山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

30年振り

2017-09-24 23:00:45 | 独り言
ちょうど30年前のことでした。
息子が5~6才の頃、新宿に住んでいた我が家は戦隊もののショ-を観に何度となく後楽園に足を運んだものでした。
あれから30年、あの頃の息子と同じ年頃になった孫たちを連れて宇宙戦隊キュ-レンジャ-のショ-を観てきました。

いやぁ映像といい音響といい舞台装置といいアクションといい臨場感といい、その進化に感動すら覚えてしまいます。
ショ-の間は撮影禁止なのですが、ショ-が終わって握手をしてもらったり、戦隊のス-ツを着て撮影させてもらったり
昼食のあとは遊園地で遊んだり午前10時から午後5時までたっぷり付き合って、じいちゃんとばあちゃんはくったくたで帰宅後のビ-ルの旨かったこと!

 
 
  

 







さて翌日の日曜日、後楽園の疲れを癒そうとキノコを探してカラマツ林を歩いてきました。
先週はハナイグチが篭に入りきらないほどの大漁だったのに今回は打って変わってまったくのド貧果、
なんと車止めや道路脇には16台ものキノコ採りの車、この山もいよいよ人気の山になってしまったようですねえ!

 


1時間ほど森を歩いて、たった10本ほどの収穫。
昼飯は2軒の蕎麦屋をハシゴして、帰宅してからハナイグチのポン酢あえでビ-ル、これ実に旨し!




〆はハナイグチのカルボナ-ラ。
匂いがボルチ-ニ茸に似ているというハナイグチはパスタにも良く合って美味しゅうございました。




春の山菜、夏の岩魚、秋のキノコ、渓と山の恵みは有りがたいものでございます。
コメント (23)
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飛騨山脈で山トレ

2017-09-16 16:14:35 | 山歩き.散歩
9月9日(土)、今年も飛騨山脈を歩き、そして岩魚と遊ぶ6日間の山旅に出た。
新穂高からの単調な林道の登りを1時間20分歩けばワサビ平小屋に辿り着く。
ここから更に5時間弱、弓折乗越までの登りづめの急登は天泊装備を担いだ老体には死ぬほど辛い登高となる。




重い荷が肩に喰い込み急登の連続に心臓が悲鳴を上げ始めると、なんでこんな企画を立てたのかと後悔に苛まれる。
そんな自分を責めながらも喘ぎながら歯を食いしばって急登を歩き続けて、ようやく第一関門の鏡平まで辿り着けた。




ここでビ-ルに手を付けたら双六まで辿り着けないときつく言い聞かせていたのだけれど、つい口から生ビ-ル下さ~いの声が漏れてしまった。
アタリメとラ-メンの具をつまみに生ビ-ルを一気に煽る、あゝもうここで死んでもいいやと思ったとたんに歩く気が失せてしまった(鏡平山荘泊)






9月10日(日)、朝食を済ませて午前6時に山荘を立ち、弓折乗越への急登の途中で鏡平を振り返る。
よくもまあ、こんな素敵なロケ-ションを探し出したものだと先人の山人たちに関心させられる。




1時間の急登を詰めると弓折乗越、ここで一休みして槍を眺め入る、いい天気だ。




弓折乗越からも更に30分、いやというほどに登りが続く。
ようやく心地よい稜線歩きになると高山植物を愛でる心の余裕が生まれる。
そよ風にたゆたうチングルマの何と妖艶で繊細なことだろうか?




双六に向かう道すがら草をはむライチョウの子とそれを心配そうに声を発しながら見つめる親鳥に遭遇し、
あゝ人も鳥も、子供の成長に心を砕く親の愛の深さは同じなんだなあと思わずホロリとさせられてしまった。




双六小屋、このロケ-ションが大好きです!




三俣山荘と三俣蓮華岳の分岐から、ここまで歩いてきた稜線を振り返る。
登山道は決して平坦ではなくてアップダウンの繰返しであることが良く分かる。




分岐から15分ほど急登を詰めると三俣蓮華岳、先ず目に飛び込んでくるのが勇壮な鷲羽岳!






今回の旅のメインは、ここから黒部五郎小屋に下り、カ-ルに流れる雪解け水でコ-ヒ-を淹れ、神の遊びし庭園でのんびり過ごすこと。
そして翌日は五郎沢を下って黒部本流で岩魚と遊び、天泊して最源流まで遡り、黒部川の最初の一滴でコ-ヒ-を淹れて煙草をくゆらせようというもの!




最初の一滴を味わったら水晶小屋に泊まり、好天が続くようなら予定を1日伸ばして高天原山荘まで足を延ばすのもいい。
高天原の小谷で岩魚と遊んだあとは、日本最奥の露天風呂にまったり浸かるというオプションでも付けようか、、、
そんなことを考えながら、この日はじめての煙草に火をつける。
ここから黒部五郎小屋までは1時間半下るだけ、早めの昼食を取りながら四周の大観に唯々ひたる心地よさに酔いしれる。




三俣蓮華を離れがたく2時間あまりを天辺で過ごした。
気が付けば黒部五郎はすっぽりとガスに覆われ、そのガスは東に流れながら遂には鷲羽も槍も遠く笠までもが全く見えなくなってしまった。
朝霧は晴れ、午後の霧は雨、死んだ爺ちゃんがそんなことを言っていたことを思い出しながら明日からの行程を思案し始める。
天気予報では、明日は曇り、明後日は曇りのち雨、この予報がもし悪化しているのなら源流で2日間過ごすのはリスクが高すぎる。




三俣山荘まで30分下って小屋番さんに明日からの天候を確かめると、明日は雨、明後日は暴風雨の大荒れになるという。
源流帯なので豪雨後1日待てば釣りにはなるけれど明日から3日間の停滞は何ともやるせない。
山荘でケ-キセットを頂きながらやむなく撤退を決断した(夕食は鹿肉のシチュウです)




9月11日(月)、午前5時半過ぎ、ガスが晴れた間隙を突いて鷲羽に登り始めて30分もすると足元にまでガスがかかって何も見えなくなった。
ここで、登頂経験のある我らは撤退し、未踏の女性グル-プは登り続ける、何も見えなくても登頂したという経験と自信は山屋にとって計り知れない財産になる。




三俣山荘を午前7時に立ち、フリ-スと雨具を着込み、フ-ドを被って強風と寒さを凌ぎながら新穂高まで一気に下山する。
弓折乗越の手前で雨になった、敗北感と荷の重さに心が折れそうになったけれど歩き続けるしかほかにない。




鏡平に辿り着く頃にはシャリバテで体が思うように動かなくなっていた。
昼飯を食べればいいのだけれど胃が受け付けなくなっていて、仕方なくネクタ-を2本飲んでエネルギ-を補給する。
ここから更に4時間の急な下りと単調な林道歩きが待っている、ヒザを痛めないように慎重に下った。



疲れ切って新穂高登山口の古いホテルに倒れ込むと、山上の雨を知らない白髭のご主人に随分早いお帰りでと笑われたが言葉を返す余裕もない。
ホテルの湯にじっくり浸かってから、ゆかたに着替えて買ってきたビ-ルとお刺身だけの夕食を済ませて朝まで爆睡した。




9月12日(火)、今日1日体を癒して明日から3日間を平の小屋で過ごすことに決めた。
午前9時、ホテルを出て蒲田川を覗いてみると川は濁流と化している、小屋番さんの予報どおり山は暴風雨、下山して正解であった(これ一応カラ-写真です)




平の小屋はまた出直すことにして、40年前からぜひ訪ねてみたいと思っていた山形村の唐沢そば集落に寄ってみよう。
かつて北アルプスに入り浸っていたころ、山からの帰路にある大きな蕎麦集落の看板が気になっていながら立ち寄る機会を逸していた。
15軒の蕎麦屋が軒を連ねるそば集落のなかで、今回は『からさわ屋』と『水車本店』の2軒、どちらも古い民家そのものである。




先ずは『からさわ屋』
たくわんとキュウリの糠漬けを多めに頂いてビ-ル、そして自家栽培の地粉で打った腰の強い蕎麦を3枚おいしく頂きました。




2軒目は『水車本店』の粗挽き蕎麦の大盛り。
蕎麦の太さ、歯ごたえ、蕎麦とつゆの味、小気味よい喉越し、僕の好みは断然この粗挽き蕎麦でございました。




5泊6日の山旅の計画は、結局は3日間のただの山トレに終始したという次第です。

今シ-ズンも余すところ2週間、皆さまには是非とも有終の美を飾って頂きたいと願っている次第です。
コメント (24)
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