山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

希望の朝よ!

2011-03-27 01:33:37 | 独り言
原発は是か非か?

かつて、そんな議論を激しく戦わせた時代があった。
原発に対する反対運動が巻き起こった時代があった。
あの議論や運動は一体何をこの時代にもたらしたのだろうか?
そんなことをつらつらと考えていると虚しさだけが湧いてくる。

我が国に民主主義はあったのだろうか?
国民が主役だと言われながら民意は国家に通じていたのだろうか?

どんなに危険であろうと結局は国策にストップをかけることはできなかった。
強大な権力の前には我らの意志や反対運動はいつの時代にも無力であった。

その結果が原発事故である!
恐れていたことが今、現実のものとなりつつある。
人間の生命活動が寄って立つかけがえのない自然が汚染されつつある。
事の成り行き次第では東北だけでなく関東も東海も放棄しなければならないかも知れない。


この原発事故は収束どころか、どう見ても悪化に向かっているとしか思えない。
幸いにして、このまま終息してくれたら、、、、。

国家はこの事故を教訓にしようとするだろうか?
それとも、電力が足りないからと国策を変えようとしないのだろうか?

その時こそ、我らはこぞって声を上げるべきである!
我らは、放射能の脅威に怯えながら生きることを断固拒否すると。
決して多くは望まない、ただ健全な土地と心の平安だけが欲しいのだと。

電力が4200万キロワットしかないのなら、それに順応して生きればいい。
太陽光発電だけではどうにもならないだろうが、皆が少しずつ我慢を分け合えばいい。
汚染された土地を捨てて逃げ惑うより、その方が遥かに未来へと希望を繋ぐことができる。

我らが溌剌として生きられるのは、未来への希望があるからこそである!
健全な国があり、土地があり、帰る家があり、家族があり、健康があり、
安全な水と空気と食があり、未来に生きる子供や若者たちが無傷であり
平穏な日々があればこそ未来への希望は保たれる。
不毛の大地と、傷つけられた遺伝子に未来は託せない。

それが守られるなら、他には何もいらないと言い切ってもいいくらいである。
子供たちや自然が健全でいてくれたら、我らの英知と工夫で日本は必ず蘇る。

しばらくの間、経済成長が鈍化しようが、国力が減退しようが、
不毛な大地と傷ついた子供たちを未来に残すよりは遥かにましである。















僕は日本人だから
安全でおいしい野菜を食べたい。
安全でおいしい魚介類を食べたい。
安全でおいしいお米とお蕎麦とを食べたい。
日本の大自然の懐で心ゆくまで遊びたい。
住み慣れた土地で親しんだご近所と笑って暮らしたい。

いま日本人の僕たちは、発想の転換を迫られている時なのかもしれない。
安全な水と空気と土地が保証されるなら、少しばかり不便な生活をも選ぶべきではないだろうか?

間違っても、便利な生活と引き換えに、放射能に汚染された大地や子供たちを未来に残すべきではない。
住み慣れた国や土地を捨てて逃げ惑うリスクを取ることだけは選んではならないと考える。














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春はまだ遠く

2011-03-20 02:16:07 | 独り言
非常事態の時にこそリ-ダ-の真価が問われる!


枝野官房長官の頑張りに賞賛の声が上がっているようだが本当にそうなのだろうか?
国家の中枢にいる人間が未曾有の国難の中にあって不眠不休で事に当たるのは当然のことである。
倒れて命を落とそうともそれは覚悟の上であろうし政治家としても本望であろう。
放射能を浴びながら決死の覚悟で原発に取り組む東電や日立プラント、自衛隊や消防の方々を思えばまだ生ぬるい。

問題はこの広範な救援活動にグランドデザインを描いた上で指揮をとっているかどうかである。

被災地の混乱ぶりを見ればはなはだ疑わしい。
国家が自衛隊、消防、警察、自治体、電力、製油所、医療救護チ-ムなどを統治下において
情報収集、指揮命令を一元化し一糸乱れぬ迅速な救援活動をやっているとは到底思えない。

たとえ被災地が広範囲であれ被害が甚大であれプロは結果がすべてである。
遠くにあって献血、募金、祈ることしかできない自分がなんとも無力でもどかしい。


それでも、お腹は空く。
悲しいかなお腹は空くものだ。
近くの公園でフキノトウを摘んで春の恵みを味わった。







被災地の人たちも、この震災さえなければ漁港は豊漁に沸き立ち
山に入って春の恵みを楽しみ茶飲み友達とのどかな日々を送っていたことだろう。
いつものように職場や学校に出かけ友と語り、家では夕餉の語らいに温もりを感じていたことだろう。

住み慣れた家や肉親を失うということは自分の歴史、生きた証が消滅してしまうことにも等しい。

この心の傷は誰にも到底癒せるものではない。
それでも生きることをやめる訳にはいかないのだ。
住み慣れた地に戻り、親しんだ人たちとの絆を取り戻して生きたいから。









これからもずっと海で漁ができますように

四季折々の山の恵みが収穫できますように

住み慣れた土地に家に早く戻れますように

親しんだ隣近所の人たちと手を取り合って過ごせますように

一日も早く皆さんの笑顔が、子供たちの笑い声が戻りますように


海や大地が放射能に汚染されるまえに
原発の一日も早い収束を願わずにはいられません。

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二重の不幸、我らにできること

2011-03-13 17:50:58 | 独り言
この3日間、朝から晩までテレビ局はどこもかしこも地震報道ばかりに終始している。

災害発生時にいつも疑問に思うことがある。
この金太郎飴のような報道の在り方は何とかならないものだろうかと。

例えば24時間の終夜放送はNHKに任せて、
民放各社は役割分担をして何か他に担うべきことがあるはずである。
独自性を発揮しているラジオと比べて、テレビの横並び姿勢に辟易してしまう。


太平洋沿岸の東北各地の惨状を目にし被災した方々を思うと心が痛むばかりだ。
この大震災から復興し元の生活に戻るまでには気の遠くなるような時間を要するだろう。

この絶望的な惨状を前にして果たして体力と気力は持ちこたえられるのだろうか?


この大きな不幸は、崩壊寸前であった菅政権の延命をもたらした。
無能な菅政権の延命は我ら国民にとって第二の不幸である。


しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。


いま必要なことは、国のリ-ダ-が国民に対して力強いメッセ-ジを発信することである。

国の総力を挙げて被災地を早期に復興し必ずや元の生活に戻してみせる!
そのために国民ひとりひとりの力を貸して欲しい!
財源も足りない、1円でも多くの義援金を同朋のために出して欲しい!

我らはそのメッセ-ジに必ず応えるだろう。
菅直人には応えたくもないが被災した同朋のためなら必ずや応える。
絶望の淵に沈んでいる同朋を思えば我らだけが温くぬくとしている訳にはいかない。


この際、子供手当など即刻全廃してしまえばいい!
働ける環境にある者は働けばよい!
それだけでも被災しなかった我らは恵まれている。
貧しくたって子供は育てられる。

我らや先輩世代は今より遥かに貧しい中で子供を育ててきた。
我らの親の世代はもっと貧しくても子供を立派に育ててきた。
子供手当など甘やかし政策の極みである。
子供手当など充てにするなど恥と思えばいい。
支給された子供手当をそのまま義援金に充てるくらいでちょうどいい!
そのくらいの覚悟をもててこそ日本国民といえるのではないだろうか?

大震災の復興のためには財源がいくらあっても足りないだろう。
被災しなかった我らが少しくらいひもじい思いをしたってかまわない。
被災した方々は途方もない年月、不安と悲しみとひもじさから逃れられないのだ。

この際、無駄は徹底的に省いてありったけの財源を復興事業に充てて欲しいと考える。
片肺飛行のままでは日本の経済も活力もそがれたままになる。
被災地の完全復興を果たしてこそ本来の日本が蘇る。
我らも出来る限りの援助で復興事業の一助にさせて頂きたい。


これは決して対岸の火事ではない。
我らも必ず被災する時が来る。

その時、被災者になった我らにできることは何ひとつない。
難を逃れた同朋の差し伸べてくれる励ましと助けが唯一の生きる糧となるのだ。


一人ひとりの力は小さくても1億人の力を合わせればとてつもなく大きな力になる!


















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