山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

山は男のホスピタル

2009-11-22 23:57:29 | 自然薯 山菜
今日は何故か痛くて腰が曲がりません。
腕も太ももも痛くて階段を下りるのも難儀しています。

慣れない道路工事のアルバイトをやった訳ではありません。
毎年恒例になりつつある八王子の里山の穴掘り作業をやってまいりました。

穴掘りといっても何も地雷を埋めようって魂胆などありゃしません。
ただただ穴掘りを楽しむ、風流じゃありませんか?

八王子山岳民族の長(オサ)、熊さんを先頭に僕と息子と息子の嫁が隊列を組み
武器を片手に突入したのは去年と同じ竹藪の密集地でした。

掘り進むこと1時間半、1.5メ-トルの縦穴から現れたのはこれ。
それは見事な自然薯ではありませんか?

酒のアテにとろろ汁と磯辺揚げ、そして今年は新たに熊さんから
自然薯と豚バラだけで作るお好み焼きを伝授されたので楽しみがまたひとつ増えました。



 
 



昼はビ-ルとカップ麺、労働の後のビ-ルはことさらに旨いのです。

 


もう一つの穴は僕が掘りました。
垂直堀りで1.5メ-トル、きついの何のって老体にはホントにこたえます。
ひと汗かくまえに体の筋肉が言うことをきかず僕はここでギブアップ。

結局最後の20センチは熊さんの職人芸に頼るほかありません。
どうです、これも立派な自然薯でしょ、もう感動ものですナ!

ちなみにベッドライトを付けているのは穴が深くて暗くて見えないからなのです。


 
 



今回の収穫は3本、1本は熊さんがホンの30分でちゃちゃっと掘ったもの、さすがですな。
戦利品はこうして篠竹にくるんで弦で巻けば全然傷まずに運べるという寸法です。
今回の芋掘りで味を占めた息子と嫁は熊さんに弟子入りすることとなりました。

 



さて、ひと仕事終えたあとは何と言っても焼酎なんですな。
岡林信康の山谷ブル-スは今でも我らの愛唱歌なのであります。


と言うことで、今回は師匠の熊さんに国分寺までわざわざお出でいただいて
ホルモンと焼酎で師弟の盃を交わす儀式と相成りました(いつも交わしてるって)

馬刺し、レバ刺し、コブクロ刺し、ホルモン焼き、梅エキス割りの焼酎と師匠は豪快に平らげ
何とも気持ち良い呑みっぷり喰いっぷりに見ているだけでスカッとする一夜でありました。

 
 


そして〆はいつもの『源』で醤油うどん。
呑んだ後はレモンとおろしと出汁じょうゆが実に良いのです。

 


山での芋掘り
筋肉痛で体中が悲鳴を上げていますが気分は爽快、やっぱり山はいいですねえ。

そして前回の『ほんま』といい、友の有難さを身にしみた一日となりました。

山と酒と友に心から感謝です、ありがとうございました。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒場は男のホスピタル

2009-11-15 23:06:01 | 川飯.B級グルメ
僕は今、少しだけ鬱に入っている。
一言で言えば『生きていることがつまらない』、そんな症状をきたしている。

ふる里の生家を取り壊して跡形もなくなり、19年程も連れ添った我が子のようなモモに先立たれ、
釣りのシ-ズンも終わって、何もかもが億劫で腑抜けのようになった自分がもどかしくてならない。

そんな僕を西丹沢の釣友が哀愁漂う酒場へと誘ってくれた。
僕を癒してやろうなどと言う気は彼らには更々ない、唯々旨い酒を呑みたい、それだけの事である。

それでも彼らに寄り添ってもらっていると何故か癒される、そんな心優しい男たちなのである。


暖簾をくぐったのは大井町の『ほんま』、ハラミが売りのお店である。
酒場巡りでは既に達人の域に達しつつある世附の川原乞食集団のホリャ酋長御用達のお店である。




先ずはカウンタ-に陣取って酒肴を注文したら、お店の親爺さんとしばし掛け合いを楽しむ。
お互いの素性を知り、好みを知り、人柄を知る、酒場に浸るには無くてはならない儀式でもあるのだ。

運ばれたお通しはイカをワタで煮付けた一品、呑み助にはこれだけで充分と思わせる逸品であった。
プリプリのレバ刺しもさすがである、次はニンニク醤油で食べてみたいものである。




そして初めての牛ハラミの刺身、ゴマとワサビと塩で頂く。
さすがにお店の売りだけあって何と鮮やかなことか、次はワサビ醤油で食してみたいと思う。




このハラミステ-キを一度食すると、高い銭を払ってまで高級レストランに行くのがアホらしくなるほどの絶品である。
久しぶりのホッピ-も場末の哀愁酒場には無くてはならないお約束である。

酒場へ一歩踏み入ったら決して難しい話しはしないのも掟である。
とりとめのない話しに笑い、ここに居ない誰かの悪口に共感し、想い出話しに涙する。
皆それぞれに体を病み心を病んだ男たちにとって酒場は心なごむホスピタルなのである。






旨い肴をつまみつつ、チビリチビリとほろ酔う。
心を病んでいる僕にとってはこんな酒場の雰囲気が何とも心地よい。
そしてそれ以上に気の置けない友と寄り添うひとときに癒される。






と、ここまではそうであった。
我らの酔い加減を見計らっていたのか、お店の親爺が我らに挑戦状を叩きつけてきたのである。

ゴボウ入りの山盛りすき焼き、大皿に盛られたハラミカレ-が目の前にド-ンと置かれた。
これは我らに対する無言の果たし状である。よせばいいのに我らも受けて立って皿をカラにした。

我らはこの戦いに勝利はしたものの、200パ-セントの満腹感にもだえ苦しみ
うつろな目に涙を浮かべながら、よろよろとこの店を後にしたのである。
やはり我らは一生涯『小粋』な酒呑みにはなれない、生粋のおバカであることを悟った夜でもあった。


帰りの道すがら、まるで時が止まったような小路があった。そそられる!
酒呑みには、この妖しげに手招きする小路に目を背けることなど出来るはずもない。

見えない糸に引かれるように誰ともなしに小路に迷い込んでゆく。
いっそのことに迷い込んだ迷路から出られなくなることの方が幸せなのかも知れないとさえ思う。




この郷愁そそる酒場は、酒呑みにとっては決してホスピタルとはなりえない、それどころか、病の元凶にもなる。

救いようのない末期症状の呑兵衛たちにとって此処はまさに『ホスピス』、最後の拠り所なのではあるまいか?

朋友(ポン友)というお店の看板が目に入った。
すでにこの言葉も死語になって久しい。
親友とは違う、時には悪い遊びもするが、どこまでも気の許し合える仲間。
釣りの友も、山の友も、酒の友も、いつまでも朋友(ポン友)の仲でありたいと思う。




コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粋だね!

2009-11-03 23:06:15 | 山歩き.散歩
あれからもう20日も経つのだろうか?
ワクワクさせてくれた渓流シ-ズンが終わって僕は軽い鬱に悩まされている。

何をするにも意欲が湧かず、やりたいこともなく感動もせず、人と話をするのも億劫で
何を食べても美味しくもなく、酒を呑んでも気分が高揚することもない。

多分、モモを失ったペットロス症候群の症状が今になって一気に現れ始めたのかも知れない。
それを知ってかカミさんは、うつろに過ごす僕の休日を何も言わずに見守ってくれている。

これではいけないと久しぶりに山へ出かけてみた。
山は常緑樹の深い緑に縁取られて百花繚乱の色を競っているが気分は落ち込んでゆくばかりである。
これが花咲く春ならば心身共に昂揚感に包まれるのだろうが季節の移ろいは人の心までも変えてしまうようである。






枯れ木を集めて焚火を作り、、、、、
しかし山飯も作れず酒も呑めず、唯々大の字になってむなしく空を眺めていた。





三遊亭圓楽さんが亡くなられた。
僕は圓楽さんの師匠『圓生さん』の名人芸に魅せられて20代の頃は小屋通いを続けてたものである。

極められたいぶし銀の芸に漂う色気、着物の着こなし、立ち居振る舞い、その中に男の『粋(いき)』を感じていたものである。

 


僕が尊敬する方の一人に某上場企業のM部長、後に大学教授になられた方がおられる。
このM部長、『遊びを知らない男は仕事も出来ない』
そう言っては若造の僕を銀座や向島に連れ出しては小唄や都々逸の手ほどきをしてくれたものである。

結局僕は殆どものにできずに終わった訳であるが、僕はここで『粋』の神髄を見せられた思いがする。


 


圓生さんとM先生に共通するもの、それはインテリジェンスに溢れ、道を極められたのは勿論であるが、
何よりも遊びを知っている遊び人であったということだろうか?

無駄を削ぎ落としてなお少しくずした着こなし、そこはかとなく感じる男の色気、
それは知性と遊びから滲み出てくるものなのかも知れないと思う。



 


里に下りると秋色に染まった艶やかな果実がたわわに実っている。

山や里や木や花たち、季節の移ろいを妖しく写すその自然こそが実は一番『粋』なヤツなのかも知れないと思う。

あゝ、有楽町ひょっとこの『ゆずら-めん』が無性に食べたくなっちゃった!

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする