山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

テレビの功罪

2008-05-30 06:28:51 | 独り言
最近、太田房江のテレビ出演がやけに目に付く。いや、出演という表現は適切ではない。
見たくないものが出てくるのだから露出といった方が適切かも知れない。

今更、太田房江もないだろうに、テレビはこぞって過去の亡霊をコメンテ-タ-として頻繁に使う。
テレビのセンスの無さと、のこのこと出てくる亡霊にも不快感を抱いてしまう。

太田房江は2期8年の間に、大阪府の財政を壊滅的状態に陥れた張本人である。
おまけに最後は金銭スキャンダルで3期目の選挙に立てなかった女である。
もし3期目をやっていたら財政再建団体への転落は目に見えていた。

橋下知事の『大阪維新プログラム』に対して
『橋下さんはハ-ドランディングしようとしているが、私は女性らしくソフトランディングさせようとした』と暗に橋下さんを批判した。

政治に男も女もあるものか。
改革はドラスティックに進めて初めて実を結ぶものである。
今更、太田房江のアドバイスなど誰も期待してなどいない。

せめてテレビが太田房江の露出を功としたいのならば
2期8年の失政の理由を赤裸々に語らせることである。
大阪府職員や市長たちの『ゆすり、たかり』の体質を赤裸々に語らせることである。
財政が再建不能にまで陥ってしまった原因を赤裸々に語らせることである。
8352万円の退職金返上をテレビの前で宣言させ、すでに退職した幹部職員に対して『私に続け』と呼びかけさせることである。
これができたなら『さすがにテレビは素晴らしい』と褒めてやっても良い。

大阪府職員と、各市長の発言を聴いていると正に『ゆすりたかりと甘え』の体質が良く分かる。
エゴむき出しの市政を続けていたら、いずれ大阪は財政再建団体に陥るだろう。
親亀がこければ皆こけると言うことを市長たちは分かっていないのだろうか?

いっそのこと大阪は、早い時期に財政再建団体に陥る方が良い。
そうなったとき、大阪府民たちはどんなツッコミを見せてくれるのか楽しみである。
自虐的な笑いも、新たに生まれるのかも知れない。

大阪の体たらくを大いに笑ってやろうではないか。
せめて東京や神奈川がそうなる前に、、、、、、。









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この違いは一体ナンナンダ~(怒)

2008-05-17 16:02:09 | 独り言
アメリカに住む釣友Satoshiからメ-ルが届いた。

これからイエ-スト-ンへ釣行だってさ、フンッ。
釣行用にイエロ-スト-ンバ-ジョンのフライタイイングだってさ、フンッ。
おまけにタイイングデスクと新作フライの画像まで送ってきやがってさ、フンッ。



チミがイエロ-スト-ンで頭空っぽにしてフライロッドを振っている時、
こっちは ♪しばしも休まず鎚打つ鍛冶屋♪ 状態なんだぞ~。

チミがでっかいスチ-ルヘッドをつり上げて『あぁ腕がイテェ~』なんて言ってる時、
こっちは『ペンとパソコンで腕が腱鞘炎だぁ~』と悲鳴を上げてんだぞ~。



方やノンビリ釣り支度。
方やデスク2脚とパソコン2台を使って一途に仕事。

この違いは一体ナンナンダ~。責任者出て来~い!

まあ、あと2週間必死で頑張りまっす。
そうすれば再び我が世の春が訪れるのです。
釣友の皆さん、待っててくださいね。

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ちょっとサプライズ

2008-05-11 23:54:17 | 川飯.B級グルメ
サプライズって、突然やってくるものなんですね。
突然だからこそ、サプライズなんだよね。

これは古い友からの嬉しいうれしいサプライズです。
搾りたての『澱酒』が冷えひえのまま届きました。嬉しいなあ!



ちょうど昼時でした。
当然呑むでしょ、これが呑まずにいられますかって。
こんなお酒を頂いて、お預けなんてヤだもんね~。

仕事の手を休めて、さっそくカミさんと頂きました。
さぁさ一杯、あぁどもども。まぁお前もいっぱい、あぁこりゃこりゃ。

グビッ、グビッ! くぅ~浸みるぅ。
豊かな香りが鼻腔に広がり、脳みそにまで行きわたり余韻を残す。
爽やかな味は喉を潤し、体の隅々にまで染みわたり神経を弛緩させる。
『澱酒』って、こんなにスッキリしてたんだっけ~とカミさん。

お酒が美味しいと酒肴はこれで充分です。
ほどなく心地よい眠りに落ちてしまいました。

夢を見ました。
学生時代、雑然としたサ-クルの部室は我らの大切な居場所でした。
授業のある日もない日も部室にたむろし、語り合ったものでした。
哲学をやる、少し狂った、個性の強いヤツらの集まりでした。
オイラは4年間を下駄で通し、カビの生えそうなドテラが彼の制服でした。
一年後輩の彼は、穏やかな風貌に似ず論客で一目置かれる男でした。
なんでも出来そうで、それでいて寂しさや不安や空しさや希望が混在していた季節でした。

あれから30余年の時を越えて、この『澱酒』は、彼と過ごした一番いい季節を
夢の中で蘇らせてくれました。
いま私も彼も、望んだ仕事を持ち、家族を持って、今また一番いい季節を生きています。



2時間ほどの眠りから醒めると、、、、
息子が訪ねて来ていました。
息子は小学生の頃から『母の日』と『父の日』のプレゼントを欠かしたことがありません。



私は母に、こんなプレゼントをしたことがあっただろうか?
ただカミさんが用意してくれたものを届けるばかりであったような気がします。

時間の許す限り足繁くふる里に帰り、母と一緒に食事をしながら昔話をしたものでした。
でも、それとはまったく別物で、プレゼントを贈られるのは殊更嬉しいものなんですね。
もらう立場になって初めて分かるもの。
もっと心をこめたプレゼントをしておけば良かったと今更ながらに思うのです。

ふたつのサプライズ。
ちょっと感動したひとときに感謝です。アリガトネ!



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千曲川 カヌ-の旅

2008-05-05 10:50:54 | カヌ-ツ-リング
ゆらゆらと、根無し草のように川面に漂いながら、そよ吹く風に吹かれてみたい。
男は、そんな叶わぬ夢を見ていた。

世の中どこもかしこも、きらびやかな連休モ-ドだと言うのに、男はひたすら仕事に励んでいた。
沸点に達しつつある男の脳みそは、すでに煮えたぎって気が狂いはじめていた。
おまけに外は『くらやみ祭り』の大太鼓がド~ンド~ンと鳴り響いて気もそぞろになる。
浮足だって、こんな時に仕事なんかやってられるかってんだベランメエ!

お~い、オレをここから出してくれ~い!
誰かこの足枷を外してくれ~い!
一生のお願いだ~、オレを今すぐ解放してくれ~い!

男の口癖が、一生のお願いだ~と言うことを知りながらも、慈悲深い神様は
『一日だけだかんね』とウインクして、このオレを仕事の呪縛から解き放ってくれた。

夜行日帰り、夜討ち朝駆け、脱兎の如く?
まあ、この際なんでもいいじゃないか。
とにかく一日、明日一日だけでも自由の身になれるんだから。

午後9時、中央高速に飛び乗って一心不乱に車を走らせた。
辿り着いたのは北信濃の姨捨SA、午後11時のことであった。



なんてったって解放されたばかりの奴隷っすからね、酒に飢えてます。
なにはともあれビ-ルでカンパ-イということで。
高速道路であろうが、パトカ-がいようが先ずはビ-ルなんですよ。
ついでに焼酎もいっちゃいましょうね、気持ちよく酔っぱらいたいもんね~。
で、やっぱり仕上げはメンマに味玉、モヤシたっぷりの味噌ら-めんっすよね、暖ったまるなあ。



たっぷり呑んで気持ちよく酔ったら素直に眠りに就きましょう。
寝床は北信濃の大地、心を解き放つには何と言っても野宿に限ります。
人間にとって極上の悦楽とは、こういう事を言うのであります。
こうしていると、大地の発する気を受けて心身共に浄化されてゆくのです。

草木も眠る丑三つ時、摂氏1度の冷たい外気を感じながら、心はホンワカと暖まってゆくのでした。

あぁ極楽極楽!
昔むかし、姨捨山に捨てられる姨さんも、お酒と暖かい布団があったら幸せだったのにね。
明日はもう、このまま帰ってもいいなあ、と思うほど心は満たされたのでありました。

ぐっすり眠って疲れも吹き飛んで、SAでお蕎麦を食べて千曲の河原へ。
先客が6名様、横浜の中年カヌ-イストがツ-リングの準備をしておりました。
しばしビ-ルをご馳走になりながらのカヌ-談義、ゴ-ル地点も一緒ということで、これは楽しくなりそうだ。
それにしても、最近のカヌ-イストは中高年だけになっちゃった感じですねえ。

若者よ、もっと冒険の旅に出ようぜ!



6人衆が一足先にスタ-ト、我らはのんびり漂うのです。



今日はちょいと増水気味、しかも追い風、絶好のツ-リング日和です。
暖かい陽差しも嬉しいですねえ、キャッホッホ-。



時間はたっふりある。のんびり行こうぜ!

視界いっぱいに開けたこの風景、これぞ大河の証しです。
この開放感が人の心を解き放してくれる訳ですね。

蕩々と流れる千曲に漂いながら、ビ-ルをあおり
タバコをくゆらせながら命の洗濯をしようではないか。



川岸と川岸を行き来する渡し船。
♪連れて~逃~げ~て~よ~、ついて~お~い~で~よ~♪
ビ-ルを煽りながら思わず一曲うなってしまいました。



千曲に架かる橋は、それぞれに色が違います。
だから千曲のカヌ-ツ-リングは、この橋の色を目印にすればいいのです。



19年来のオイラの愛艇、もう体の一部のような感じです。
しかしまあ、いい男は絵になりますなあ、ってか?





遠く北信濃の山々は、まだ雪を頂いています。
こりゃ支流の沢は、まだドライフライじゃ無理だべなあ。



エッチラオッチラ、、、、、ス-イスイっと、アメンボになった気分です。



ここから10羽ほどの水鳥が水しぶきを上げて飛び立ちました。
たぶん住処があるのでしょう、偵察隊は水鳥の巣の偵察に向かいます。



カヌ-の上の河原乞食は、ねじりハチマキが正装なのでございます。
隠してあるビ-ルはすでにカラッポ。顔がちょっと赤味がかっておりますが、
これはただの日焼けっすからね。



千曲の風景はどこまでも優しくのどかです。
川岸は、至る所に菜の花の淡い黄色のお花畑が広がっておりました。
そこここで仲良し家族がお弁当を広げて平和な時をすごしているのです。よかですね~!



ラッキ-!
2時間に1本しか走らない飯山線のディ-ゼル列車に遭遇しました。
ここ飯山は、列車までもがのんびりとスロ-ライフを楽しんでいるかのようでした。



今日のコ-ス最後の橋、湯滝橋。
ここの瀬は可成りの落ち込みになっていて、ちょっとしたスリルが味わえるのです。ひゅうひゅう!



コイツら、一丁前に瀬の中で遊んでますわ。





いよいよ千曲の旅も終ります。寂しいなあ。

爽やかなリバ-ブリ-ズを頬に感じながらの旅でした。
優しい川岸の風景に癒された旅でした。
雄大な北信濃の山々に心洗われる川旅となりました。
川面に漂う心地よさを1年ぶりに体感できた旅でもありました。

旅の終りは、なぜこんなにも寂しさがこみあげてくるものなのでしょうか?



さて、ここでもまたビ-ルで乾杯!
そして昼寝。寝る子は育つの言い伝えどおり、頑強な体に成長してくれて
コイツはアメフトの選手をやっておりました。



そして〆はいつもの『もみじ荘』へ。
温泉にまったり浸かって世俗の垢を流しましょう。



足もみマッサ-ジで顔をゆがめて悲鳴を上げております。
これってアタマにも効くのかしらね?



そしてやっぱり〆はビ-ル、性懲りもなくビ-ルなのです、ビ-ルしかないっしょ。



美味しい山菜の天ぷらと飯山の手打ちそば。
これで幸せの千曲の旅も、ホントに終りを告げるのでありました。寂しいなあ。





菜の花一面の飯山の里とも、しばしの別れです。

千曲の流れと、のどかな風景に身も心も浄化され、精気が蘇りました。

次は飯山の尺岩魚に逢いたいと思います。待っててね!

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目指せ100周年!

2008-05-02 00:26:02 | 独り言
『人を残すを上とする!』

この理念を60年間、頑なに守り、実践し続けた医療法人がある。
このブログにも度々登場する(医)弘進会 宮田歯科がそれである。
宮田歯科の素晴らしさを、是非多くの先生方に知って頂きたくここにご紹介したい。

4月27日、宮田歯科60周年記念祝賀会が催された。



演壇に登った東北大学名誉教授のお話をお聞きして、私の抱いていた謎が解けた。
この先生は、若き頃、宮田歯科に勤務し先代理事長の経営理念を聞いて深い感銘を受けたそうである。

『消化器の入り口となるのが口と歯である。人の健康を保つために歯は無くてはならないものである。
日本国民の歯の健康を保つために、私は有能な歯科医を育て、世に排出する使命がある』

先生は、開業医となることを考えて理事長に相談したという。
『お前ごとき歯科医ひとりが開業したからと言って何の影響力もない。
それよりも大学に戻って、教育者として医学生たちを育てて欲しい。
オレは、お前の教え子たちを立派な臨床医として育て、世に排出し、歯科界の発展を担う』

先生は、その通りの道を歩んだ。
そして宮田歯科も約束どおり、60年間に700名を越える臨床医を育て、世に排出したのである。
歯科技工士や歯科衛生士を合わせれば千数百人を優に越えると言う。
この実績は、一歯科医院としては天文学的な数字になる。



世の中広しといえども、この実績を残した医院はまず他にはないはずである。
理事長宅に住まわせ、学費を全面的に援助し、一人前の歯科医にまで育て上げた数も20名を超えるという。

この日も、宮田歯科のOBドクタ-が200名ほどお出でになった。
さながら宮田学校の同窓会、そんな和気藹々の雰囲気に包まれていた。

先代理事長の描いた夢は、実はこの情景ではなかったのではないだろうか?
宮田イズムを受け継ぐ700余名の歯科医が世に出て、日本国民の健康維持に貢献し、
そしていずれの日にか、こうして一堂に集い、また夢を語り合う。

先代理事長が、満足げに満面の笑みを浮かべて、この情景を空の上から眺めているような気がしてならなかった。



宮田歯科の素晴らしさはまだある。
宮田歯科で修行された先生方のご子息の多くもまた、宮田歯科で修行しているという事実。
ここで修行された先生方が、その素晴らしさと愛着を感じている証左である。
この日も本院の歴代院長と副院長、そして今修行中の二代目Drが紹介された。



60周年の記念事業として新築された本院ビル。
『派手なことはするな。目立たないように進め』
先代理事長の教えどおりシンプルな佇まいである。

実は、このビルの先代もボロボロであった。
医療機器も大事に30年も使い続けてボロボロになっていたものである。
ボロボロになったビルや医療機器を見て、設備よりも人を育てることを
最優先してきた『勲章』のように私の目には写っていた。



オペ室。



新装なった本院を率いていく若きO院長。
ここから新しい歯科医療を発信する大きな期待を担っている。



来年中には三田も池袋も全面リニュ-アルし、新たな100周年に向けて発進します。



60年間の長きに亘り、面々と受け継がれてきた宮田歯科のDNAは、現理事長と3名の現院長にも
強く受け継がれ、これからも更に多くの若き歯科医を育て、世に排出し続けて行くはずである。

こんな素晴らしい理念と使命感を抱いた先生方と共に、100周年に向けて歩めること、私の誇りでもあるのです。

良き経営理念の必要性とそのチカラを、今日は思い知らされた一日となりました。
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