学を卒業した彼は、カウボ-イになる夢を抱いてアメリカに渡った。
大学卒業前にアメリカの大学院の教授に片っ端からメ-ルを送りつけ、どうしても大学院で酪農を学びたいという思いを訴え続けた。

その熱い思いが某大学院の教授に伝わり、晴れて大学院生として3年間をアメリカの大学院で過ごした。大学院修了後は牧場のカウボ-イとしての生活を送っていた。

大学院時代とカウボ-イの修行時代の数年間は大好きなフライフィッシングを封印していたというが、ようやくロッドを振る余裕ができてきたのだろうか?アメリカ西部の川でFFを満喫しているようである。

思えば叶う。諦めずに行動に変える努力を続けて行けば必ず夢は叶う。
彼は、それを証明した者の一人である。

アメリカ西部の川で巨大なレインボ-を釣り上げた彼の笑顔が誇らしげに見える。
いずれ彼と二人、ロッドを担いでイエロ-スト-ンを釣り歩きたいものである。
20才も年の違う友であるが、釣友という関係はそんな年の差なんて超越してしまうのである。これからはメル友の関係がまた始まる。嬉しいなあ。

今度は目の青い嫁さんを見つけ、アメリカに根を下ろして暮らす夢をぜひ叶えて欲しいと願っている。

頑張れサトシ!
君の勇気と行動力にエ-ルを送りたい。







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千曲川カヌ-ひとり旅

2007-05-05 23:41:17 | カヌ-ツ-リング
川の流れに漂いたくて、千曲川へカヌ-の旅に出ました。
この大河を下る旅は、もう18年間も続けているカヌ-の旅です。今回はいつもの半分の距離、小牧橋から新潟県との県境、西大滝までの25キロを一人でのんびり下ろうと思います。暖かい日で良かったな。



フォ-ルディングカヌ-を組み立てて、さあ旅の始まりです。
ゆるやかな流れの中にも何カ所かはこんな気持ちよい瀬が出現します。瀬のど真ん中に突入し、三角波をしっかりとらえてパドリングすれば沈することはありません。キャッホッホ-!心の中で叫んでしまいます。



快適な瀬を抜けると、またゆるやかな流れが、、、、。水鳥も気持ちよさそうにス-イスイ。人を見ても全然気にしていないようですねえ。



千曲川には幾つもの支流が流れ込んでいます。この25キロの区間でも左岸から9本、右岸から4本の支流が。今回は支流の出合いに上陸してロッドを振ろうと決めていたのです。堰堤のないこの溪を選んだのは大物と出会いたいから。



溪を登って行くと、すぐに林間の素晴らしい溪相が出迎えてくれます。多分、今日も釣り人は誰ひとり入っていないでしょう。千曲の釣り人は、本流で鯉と鱒を狙います。地元の人たちは本流で45センチものバカでかいイワナ狙い、だから支流には見向きもしないわけなんですね。



やはり今回も足跡ひとつ見あたりません。いい流れなのにねえ、、、、、。でも底石はちょっと茶色がかっていてすべりやすいから慎重に。





出ました!でもちっちゃいなあ、22センチ程度のオチビちゃんでした。



千曲の支流はどれもみな太い流れで、とても沢と呼べるような流れではありません。私のホ-ムの丹沢の沢とは流れのパワ-が全然ちがうなあ。



流れのたるみにフライを落とすと、、、、、流れの底から、ふわぁ~っとイワナが浮き上がって、うわぁデカっ、、、。すぅ~っと、流れるフライを吸い込むような感じ。ヤバっ、どうしよう。反射的に合わせを入れるとガッツンと戦車のような重量感が、、、。イワナは流れの底にもぐって定位してしまい、ロッドをあおろうが何をしようがウンともスンとも動かない。それでもロッドをあおり続けていると業を煮やしたのかそのイワナは一気に流れを下り始めて、、、、ググググ-----ッ、、、プッツ~ン、ポワワワ~~ン。その反動で私はよろけて尻餅をつきラインはむなしくダラ~ん。堰堤のない溪を選んで正解でしたね。本流差しの大物、やっぱいるんだよなあ。



緊張感が解けて足がちょっとふるえておりました。大物見~ちゃった、今日はもういいや、帰ろうっと。完敗だったけと良い溪を見つけちゃったぜい。また来るからね。





溪畔にはウルイやウドやセリなどの山菜がわんさか。夏はここでキャンプもいいかな?





溪からの帰り道を歩いていると山菜採りに行くおじちゃんに逢いました。この溪の話を聞くと、やはり地元の人は殆ど入らないとのこと。でもね、最近は熊が出没するのだそうです。あゝ、もうひとりでは入れないよう、グスン。でも来ちゃうんだもんね~だ。



本流に戻って艇を漕ぎ出し、流れに身を任せて漂いましょう。この浮遊感がたまらないのです。がっ、喉乾いちゃったな~、そろそろビ-ルか~?11時だもんね。湯滝橋のカヌ-ポ-トに上陸して一杯やりましょうかね。



カヌ-ポ-トのすぐ上に湯滝温泉があるのです。



ここでいつもの赤米餃子と生ビ-ル、あゝ生き返るう!



この障子の妖しい雰囲気もなかなかでしょ?



ちょっと昼寝して。
さあ、午後の部はこのカヌ-ポ-トから漕ぎ出しましょう。しかし、連休だと言うのに今日は一艇のカヌ-とも出会ってないなあ。どうしてなんだろう?



パドリングの手を休めて、ほろ酔い加減で流れに身を任せて漂う感じ。これなんですよねカヌ-の魅力は。瀬を漕ぎ下る爽快感も勿論ひゅうひゅう、なんですけれどね。



石ころの河原でちょっと休憩です。この艇とのつきあいも、もう18年かな?長いつきあいになりました。川旅の魅力を教えてくれたのもこの艇でした。もう私の体の一部のような存在なんですよ。キャンプをしながらの長旅のときは、後ろのデッキにキャンプ道具を積んで、艇内にも沢山の荷物が積み込めるのです。



穏やかな川旅も終着点に近づいてきてしまいました。あゝもう旅が終わってしまう。

♪夢のような旅だった あすは君も別の町へ 僕も別の町へ
 こんなつらい旅なんて もう嫌だ 旅を終ろ うちへ帰えろう♪ 
 北海道のユ-スで歌った歌の断片をふと思い出してしまいました。



あの沢の流れ込みの河原に上陸です。



ここが今日の旅の終着点。君のお陰で良い旅になったよ、アリガトネ。



カヌ-を解体してザックに収納します。





さあ、ここから列車に乗って車を取りに行きましょう。
待ち時間がたくさんあるので一駅のんびりと歩くことにしました。この飯山線は千曲川にそって国道と寄り添うように走っています。



線路の上を歩いたり田んぼの畦道を歩いたり、、、、。一輌だけのディ-ゼルカ-、こんなのどかな風景がまだ残っているのですねえ。





この列車にゆられて、学生時代に体験した金欠ひとり旅の記憶が蘇ってしまいます。


車でカヌ-をピックアップして温泉に直行する途中に、、、飯山の菜の花畑。
ロマンチック~!なんかドラマのような風景ではありませんか?二人の間にぽつんともうひとり見えません、、、?こんな幸せそうな情景、ずっと続きますように。なんか、ほんわかして、いいなあ。





こんな私はロマンチックよりもビ-ルの方がよかですね、至って即物的なもので、ハイ。今回も最後の落ち着き場所は『もみじ荘』なんですね。この温泉はカヌ-の旅の最後は必ず立ち寄る所で、理由はお蕎麦が美味しいこと、これに尽きるのです。湯に浸かって今日の疲れを癒したら、やっぱビ-ルでしょ。



ビ-ルをお代わりして、肩の力がふっと抜けたら最後は『手打ちそば』ですよね。
そして3時間のうたた寝、ぼくの旅はホンナコツ、ワンパタ-ンですのう。



愛艇との年に一度の川旅、あゝ大満足の一日となりました。



愛艇と千曲の流れ、そしてまだ見ぬ大岩魚、ありがとうね!

長すぎるレポ、最後まで見て頂きましてありがとうございました。



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チェ.ゲバラの足跡を訪ねる旅

2007-05-02 23:38:08 | 独り言
親しくさせていただいているI社長をお訪ねした。
その席で嬉しいおみやげを頂いた。3ペソの紙幣とラム酒である。3ペソの紙幣の表にはチェ.ゲバラの肖像画が印刷され、人民解放のための戦闘風景が裏に記されている



I社長は4月後半の2週間、チェ.ゲバラの祖国キュ-バを中心にいくつかの南米諸国を訪ねる旅をされたそうである。チェ.ゲバラは医師であり、キュ-バのみならず南米諸国の人民解放のために戦った伝説の革命家であり闘士であった。チェ.ゲバラを訪ねる旅、そんな想いを携えた旅をしてみたいと心から想う。

学生運動に少しでも関わったことのある者にも直接間接に影響を与えたカリスマ的存在でもある。私と同年配のI社長は、チェ.ゲバラの祖国、ゲバラが活動した国々、そしてゲバラやカストロと親交のあったヘミングウェイが晩年を過ごした地を訪ね歩いたと言う。このおみやげを頂いて、忘れかけていたチェ.ゲバラの存在と、学生時代の記憶が一気に蘇ってきた。



Havana Clubのロックを口に含んでみた。強いがまろやかで深みのある味がした。呑むほどに心地よい気だるさに包まれる。
あのゲバラも、このラム酒を酌み交わしながらカストロたちと理想を語り合ったのだろうか。ヘミングウェイと遙か遠い夢を語りあったのだろうか。戦闘に疲れた夜にひとり、このラム酒に癒されたのであろうか。チェ.ゲバラは39才でその生涯を閉じた。そして伝説の人となった。

高校時代の夏休み、私の友人は新撰組の足跡を辿る旅に出た。調布から京へ、そして函館まで。会津の地へ白虎隊を訪ねる旅に出た友もいた。

ゲバラは理想を貫き、その戦いに命を賭けた。新撰組も会津藩士も義を重んじ義に命を賭けた。だからこそ伝説の人となったのだろうか?
命を賭ける、この腹の座り方が私たちが関わった学生運動とは明らかに違う。

ただ、時代は何故か途中から新撰組や会津藩の進む道と逆の方へ流れてしまった。
義を重んじる彼らの生き方はあれで良かったのかも知れない。最後まで筋をとおした。

私たちにも、曲げてはならないものがある。信念を貫く勇気と覚悟が必要なことがある。但し、時代の流れを読み誤ってはならない。

早く、時代の変化に関わりなく生きられる本物の林住期に身を置きたいものである。そんなことをI社長と語り合った。




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