山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

愛 信頼 尊敬

2006-11-26 23:08:22 | 山歩き.散歩
数年前、タイガ-ウッズと戸張捷のト-クショ-を見た。
ト-ナメントが終わった翌朝、某ホテルにトップ企業の社長さん達を招いて朝食を取りながらのト-クショ-だったと記憶している。

『タイガ-、君が一番大切にしている言葉を聞かせてくれないかな?』『ああ、いいとも。愛、信頼、尊敬!僕は父からこのことを教えられたんだ』『じゃあ、君はお父さんに対してもこの気持ちを持っているってことなんだね?』『もちろんさ、僕の生き方は殆ど全て父から影響を受けたと言ってもいいくらいだからね』『一つでいいからエピソ-ドを話してもらえるかな?』『父はフットボ-ルが何よりも好きなんだ。その日もテレビにかじりついててね。でも僕はどうしても父と話がしたかったんだ。(お父さん、話があるんだけど)(どうした、大事な話しかね?)(あゝ、とても大事な話しなんだ)(そうか、じゃあじっくり聞こうじゃないか)。そう言って大好きなフットボ-ルのテレビを止めて、僕の方に向き直ってじっくり話を聞いてくれたんだ。僕の父はどんな時でも必ずそうしてくれたんだ』

つまりタイガ-のお父さんは、タイガ-が子供の頃から変わらぬ姿勢でタイガ-と接していたという。タイガ-を対等の男として認め、タイガ-を一番大切な人として接し、タイガ-の生き方や考え方に理解を示し、タイガ-の問いかけには何をおいても最優先して一緒に考え、アドバイスを与えてくれたと言う。こうしてお互いに愛し、信頼し、尊敬し合う絆を培ったのだとか、、、。

『私は子育てを間違えた。私の息子もいま同じ過ちを犯している。せめて孫に対してはタイガ-のお父上の様に接していきたいと思った』。これが招かれた社長さん達の異口同音の言葉であった。仕事は確かにおもしろい。男の本懐でもある。しかし、仕事ばかりに軸足を置きすぎたためにもっと大切にすべきものを置き忘れていたということだろうか。



60年も前のこと。電気のエンジニアだった父は、私が生まれる前、突然、今では一流と言われる会社をやめ母を連れて自分のふる里へ帰ったのだと言う。父は、炭焼き、木こり、竹細工、キュウリの栽培、川漁師などの仕事をしながら生活の糧を得ていた。山の仕事も、川の仕事も、仕事と遊びが同化していたようにうに見えた。貧しかったが、父と母はあの生活を心から楽しんでいたように見えた。いつも一緒に山や川に行っては山菜や茸採り、魚の取り方、山川での料理やサバイバルを教えてもらった。

そして、私が中学生に上がる頃、またまた突然に転職し建設業協会の事務局長に就任する。本業のかたわら、建設業者を相手にもぐりの税理士稼業にいそしみ『税理士はいいぞ!』などと囁きながら私を洗脳していたのかもしれない。こうして見てくると、父の山川遊びも、突然の転職も私に対する深慮遠謀があったのかと思えてならないのだ。

金曜日、釣友から電話。『明日、どっか行こうぜ』『悪い、明日は駄目なんだ。』『何で』『一人でふる里の山を歩きたいんだ』。ふる里の山『石砂山(いしざれさん)』は、若き日の父と母の想い出に浸る特別の山である。朝8時、生まれ育った集落から父と母の山に向かう。



朝靄に煙る道をゆっくりゆっくり道草しながら歩いてゆこう。サクッ、サクッと枯れ葉を踏みしめながら、、、。



20分ほど進むと庚申供養塔が佇む。裏には三猿が刻まれ『お互いに醜いことは見ない、悪いことは言わない、聞きにくいことは聞かない』。集落の掟の一つであり、これを固く誓い合い守り合ったと父から聞かされた。いつものように一礼してお酒を供えた。



赤く染まったもみじも、いつも変わらずこの場所に佇んでいる。変わらないから懐かしいんだよね。



ナラの黄葉のトンネル。もう少し季節が進むと道はドングリで覆い尽されて、リスや鹿の冬眠の前のごちそうを振る舞ってくれるのだ。



木々の隙間のカンバスから雲海に浮かぶ紅葉が、、、。



最後の登りを踏みしめる。1時間の行程が道草してたから2時間かかってしまった。樹林帯はナラからクヌギにかわる。



いつの間にか靄も晴れて、富士の頂きがくっきり、、、。



石砂山の頂きに辿り着くと既に先客が。話かけると隣の集落の方だとかで私の父や母のことも良く知っているそうだ。74才の大工さんで蛭ケ岳山荘などいくつもの山小屋も手がけたんだとか。



持参したおでんとお酒の熱燗をお裾分けして、遠く連なる丹沢山塊を眺めながら昔話を聞かせて頂いた。



お酒のあとも昼食を取りながら話し込んでいると、小学生の兄弟だろうか。お父さんと一緒にやってきた。岐阜蝶の季節以外に、ここで何人もの人と会うのは珍しいことである。コッヘルでインスタントラ-メンをつくっていると珍しそうに見つめている。きっと今度はコッヘルでラ-メン作ろうとお父さんにねだるんだろうな。



叔父さんに挨拶して、一足先に山を降りる。来年もまた『春の女神、岐阜蝶』の舞う季節に訪れよう。(今年4月に会えた春の女神)



帰り道、いつもここで『ふるさと』を口ずさむ。なぜか分からないが必ずここで、、、。



鉄塔から北の山並みを望む。陣馬の山並み。あの頃、この鉄塔の下で必ず父と母と一緒におにぎりを食べたものだ。



鉄塔の下でコ-ヒ-を沸かし、たばこを一服して帰路につく。振り返ると『また、おいで』。もみじの辺りから父と母の呼びかける声が聞こえた様な気がした。





午後4時、釣友との約束の場所で落ち合う。『いやしの湯』で冷えた体もほっこり。今日の山歩(さんぽ)のことや来シ-ズンの溪の話をしながら、いつしか心地よく体が揺らめいてゆく。



ふる里の山、また来るね。





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時間の感じ方

2006-11-18 23:23:11 | 川飯.B級グルメ
この一週間は実に楽しかった。
先週の土曜日から、ほぼ毎日夜11時の帰宅。自由業というものは『クライアントの自由になる仕事』と自覚している。

4軒目の分院を開設したい。どんなコンセプトでいこうか?レイアウトは?メインタ-ゲットは?スタ-ビジネスは何にしようか?スタッフの布陣は?夢を語り、イメ-ジし、それを形にしてゆく。夢を共有する時間は実に楽しい。

医療法人も成長軌道に乗って久しい。次は第二の夢であるビルを建てたい。
ロケ-ションはあの場所に限定。デザインはどんな感じにしようか?デザイナ-は誰にお願いしようか?テナントはどんな業種を想定しようか?そうだ、ロケハンに行こう。成功の証としての第二の夢を共有し、語り合う時間もまた楽しいものだ。

院長も50代後半になった。医療法人も理想の体制を整えたし後継者もできた。
そろそろ第二の人生、自分の生き方をじっくり考えたい。お互いのこれからの生き方を模索し、深夜まで語り合った。語り合っているうちに、やりたいこと、叶えたい夢が次から次へと湧いてきてワクワクした。

こんな一週間を過ごしながら、ふっと気づいたことがある。
『楽しい時って、時間が長く感じるものなんだな』
そう言えば、仕事のあとカミさんと飲みながら語り合う2時間は、たっぷり2時間の時を感じる。渓流で過ごす一日も、ゆるやかに流れる時間をしっかり実感することができる。夢を語り共有していたこの一週間も、楽しくてとても長い時間を感じながら過ごしたような気がする。なせだろう?

『仕事が充実していると、時間はあっという間に過ぎる』。良く聞く話である。
本当にそうなんだろうか?仕事に追われているとき、分刻みで動いているとき、時間はあっという間に過ぎ去る。一日がとても短く感じる。本当に充実しているからなんだろうか?

思えば、子供の頃の一日はとても長かったように思う。楽しいことばかりしてたから、ゆっくり流れていく自分の時間を実感できてたんだろうな。
退屈な時間とは明らかに質が違う時間なんだと思う。




今日もまた、まったりと流れる時の中に浸り、その時を感じて参りました。

山へと向かう道すがら、地元の人たちが出す露天で酒肴のネタを探します。
今日の茸なべはヒラタケ、ナメコ、シメジ、モミタケに決めました。



銀杏はこんがり焼いて、ゆり根はアルミホイルに包んで焚き火に放り込んで焼きましょう。ほくほくして美味しいぞ~。むかごも柚も買いました。



登山靴に履き替えてザックをかつぐとワクワクする。いつもの場所へ向かう。
テン場への入り口のもみじは、真っ赤に紅をひいた少女のようにはにかんで見えた。



見上げれば天空に一筋の飛行機雲。あそこにも人が生きているんだな。



山は赤と黄色が溶け合ってオレンジ色に燃えていました。一年で一番美しい季節を迎えています。でも私は、落ち葉をサクッ、サクッ、と踏みしめながら歩く山がいいですね。



寒い日は何と言っても焚き火ですね。焚き火は何と言っても流木に限ります。揺らめく炎と語りましょう。



お酒のあとはコ-ヒ-で。なあ~んにもしないで、なあ~んにも考えないで。



私の愛用のチェア-とザック。どれもみな良き相棒です。



焚き火が燃え尽きるまで、まったりと眠ります。目を覚ます頃はもう漆黒の闇でしょうか。



あぁ、今日も幸せな一日が終わります。焚き火よ、ありがとね!








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パラダイムの転換そして個別化

2006-11-13 02:47:19 | 独り言
『大局的見地に立って、変化の波を読み、変化の波に乗りましょう!』

良く聞く話であり、私も『明日への提言』で何度となく提言したものでした。しかし皆さん、この意味、ちょっとはき違えてはいませんか?

歯科業界に限らず、どんな世界でも日々進化を続けています。
例えば医療機器、薬品、それを使いこなす技術、症例に対する考え方などなど。
これを変化と捉えてきちんと対応しているからと言って、決してそれは褒められたことでは無いんですよ。こんなものを変化などと考えたら大間違いです。

こういった進化は技術や学術的進歩に伴って当然に進むものです。この進化を受け入れて対応することは、医療の質を向上させる使命を負った臨床医の姿勢としては当然のことである筈です。進化に対応できて当たり前、対応できない臨床医は怠慢であり医療の世界にいてはならない存在である筈です。つまり、進化に対応することは単なる日常業務に他ならないと言い切ってもいい程の事だと考えますがいかがですか?

では、変化の本質とは何でしょうか?ここでもう一度、確認しておきたいと思います。
ここで言う変化とは『パラダイムの転換』を指しています。つまり、従来の既成概念や価値観、やり方をガラッと180度変えてしまうような出来事を言います。

ひとつ例を揚げてみましょう。例えば、従来のパラダイムでは『歯科医院は歯を削って治療する所』→新しいパラダイムは『歯科医院は歯を削らない→虫歯を作らせないようにする所』。

このパラダイムの転換はおよそ20年前に遡ります。その根拠は二つ。一つは虫歯を予防することが医療人としての本来の使命であるということ。もう一つは、年々食生活が向上し、歯に対する意識も高まるにつれて虫歯人口が減り、将来の虫歯治療と歯科医院経営に限界を感じ始めたこと。これに気付いた極く一部の歯科医が『治療から予防へ』とパラダイムの転換を図りました。

医療機器や技術の進化を察知することは容易いことです。なぜなら歯科材料や医療機器のディ-ラ-さんがその都度情報提供してくれるからです。歯科の専門誌もしかり。その情報に基づいて本を読みセミナ-を受講すれば何とかなるもの。

しかしパラダイムの転換はそうはいきません。広角レンズと高感度のアンタナを張り巡らせていなければ察知することは容易ではありません。やがて押し寄せる大きな変化の波も、初めは小さくゆっくりと進んでゆくから気づかないのです。そして、ある時を境にその大きさと速さは加速度的に進み、誰の目にも分かるようになったときには殆ど手遅れになってしまいます。インプラントもしかりです。

変化の波が巨大化する前に、パラダイムの転換を察知し、対応を準備し、体制を整えることが必要となります。私は最近、予防やインプラントを新規に進めることを躊躇しています。変化の波が大きくうねり始めた今、新規に始めても遅きに失した感があるからです。変化の波を察知し、変化に対応する覚悟を決め、技術を習得するまでに可成りの時間と費用を要します。更に予防専用室を作り、インプラントのオペ室を作るのにも相当の投資を要します。未来投資や経営改善は経営が傾き始めてから手がけては至って非効率であり、資金のある時の投資が鉄則です。

5年前に準備に取りかかった医院では、技術の修得や機材の準備を整え、広告戦略も完結し患者の取り込みと症例数を重ねて体制を整えつつあります。信頼を得た医院は、今後10年~15年の黄金期に大きな果実の収穫期を迎えます。

何もパラダイム転換の先駆者になる必要はありません。トップランナ-は異端児扱いされても決して折れない強い信念とパワ-が無いと務まりません。ある程度先が見える頃の二番手、三番手で良かったのです。しかし、私のお客様でもパラダイムの転換に信念を持って乗れたのは3割程度でした。私の説得力が足りなかったのかも知れませんが、しかし決断し行動に変えるのは本人自身です。この決断の違いは今後の10年で大きく命運をわけることとなります。

紙面が足りません。個別化については次回に譲りたいと思います。






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フ゜チ国際交流溪食会

2006-11-07 01:19:16 | 川飯.B級グルメ
文化の日からの3連休、ひとり事務所で大きな案件を丁寧に仕上げた。
クライアントのトップが好感度抜群の方なので、こちらも仕事に熱が入る。
やはり仕事でも好きな人とだけおつきあいする方針に間違いはない。

さて、この3連休の谷間の土曜日、仲良し3人組で溪食会を楽しんだ。

先ずはOちゃんと食料調達のための渓流釣り。通称『うらたん』に向かう。
溪の木々もちらほら色づき始めている。あと2週間もすれば紅葉真っ盛りだ、山歩きがたのしみだなぁ。



ここは自然渓流の管釣り。オフシ-ズンにはよくお世話になる溪である。
冬になってもイワナやヤマメがドライフライで楽しめる。東丹沢にはこんな管釣りが4カ所もあって、幸せのフライフィッシングにオフシ-ズンはないのです。



美しい溪魚と遊びながら魚止めの滝までの釣りを堪能した。この上流にも溪魚はいるが今日はここで終了。神の川の流れはどこまでも美しい。この場所に身をおける幸せをかみしめる。



流れを下って行くと、穏やかな流れでOちゃんがヤマメを上げていた。
『Oちゃん、メダカ釣ってどうすんの?これじゃあ食えないっしょ!』『ヘヘヘ』とOちゃん苦笑いの図でした。もっと釣っていたいけどそろそろ松ちゃんと合流の時間となりました。『行こか?』『うん』Oちゃんもまだやりたそうだったな。



さて、松ちゃんたちと合流して『長者舎山荘(ちょうじゃごやさんそう)』の下の河原へ。大人の溪食会はキャンプ場など使わないのが鉄則。先ずは、何はともあれ焚き火の火おこし。焚き火の煙が立ち上ると一気に少年時代にタイムスリップできちゃうから不思議ですよね。



さあ、焚き火の次は宴会の準備に取りかかりましょうかね。



地鶏に塩とガ-リックパウダ-をまぶして焼き鳥を焼きましょう。松ちゃん持参のカラスミが旨そうだ。薄切りにしたネギやニンニクに挟んで食べたら最高でしたよ。酒飲みにはたまらん代物ですたいねぇ。そしてオイラはキムチ鍋の準備に取りかかります。



今日の獲物。イワナとヤマメとレインボ-。刺身もいいけど今日は塩焼きでいきましょうかね。ヤマメちゃん、ごめんね。



料理もほぼ出来上がりました。さあ、宴会宴会。今日は台湾からの留学生お二人を招いての溪食会です。左の女性が廖(LIAO)さん。東京大学の大学院で建築を学んでいます。その右が陳さん。やはり東大の大学院で歴史の研究にいそしんでいます。お二人とも溪でのピクニックも初めてなら溪食も初めての経験。でも、焼酎もウイスキ-もキムチ鍋も何でも美味しいと言って気持ちよく食べてくれました。
とくに鍋一杯に作ったキムチ鍋はあっと言う間に平らげて、ふた鍋作ったほど、嬉しいですねぇ。料理人冥利に尽きますね。飲みながら食べながら和気藹々と話に花が咲くのでした。



仲良し3人組です。お互いにオッサンになりましたなぁ。高校時代からもう40年近いつきあいで、毎年何回かこうして親交を暖め合っています。左がOちゃん、真ん中が松ちゃん。二人とも絵とデザインが抜群の建築家です、これでも?



酒がまわったら眠る。これが私とOちゃんの昔からのスタイル。
雷が鳴ろうが地震が起きようが酔っぱらったら眠るのです。北朝鮮からミサイルが飛んでこようが蝸が飛んでこようが酔っぱらったら眠るのです。これだけは何があっても譲れないとですよ。周りの連中は大迷惑でしょうねぇ。



二人が眠りに落ちているたったの2時間の間に、松ちゃんはいつものようにスケッチ。3枚も描いていましたよ。彼は毎年、主要な絵画展に出展して賞を取っています。オイラも絵の才能があったらなぁ。



彼のスケッチをお披露目いたします。これは河原の上の長者舎山荘の佇まい。



これは上流の大堰堤の風景。写真よりいいよね。



これは下流の流れ。山も色づき始めています。なんでこんな優しい表現ができるんだろう?



食べ尽くし、飲み尽くし、もうお腹も一杯。みなそれぞれに、神の川のふところでまどろみの時間に浸っていました。自然は人の体も心も清浄に浄化してくれるチカラをもっているんですね。



仕上げは廖さんのふる里のウ-ロン茶。熱々で頂きました。ウ-ロン茶がこんなに美味しいものだったとは、感動ものでした。
廖さん、陳さん、日本での留学生活、有意義に過ごしてくださいね。そして、将来の活躍を期待していますよ。たっぷりお話しましたが、とても好感の持てるお二人でした。日本を留学先に選んでいただいたこともとても嬉しく思います。またここでお会いできるといいですね。



松ちゃんは廖さんと陳さんを送って一足先に帰路につきました。私とOちゃんは焚き火を囲んで飲み直し、そして夢の国へ。寒くて目を覚ますと辺りはもう真っ暗闇。空には満天の星、その星を縫うようにライトをチカチカ点滅させながら幾つもの飛行機が飛んでゆきました。ふるえながら眺める月もなかなか乙なものでしたよ。



みんなみんな、今日もアリガトネ!








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