山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

2007-05-19 23:54:06 | 山歩き.散歩
今日は事務所でひとり仕事でした。
時折、激しい雨と雷鳴が轟いて、、、、。
ふとこんな時、思い出すことがあるのです。

山では突然の雷雨は良くあることで、濡れ鼠状態は覚悟して山に入る訳ですね。
特に初めての山、単独山行の山中で遭遇する雷雨はとても惨めで、底知れぬ不安感に襲われるもの。だから、ザックは重くなっても必ず雨具とビバ-ク道具と非常食は携行しています。

雨にうたれながら張ったツェルトにもぐり込み、ずぶ濡れの雨具を脱いだ時の安堵感。薄い布一枚のツェルトでも、雨露をしのげることの有難さ。



寒さにふるえながらインスタントラ-メンをすする時、暖かいものを食べられることの有難さが心の底から湧き上がってきます。ウイスキ-もペットボトルの水も非常食のピ-ナッツも、みんな自分の命をつないでくれる貴重な存在、一滴たりとも一粒たりともおろそかにはできなくなるのです。食料が目の前にあることの幸せをしみじみと実感したりして、、、、、。

それが下界に下りるとどうでしょう。
暖かい家があり、水もお酒も食べ物も、そこにあることが当たり前になって有難さを感じることも薄れてしまいます。


10年ほど前、死を覚悟したことがあります。入院中は、家族やお世話になった方々に遺書を書いたりしたものですが、もし奇跡的にも生き続けることができたら残された人生をどのように生きようか、そんなことを考えたものでした。

運良く命を拾って退院した当時は、生きていることの有難さに感謝し、命を、自分の体を大切にしようと心に誓ったものでした。それが今ではどうでしょう?
自分への誓い、こんなにあやういものはありませんね。


老犬モモとの朝夕の散歩が私の日課になっています。
近くの公園にホ-ムレスの人が二人、支え合いながら暮らしています。
古本を集めてサンドペ-パ-で磨いて、向かいの古本屋に収めて生計を立てています。毎日必ず言葉を交わすのですが、二人ともとても好感のもてる方なんですよ。公園も、公園脇のトイレも、毎日二人が掃除していてピッカピカになっています。

こんな人たちが、なぜホ-ムレスになってしまったのだろうか?
いつも二人と言葉を交わしながら考えてしまいます。

いつの時代にも、いくつになっても、世の中から必要とされるスキルを持つことの大切さ。でも、たとえスキルがあってしっかり働いていたとしても、それだけでは不足です。
将来設計や浪費しないで貯蓄すること、大切な家庭を壊さないこと。事情は様々で計り知れないものがありますが、ホ-ムレスになってしまった人たちの多くに欠けていたことであるような気がしてなりません。

これは事業がうまく行かずに自己破産する方にも言えることなんですね。




コメント (6)
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