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山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

恥を知る

2006-02-26 09:59:10 | 独り言
ガ-ラ湯沢でゴンドラに50人缶詰め。こんなニュ-スを見ると、いつもドキリとする。ビルのエレベ-タ-の時も同様である。トイレが近い私などは思わず下半身に意識が向いてしまう。

笑い事ではない。大変な問題である。ゴンドラに乗る直前にトイレを済ませた者はいいが、トイレが込んでるから下まで我慢しようと思って乗った者は悲劇である。

これが12時間も缶詰めとなったらどうだろうか?小さいほうだけでは済まなくなる。中には下痢の人もいれば、1日に3回も大をする習慣の人もいよう。
もう、こうなったらウンの尽き。みんな恥を忍んで臭い仲になるしかないだろう。

運の尽きといえばホリエモン。ホリエモンメ-ルのガセネタをつかまされて意気揚々と武部さんを追求し、そしてコケた民主党も運の尽きである。
しかも、結末まで最悪である。我が方は追求している側だからやめる必要はないとぬかす。このタワケものめが。

政治家はもともとは武士である。その昔、上級武士は政治と行政を司っていた。
その流れをくむ者との自負があるのなら武士道精神をわきまえるべきである。
正義の道を歩むこと(義)、正義をまっとうする勇気を持つこと(勇)、他者を思いやる心(仁)、礼を尊ぶこと(礼)、そして恥を知る事である。

こんな不様な結末を招いた民主党は今、真っ先に何をすべきなのか?
迷惑をかけたた武部さんの息子さんに土下座して謝罪することである。有権者には政治的信頼を失墜させたことを詫びるべきである。そして3人揃って潔く腹を切ればよい。この期に及んでまで生き恥を晒す気か。お家再興は別の者がやればよい。

組織のトップや幹部は、危機に直面したときにこそ真価が問われる。これを、あなた自身の宿題にして欲しい。危機管理の準備は早すぎるということはない。準備のために最も時間を割く必要がある。



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God is myseif

2006-02-25 09:19:19 | 独り言
トリノで荒川静香さんが金メダルに輝いた。目の力強さに彼女の意志の強さを感じていた。やってくれるだろうと。きっと彼女の中には神が存在している筈である。

2年ほど前、NHK3チャンネルの『トップランナ-』という番組で村主章枝を見た。
あのホンワカとした表情と滑舌の悪い話し方からは想像もつかない心の強さを感じたものである。やはり、村主さんの中にも神が存在していた。強い信念である。

村主さんが最終選考会でチャンピオンになった時、演技の後で胸に手をあてて天を仰ぎ『神様』と唇が動いた。彼女に神は存在したのだと確信した瞬間である。

少女時代から今のトップアスリ-トになるまでの間には、言いしれぬ苦難があったろう。数え切れない壁を乗り越えながら、沢山の悩みを乗り越えながら荒川さんも村主さんも、確実に自分の中に神を作り上げていったのだと思う。

苦難の中で学んだこと、確信したこと、コ-チからの教え、多くの本、多くの人たちの励まし、これらの全てが彼女たちの心の中に神を形成してゆくのだと思う。
人間としてアスリ-トとして決して譲れないこと、絶対に守りたいもの、強い想い、確信、私の生き方、、、。

『God is myseif』
神は私自身である。神は私の信念である。神は私の心の中にある。
人は悩み苦しんで心が揺れ動いても、強い信念があれば必ず信念にもどる。
不動の信念に導かれた生き方や考え方にはブレがない。

彼女たちを見ていて、そう確信した。
そしてもう一つ、彼女たちの『夢のチカラ』の成せる技である。

三流ではあるが、私たちの心の中にも『神』が存在する。間違いなく存在する!


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海賤山賤

2006-02-23 06:46:24 | 独り言
ようやく春の息吹を感じる季節となりました。なぜかわくわくします。渓流も解禁間近、河原乞食達が出没し徘徊を始めます。あゝ私も早く河原乞食になって自由の風に吹かれたい。

西暦701年、藤原不比等(ふじわらふひと)によって大宝律令が制定された。その狙いはなんだったのか?完全な戸籍を作り、税を徴収することにあった。年貢課役の対象であった農民に関しては、その取りこぼしを防ぐため特にもれなく作成された筈である。歴代の朝廷や貴族は、ひとり農民が支えてきたわけですから。

しかしまた、いつの時代にもしたたかな人々がいるもので、この律令の枠から完全にはみ出た者達が存在したのである。流民やがそれである。

この人々は戸籍にも載らず人間としての扱いを受けることはなかったが、しかし自由であった。海の幸、山の幸を朝廷に届けること以外は年貢も課役もなく、農民のように生活の場を制限されることもなく全くの自由な生活が与えられた。いわゆる
海賤山賤である。

現代にもこんな人たちがいる。ホ-ムレス。でも全く違う。ホ-ムレスの人たちはやむを得ず今の生き方に甘んじているが、海賤山賤達は自ら選択してその生き方を
していたことに大きな違いを感じる。ネガティブとポジティブ。大きな大きな違いである。

私たちも、これを笑ってはいられない。思い当たる節はないだろうか?
人はなぜ生きているのだろうか?幸せになるためだと思う。幸せについての考え方は千差万別であるから断定はできない。

私の幸福観は、好きな人たちとだけおつきあいできること。そして、好きな事だけをやり続けられること。これに尽きる。逆ならどうだろうか。
いやな人と、やりたくもないことをやり続けることを想像してみてほしい。

幸いわたしは、皆さんのおかげでとても幸せな生き方ができています。本当に皆さんのおかげと感謝しています。

海賤山賤たちの生き方、厳しかったであろうが、何者にも束縛されぬ自由な生き方は一面ではとても幸せな人間本来の生き方ともいえる。

これから徘徊を始める河原乞食たちよ、いかに自由を求めたいからとはいえ、くれぐれも奥様を大切に。決してフィッシャ-マンズウイド-にさせてはならぬぞ。

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足るを知る

2006-02-22 01:30:06 | 書籍
ホリエモンが再逮捕された。一昨日のことである。そもそも逮捕など想定外であったろう。理念なき経営は瓦解した。当然のことである。

経営トップには高い見識と正しい経営理念そしてコンプライアンス(法令遵守)が要求される。企業とは、その規模の大小を問わず社会に受け入れられ社会に貢献する存在でなければならない。社会貢献というミッションを掲げて誠実に活動するからこそ社員や社会からの共感と支持を得られて永続できる。

ホリエモンの究極の経営理念は何であったのか?ライブドアが発行する株式価値を日本一にする、そして株主へ利益還元することか。大株主はホリエモン本人である。結果として社会貢献の要素は乏しかった。

ライブドアの資産総額が仮に世界一になったとしてもホリエモンは決して満たされることはないであろう。カネだけを動かす虚業にすぎないから欲望は尽きることがない。巨大コングリマリットの頂点に立ったという実感も湧くまい。悲しい結末である。

人を残すを上とし、業を残すを中とし、財を残すを下とする。有名な格言である。
しかし、私はこの格言に反対論を唱えたい。経営的観点に立てば人も業も財も全て上であり、ことさら蓄財を罪悪視するのは間違いである。

財(お金)は、その使い方で生かされる。企業は健全経営を続ける為に利益を上げ
資金を蓄積する責務がある。その資金は、人材育成、研究開発、設備投資、広告戦略に投資され次のスタ-ビジネスを育てる。この未来投資を惜しんではならない。

『足るを知る』。禅の教えである。正しい教えではあるが難しい教えでもある。人は欲望の強い生き物である。欲望があるからこそ人は成長し、経済も社会も成長してきた。欲望には際限がない。だからこそ、この教えが生きる。

人はどこかの時点で『あゝ、これで充分満足だ』、そう意識することで今の自分に満足でき楽になれる(ものだと信じている)。人は業(仕事)に励みお金を得る。
得たお金が余ったときどうするか。禅の教えの中に答えがある。

『自譲と他譲』。余ったお金は先ず、自分の勉学や老後などの為に蓄える。
そしてなお余ったお金は社会の為に役立てる(寄付をする)。こんな男になりたいものである。

あっけなく瓦解したライブドアに比べれば、小規模ではあっても50年、100年と続くそば屋さんや和菓子屋さんは何とすごいことか。誠実な仕事ぶりがお客様に支持され続けてきた証左である。頭が下がる。

衣食過ぎ、礼節忘るホリエモン。おそまつ。
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お洒落の本質

2006-02-21 05:31:55 | 書籍
ここ10年ほど、制服の女子高生たちの化粧が目につく。皆さんはどう思うだろうか?私などは一瞬『おんな』を感じてドキッとさせられる。ル-ズソックスこそ減ってきたものの、あれもなかなか可愛かったと思う。

『今の若いものは』などとオジサンになるなかれ。私たちの高校時代も同じように自己主張していたはずである。人生のうちで最も異性を意識し、最も美しくありたいと思う彼女たちが唯一『おんな』を主張できる手段が口紅であるならば、ここはひとつ認めてあげましょうや。

少なくとも、制服の男子高生が人前でタバコプカプカの不快感に比べれば遙かに美しい。ただし、何日も風呂にも入らずル-ズソックスも履き替えていなかったという裏事情を知ると幻滅する。それは『お洒落』とはほど遠いからだ。

『メンズクラブ』というIVYのファッション誌をご存じだろうか?40代~50
代の男性には懐かしい存在である。私なども16歳の高校生の頃からバイブル的存在であり、以来37年間の愛読書のひとつである。

田舎者の高校生が『いもアイビ-』などと言われながらも、相変わらずオックスフォ-ドクロスのボタンダウンシャツ、ノ-タックのパンツ、センタ-ベンツの三ツボタン段返りのス-ツにこだわってきたのは『メンズクラブ』の洗脳によるものである。

その『メンズクラブ』が11年前、創刊40周年を迎えた時の特集号を今でも大切にしまってある。その中の『お洒落の本質』についての記事をご紹介したい。

お洒落とは、身だしなみであり、相手を不快にさせないことである。90年代に生きる男たちにとって最も必要とされることは、他人の痛みがわかる人間、思いやりのある人間であること。そして、自ら信ずることを貫く勇気、様々な価値観を認める柔軟さ、常に感動を覚える若々しい感性、独創性、創造力、向上心を持つこと。
これらすべてが遊び心であり、お洒落そのものである。そして、常にこういう人間であり続けようとする男達は、断じてセクハラなどとは無縁である。

お洒落の本質を極めて、いい男になりたいものです。




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老いの楽しみ

2006-02-19 12:28:49 | 書籍
この季節になると、普段お会いしない年1回のお客様120人ほどがお出でになる。資料を届けながらの陣中見舞いが心にしみる。今週は声楽家の先生がおいしいチョコレ-トケ-キを、工務店の奥様が忙しいかろうとご飯とお総菜を、マンションオ-ナ-が『越の寒梅』を届けてくださった。皆、母親のような存在である。

おかげで昨夜は久しぶりに酔い、ぐっすり眠った。これでまた頑張れる。人は皆、沢山の人の心に支えられて生かされている。いつも心の中で掌を合わせています。

50代男性の約4割が農村や山村に住みたいと思っている。今朝の日経新聞の記事である。都会暮らしに疲れた定年間近の団塊の世代の心境が伺えると記事にあるが、本当にそうだろうか?彼らのほとんどは地方の出身者だと思う。私もそうだが40代、50代になると、自分が生まれ、父と母と暮らした原風景の中でもう一度生き直したい。そんな心境になる。

私は何かにつけて田舎に帰る。父母の姿のない家に入る寂しさはたまらない。でも帰りたい。25軒の小さな集落の人たちはみな家族そのものである。今でも同年配の幼なじみは、私を『せいヤ-』と呼ぶ。年上の人は53歳の私に『せい坊』である。年下の者は『せいあ兄い』。これからもずっと変わらないだろう。

1月には集落の『おんじい』が二人、眠りについた。寂しい。おんじいたちは頑固者ではあったが、しかし、みな優しかった。集落の人たちは『おんじい』たちの思い出話をしながら楽しそうに酒を酌み交わし、尊い命を黄泉の国へと送り出した。都会の厳かな葬儀とは全く違う暖かい心がある。

『老いの楽しみ』。今はなき沢村貞子さんの著書である。夫83歳、妻85歳の老夫婦。この長生きの幸運が明日もあさっても、来年も再来年もずっと続く筈はない。やがてどちらかが欠けると思うと、今の毎日がもったいないような気がして何かにつけて言葉を交わす。

『おはよう』には(さあ今日も元気で)という心。『おやすみ』には(明日も楽しく)という願いを込めて。そして何より感心させられるのは、沢村さんにみずみずしい感性が色あせていないこと。夫の前ではいつもこぎれいにしていたいというお洒落心。

子育てに追われて女を捨ててしまった妻たち、仕事に疲れて男を捨ててしまった夫たち、そして、いつしか言葉を交わさなくなってしまった現代の夫婦たちが、もう一度、男と女に立ち返ることを気づかせてくれる一冊である。

私たち団塊の世代もいずれ老境に入る。老いてなおワクワクドキドキの日々を送りたい。そのためには何よりも健康であること。そして、みずみずしい感性とライフワ-クを持ち続けること。老いの楽しみ。今から楽しみである。
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金魚鉢の中に真理が見える

2006-02-18 01:28:12 | 独り言
《Blue in Green》というホ-ムペ-ジがある。BOSSさんが運営する山岳渓流釣行のレポ-トが素晴らしい。『フライの雑誌』という月刊誌に世附川の管理釣場化に対する持論を展開したりと私たち自然回帰派の代弁者でもある。

そのBOSS氏が『丹沢大山総合調査』のセミナ-参加レポ-トをアップされた。
丹沢の森林劣化と森林整備、植生物などの現況調査に基づき再生基本構想を策定し実現に向けて活動していこうとする地道ではあるが、神奈川県環境農政部をあげてのプロジェクトに力強さを感じる。

私も『丹沢』を愛してやまないひとりである。小学3年生の頃から丹沢に足を踏み入れ、その奥深さに底知れぬ魅力を感じている。しかし近年、ブナの立ち枯れや植生物の絶滅を目の当たりにして絶望感さえ抱いていた。なんとかできないのか?

さてそこで問題です。『地球は金魚鉢である。地球と人間の関係は金魚鉢と金魚の関係に等しい。この前提条件から、人間はまさしく金魚に他ならない』
この一見難解そうな方程式をこれからあなたと解いてゆきたい。

あなたは5匹の金魚を飼っている。飽食に慣れきったあなたは必要以上にエサを与え、金魚も飽食を満喫し肥満してゆく。食べ残ったエサと金魚のフンは金魚鉢の底に沈み堆積してゆき水は少しずつ汚れてゆく。

あなたは金魚鉢の水を10年間放置する。やがて水の汚れは水草や酸素発生装置の浄化能力を遙かに超え、水草は腐り酸素発生装置は目詰まりして機能を失い加速度的に水質汚濁は進んでゆく。

そして10年後、水はヘドロ状に変質し金魚の生命を維持する能力を失う。
結局、金魚は自らが排泄したフンによって生活環境を破壊し子孫を残すこともできずに、もだえ苦しみながら死に絶えてしまうであろう。

人類は、気の遠くなるような地球の歴史の中で、現代のたった30年の間に愛すべき地球を汚染し尽くしてしまった。これからの30年間はどうなるだろうか?

私たちは、言葉だけで環境浄化を唱え、企業の経済活動を悪の権化のようにつるしあげるが、私たちが豊かな生活を求め続ける限り環境を語る資格はない。私たち自身が有毒な欲望のウンコや豊かさのウンコを毎日大量に排出しており、環境汚染の重大な共犯者であり下手人だからである。

くちばしの折れ曲がった鳥達や足のない猿、奇形の生じた魚たちは、彼らの身をもって私たち人類の未来の姿を示し警告を発してくれているのではないだろうか?

私たちには今、地球を劇的に変えるような力は残念ながら持ち合わせていない。
だからこそ『丹沢大山総合調査』の活動に期待したいし、自らも行動に変えるきっかけにしたいと思う。

人類の英知と人間の良心は、果たして地球を救えるのだろうか?
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お疲れのあなたへ

2006-02-17 06:20:08 | 書籍
ちょっと疲れ気味のあなたへ。少しばかりの安らぎを贈ります。7歳の子供達の素晴らしい感性と洞察力、純真さとユ-モアをお楽しみ下さい。

(お母さんの心)
お乳はお母さんのこころ。赤ちゃんがのんで、お母さんのこころが赤ちゃんに伝わる。それからおっぱいの心をいっぱいためて、心の大きい人間になってゆく。そやから、お母さんの心はええ心でなかったらあかん。

(お母さんのたからもの)
お母さんに『お母さんのたからものは何』と聞くと『まあくんととっちゃん』といいます。だからぼくが『お母さんの命よりもだいじ』というと、お母さんは、ぼくとお兄ちゃんをだきしめて『うん』と言いました。ぼくはとてもうれしいんです。

(安いけしょうひん)
お母さんが『きょう安い化粧品こうてきたん』ゆうたら、お父さんが『なんぼええけしょうひんこうてもむだやゆうことがやっとわかってんな』と笑いながらいうた。安いけしょうひんは、おとうさんのへや-とにっくやった。

(よめさん)
お母さんがぼくに、『けっこんするんやったらぶすとしいよ』ゆうた。なんでやゆうてきいた。『ぶすは3日したらなれるけど、べっぴんは3日したらあきる』ゆうた。ほんなら、うちのお父さんはもうなれたんや。ほんでもぼくはベッピンのほうがええわ。

(くうらあ)
お父さんは、くうらあつけてねています。いびきをかいて気持ちよさそうです。お母さんは、でんきのめえたあのゆめをみるので気持ちよくねれません。

(じしん)
さんかん日の日、学校からかえったらお母さんに『答えがわかったときは、じしんをもってしっかり手をあげなさい』と言われました。これからはじしんをもってこたえようとおもいます。せんせい、じしんてなんですか。

(けっこん)
ぼくは、けっこんしたら2かいめをしません。したらまたダイヤモンドをあげないといけないから、ぼくは1かいめのおよめさんをだいじにします。

(お父さんのにおい)
わたしは、いつもお父さんとねていました。お父さんといっしょにねられないときは、お父さんのまくらをだいてねます。まくらをだいてねると、お父さんのにおいがして、お父さんとねているようなきがしました。お父さんのまくらのにおいは、おしごとのにおいです。

これが7歳の子供達の目と心です。続きは『1年1組せんせいあのね』(鹿島和夫編集、理論社刊)で。7歳の子供達の感性に触れてみて下さい。
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まやかしの優しさに激しく嫌悪する

2006-02-16 02:08:49 | 独り言
昨夜、仕事からの帰路、国分寺からバスに乗った。席についてすぐ盲目の初老の紳士が目に入った。私はすぐに席を立ち乗車口で声を掛けて手をさしのべ席に導いた。

それを見ていた運転手さんは、運転席を立って盲目の紳士の席へ。『私は乗務員ですが、どちらで降りられますか?』と行き先を尋ねると『はい、わかりました』と応えて運転席へ。

盲目の紳士の告げた停留所でバスが留まると、当然のように運転手さんは彼の肩に手を掛けて降車口まで導き、声を掛けながらバスを降りるまで丁重に介助を続けた。

人として当たり前といえばそれまでだが、その一部終始を見ていた私は久しぶりに心温まる思いやりと優しさに触れ、とても心地よい感動を頂いた気分であった。

それに引き替えJRや私鉄の駅員達の何たる浅ましさ!
時々、駅員が数人がかりで車イスを抱えホ-ムへと階段を登る光景を目にすることがある。素敵な光景だ。と思っていた、、、、。

しかし!である。唖然!である。恥を知れ!である。
なんと、車イスの介助をした駅員には一人一回1000円~2000円の介助手当が支給されていた事実を知ってしまったのである。テレビで。

労働組合の要求なのか?経営者側の甘やかしなのか?そんなことはどうでも良い。
介助手当の支給も勝手にやればよい。しかし、鉄道の仕事に携わる者達が一人ひとりの利用者を大切なお客様ととらえ、お客様に『より心地よく利用して頂きたい』
という崇高な使命感があれば車イスの介助は当たり前の事である。

報酬は心からの『ありがとう』で充分である。『ありがとう』の一言でお客様のお役に立てた喜びが得られる。こんな心のご褒美が他にあるだろうか?

駅員達は介助手当がなければ車イスの介助をしないのだろうか。いっそのこと明日から『さあいらっしゃい、車イスのお客様、喜んで階段お運びしますよ-』『毎度
ありがとうござ-い』(やったね、今日も5000円稼いじゃったよ)などと客引きでもやったらどうか。

あゝ胸くそ悪い。酒じゃ酒じゃ。酒でも飲まなきゃ寝付かれぬ。しかし、これでまた血圧と血糖値が急上昇か?しかたない、かわいいモモちゃんに癒してもらいましょうかね!



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落葉帰根

2006-02-15 00:57:28 | 書籍
都立府中病院で2か月ぶりの定期検診。前回は血糖値を始めことごとくの数値が高く先生にひどくどやされた。今回は同じ徹は踏まないぞと頑張って酒は週末だけにし先生との決闘に臨む。『下がりましたねえ、やればできるじゃないですかあ』

若くてきれいな先生は大層褒めてくれた。先生のおかげですよ、また次回も頑張ります。『あっ、わたし春から東大の大学院に戻るんです。』そ、そんなあ、せっかく仲良くなれたのにい。これで病院通いの楽しみがなくなってしまったとです。

父は糖尿病による脳血栓で64歳で他界した。子は親が他界した年齢を不思議なほど意識するもの。友人知人のほとんどが同じ事を口にする。私も目標年齢64歳、なんとか父を超えたいとの意識がつきまとう。人生設計も当然64歳を意識したものになる。あと11年、『人の価値は後半生で決まる』菜根譚(さいこんたん)の
一節である。

『落葉帰根』。これも菜根譚の一節にあったものか?
若く大きく茂った葉もいずれ落ちて根に帰り、次の世代のためにその命を捧げる。

『落葉帰根』。4年前、父と母の墓碑に感謝を込めてこの言葉を刻んだ。父よ母よ、あなたの献身的な庇護と無償の愛に包まれて私は育ち、今があります。
父よ母よ、あなたのように私もなりたい。いずれ私が眠りについたとき息子も同じように思ってくれるでしょうか? そのためにも今、私は信じた生き方を誠実にまっとうしたいと思う。

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殺人的季節の到来

2006-02-13 01:58:27 | 独り言
忙中閑なし。確定申告の季節である。会計事務所にとって殺人的な季節がまたやっ

てきた。避けて通れぬ宿命である。ならばお祭りにしてしまおう。土日も休まず徹

夜を続けながら頑張っちゃおう。そうすれば3月15日には誰にも味わえない達成

感と旨い酒が味わえる。ポジティブシンキングである。とは言いながら3月に入る

と更に忙しさは頂点に達し、徹夜で疲れ切った頭は朦朧状態になり、もう金はいら

ないから早く解放してくれえ!などと心の中で叫び始める。強迫観念も湧いてくる

。そんなにしてまでなぜ? かっこよく言えば意地とプライドと責任感。みんな真

面目なやつですから、仕事しながらお客様の顔が一人ひとり浮かんじゃうんです、

絶対裏切れませんよね。でもホントの本音はやっぱり誰にも味わえない達成感と旨

い酒を味わいたいから。さあみんな、明日からまたいっちょがんばりまっしょい。

そして3月15日には至上の開放感に浸ろう。早く来い来い3月15日。
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