先日、またまた南会津の方から山菜のプレゼントをいただきました。
お贈り頂いた方のご好意と豊かな山の恵みに心から感謝して、山の風味をしみじみと味あわせていただきました。
山菜の王様です。タラの芽、そそられますなあ。
これも山菜の王様です。コシアブラ、美しい。美しすぎるぅ。欲しくてもなかなか手に入るものではありません。初めてのご対面です。
行者ニンニク、かぐわしきかな。これも今では入手困難な貴重品になってしまいました。
そして、我が家の食卓に乗りました。山菜の豊かな風味をいただく、これだけで人間は至上の幸せを感じることができるのですねえ。
蕗のような風味のシドキのおひたし、旨かねぇ。
そして、行者ニンニクのおひたし。
味と言い、香りと言い、これはもう絶品。初めて味わう行者ニンニクは美味しすぎて言葉がありませなんだ。
最後は、タラの芽とコシアブラの天ぷら。
タラの芽が美味しいのは勿論ですが、初めて味あうコシアブラの深い味わいにはもう絶句。生きてて良かったぁ、これが食べたかったんだよなあコシアブラちゃ~ん。
田舎育ちの私にとっては山菜が何よりのご馳走、こんな幸せはありません。
しかも、憧れのコシアブラと行者ニンニクとは初のご対面。
こんなに美味しかったとは、もう感激感動感涙ものでありました。
季節の山菜をこうして味わえる、こんな豊かさが他にあるでしょうか?
でも、でもね、食べるのも勿論幸せなんですがね、、、、。
豊かな自然に抱かれた山村に住み、深い山に分け入って瑞々しい山菜を自らの手で摘み取り、そして食卓にのせて味わう。こんな生き方を淡々と当たり前のようになさっている人たちは、実は日本一豊かな人生なのかもしれませんね。
私は最近、自問自答しています。
人生の成功者とは、どんな人のことを言うのだろうか?
豊かな人生とは、どんな人生を言うのだろうか?
社会的地位を得て満たされる人、会社の規模を大きくして成功の喜びを感じる人、巨万の冨を得て幸せを感じる人、どれもみな成功の形であることは間違いありませんし、成功者として認めたいと思います。
でも私はちょっと違和感を感じてしまいます。他と比較して優れている、そう言う満足感ではなくて、最後はあくまでも自分の心の豊かさを実感して生きたいから。
困らない程度のお金があって
気の合う友がいて
自分のために使える時間がたっぷりあって
本当にやりたいことがあって
そのやりたいことに没頭できること。
これが私なりの答えです。
このためにこそ、仕事に賭けてきたのだろうと思います。
もちろん仕事は大好きだけど、忙しい忙しいと言いながら人生を終わってしまうことだけは絶対にしたくないと思います。
自分を納得させることができないから。
40才の頃から同じようなことを考えて、50才で実現させようと決心したのに、未だにその夢は叶っていません。それどころか忙しくなるばかりです。このままではいかん。自分の生き方に反するから。納得できないから。
今年こそ、自分の生き方、豊かな人生を実現する道筋を再考する年にしようと思います。
お贈り頂いた方のご好意と豊かな山の恵みに心から感謝して、山の風味をしみじみと味あわせていただきました。
山菜の王様です。タラの芽、そそられますなあ。
これも山菜の王様です。コシアブラ、美しい。美しすぎるぅ。欲しくてもなかなか手に入るものではありません。初めてのご対面です。
行者ニンニク、かぐわしきかな。これも今では入手困難な貴重品になってしまいました。
そして、我が家の食卓に乗りました。山菜の豊かな風味をいただく、これだけで人間は至上の幸せを感じることができるのですねえ。
蕗のような風味のシドキのおひたし、旨かねぇ。
そして、行者ニンニクのおひたし。
味と言い、香りと言い、これはもう絶品。初めて味わう行者ニンニクは美味しすぎて言葉がありませなんだ。
最後は、タラの芽とコシアブラの天ぷら。
タラの芽が美味しいのは勿論ですが、初めて味あうコシアブラの深い味わいにはもう絶句。生きてて良かったぁ、これが食べたかったんだよなあコシアブラちゃ~ん。
田舎育ちの私にとっては山菜が何よりのご馳走、こんな幸せはありません。
しかも、憧れのコシアブラと行者ニンニクとは初のご対面。
こんなに美味しかったとは、もう感激感動感涙ものでありました。
季節の山菜をこうして味わえる、こんな豊かさが他にあるでしょうか?
でも、でもね、食べるのも勿論幸せなんですがね、、、、。
豊かな自然に抱かれた山村に住み、深い山に分け入って瑞々しい山菜を自らの手で摘み取り、そして食卓にのせて味わう。こんな生き方を淡々と当たり前のようになさっている人たちは、実は日本一豊かな人生なのかもしれませんね。
私は最近、自問自答しています。
人生の成功者とは、どんな人のことを言うのだろうか?
豊かな人生とは、どんな人生を言うのだろうか?
社会的地位を得て満たされる人、会社の規模を大きくして成功の喜びを感じる人、巨万の冨を得て幸せを感じる人、どれもみな成功の形であることは間違いありませんし、成功者として認めたいと思います。
でも私はちょっと違和感を感じてしまいます。他と比較して優れている、そう言う満足感ではなくて、最後はあくまでも自分の心の豊かさを実感して生きたいから。
困らない程度のお金があって
気の合う友がいて
自分のために使える時間がたっぷりあって
本当にやりたいことがあって
そのやりたいことに没頭できること。
これが私なりの答えです。
このためにこそ、仕事に賭けてきたのだろうと思います。
もちろん仕事は大好きだけど、忙しい忙しいと言いながら人生を終わってしまうことだけは絶対にしたくないと思います。
自分を納得させることができないから。
40才の頃から同じようなことを考えて、50才で実現させようと決心したのに、未だにその夢は叶っていません。それどころか忙しくなるばかりです。このままではいかん。自分の生き方に反するから。納得できないから。
今年こそ、自分の生き方、豊かな人生を実現する道筋を再考する年にしようと思います。