錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

「錦之助映画祭りイン京都」当日(4月11日)その7

2009-05-10 17:17:08 | 錦之助映画祭り
 舞台の脇のスタンド・マイクで、まず私が客さんにご挨拶とお礼をして、中島監督を紹介する。お客さんには今日の聞き手が中島監督であることを知らせていなかったので、ちょっとしたどよめきが起こる。舞台の中央で中島監督のご挨拶が済み、いよいよ有馬さんを紹介する。舞台袖から有馬さんが颯爽と登場。盛大な拍手だ。後ろのほうにちょっと空席が目立つが、客席中央から前のほうまではほぼ満員。300名ほど入っている。



 舞台中央のテーブルには、白いクロスがかけられ、白と赤のバラを生けた花瓶が置いてある。有馬さんがお辞儀をした後、中島監督がイスをすすめられ、お二人でトークショーが始まる。

 有馬さんの思い出話は30分ほど続いた。前もって中島監督には錦之助さんとのなれそめから有馬さんにインタビューしてほしいとお願いしてあったが、その通りに進む。雑誌「近代映画」の対談で初めて錦ちゃんに出会った時のこと。錦之助ってどんな人なのか知らなかったので、対談の前に、彼の主演映画を観に行って、それが『一心太助』だった。その時、明るくて、なんて素晴らしい俳優なんだと感心した話。(実は、これは有馬さんの思い違いで、対談前に観た映画は『獅子丸一平』だった。でも有馬さん、今でも『一心太助』の錦ちゃんがものすごく好きらしい。)対談のあった日、有馬さんが錦ちゃんを田園調布の自宅へ招いてご馳走したのは有名な話だが、この話も披露。対談は仕事だから誰とでも行うが、女優が、初対面の対談相手、それも男優を自宅に誘うのは異例である。よほど二人が意気投合したからにちがいない。これは私の推量。
『浪花の恋の物語』がクランクインして、二週間後(一週間後だったか)に錦ちゃんからプロポーズされ、ご家族にも紹介されたとのこと。この話も有名。二年前の東京映画祭でのトークショーでも有馬さんは同じことを語っていた。その時は、あたしが錦ちゃんのことを好きだともなんとも言わないのに、まるで許嫁みたいにされちゃったとおっしゃっていたが、これは有馬さん独特のポーズで、有馬さんだって錦ちゃんに熱を上げていたことは明らか。ただし、そのころ、有馬さんの側にプラーベートで複雑な事情があったことも確かで、その辺のところは有馬さんの自伝「バラと痛恨の日々」に書いてある。
 この日の有馬さんは、ご自分でこの本の紹介までなさる。ちょうどその時、一番前に座っていたお客さんが単行本の「バラと痛恨の日々」を持って来ていて、舞台の前にこの本を差し出す。こういう時は私の出番で、あわてて舞台へ行き、本を受け取ってみなさんにお見せする。単行本は多分絶版なので、「今、この本は文庫本になっていて、中公文庫に入っています」と声を出す。



 トークの途中でもう一つハプニングが。客席の右側に座っていたお客さんから「花で有馬さんのお顔がよく見えないよ!」とクレームがつく。すぐに私が飛び出して行って、花瓶をテーブルの前の床に置きなおす。

 有馬さんのお話で大変印象的だったことを挙げておこう。
「結婚していたころは、夫婦二人っきりで食事をすることなんか、めったになかったわね!」
 これは、いつも家に錦ちゃんの仲間が来ていて、酒の肴や料理を作ることに一生懸命だったから。
「あたしが別れたのは、決して錦之助さんが嫌いになったからではなく、歌舞伎界のしきたりに耐えられなくなったからなのね」
 有馬さんは、錦之助さんが好きだったのに、仕方なく離婚なさったような意味のことを力説していた。
「子連れ狼のあの役は暗くて、あたし、嫌いだった。明るい錦ちゃんがなんでああいう役をやるのか分からなかったわね」
 ということは、有馬さん、離婚なさってからも錦之助さん主演のテレビはご覧になっていた様子。
 
 最後に、錦之助さんが亡くなった時のことに話が及ぶ。
 ちょうどその時、有馬さんは脚を痛め、手術をされたばかりだった。が、入院していた病院が、斎場の芝・増上寺の近くにあったので、なんとかお通夜だけは行こうと思い、急きょ歩行訓練を積んで出向いたという。
 NHKの大河ドラマ『花の乱』を観て、錦之助さんの重厚な演技に感動し、今後の活躍を期待していただけに、ほんとうに残念でならなかったとおっしゃっていた。
 
 中島監督は、ほとんど有馬さんの聞き手役に終始していたが、監督のお話で面白かったのは、松方弘樹主演の『真田幸村の謀略』に錦兄イが特別出演してくれた時の話。この映画で、錦之助さんは徳川家康に扮するのだが、いわゆる「狸オヤジ」の家康といった悪役で、実は私個人としてはこの映画も錦ちゃんの役も気に入っていない。が、中島監督にそんなことは言えないし、今まで監督との間でこの映画を話題にしたことはなかった。それはともかく、ラストシーンで、真田幸村が家康の首をはねる場面があり、錦之助さんが中島監督にこう尋ねたそうだ。
「オレの首、はねるっていうが、下にごろっと落ちるのか?」
 錦兄イがなんだか寂しそうな顔つきをしているので、中島監督が一計を案じた。はねられた家康の首を威勢良くびゅーっと空高く打ち上がるようにしたのだという。錦之助さんはこのアイデアが気に入り、えらくご満悦だったそうな。(つづく)



「錦之助映画祭りイン京都」当日(4月11日)その6

2009-05-10 13:55:04 | 錦之助映画祭り
 有馬さんと入り口で挨拶を済ませ、展示したポスターなどをご覧に入れてから、関係者控え室へご案内する。有馬さんはこの4月3日で喜寿(77歳)になられたのに、まったくおばあさんといった雰囲気はない。一つには、今も第一線で女優さんを続けていらっしゃるからにちがいない。それと、この年代の女性にしては背が高く(160センチほど)、ふくよかだからだろう。
 今日の有馬さんは、ちょっとエスニックなレンガ色のドレスに目も鮮やかなオレンジ色の上着をまとっている。フランス人のおしゃれなお年寄りといった感じで、年をとると逆に派手な色合いの服を着るという考え方を有馬さんもお持ちなのかもしれない。それとも、トークショーのためにとくに引き立つ衣裳を着ていらしたのか、普段着の有馬さんを見たことがない私にはよく分からないが、きっと派手好みなのだと思う。いかにも「大輪の花」有馬稲子といった印象である。
 有馬さんにお目にかかりじかにお話しするのは今日が始めてだったが、やはりズバズバとものを言うタイプの方だった。遠慮なくはっきり自分の思っていることを言ってくださる方は私も好きだし、かえって気を回さないで済む。
 控え室で有馬さんにトークショーの段取りを簡単に説明する。有馬さん、ソファにどっしり座って、ふん、ふんと頷いて聞いていらっしゃる。貫禄十分で、有馬さんがなんだか女帝のように見えてくる。これからの謁見を前に、介添え役の私が式次第の説明をしているような気分になってくる。付き人の方もほとんど無言でかしこまっている。
 トークの後、ロビーでファンとの交流を兼ね記念本にサインをお願いできるかどうかを尋ねる。
「でも、錦ちゃんの本にあたしがサインするのも変だわね」
「みなさん、きっと喜ばれると思うので、どうかお願いします」
「じゃ、いいけど、混乱しないようにうまくさばいてよ」
 そう言われて、内心、不安になる。お客さんがずらっと並んだら、さばききれるだろうか?まあ、新文芸坐の時もゲストの方が100人以上のお客さんにサインしたので大丈夫だろう。一人20秒くらいだから、40分くらいですむはずだ。現在お客さんは250人以上いるが、記念本を買ってサインを求める方は半数くらいだろう。
「あまり多ければ、適当なところで切り上げますから、よろしくお願いします。それと、ファンが写真を撮ってもかまわないでしょうか?」
「いいわよ」
「ありがとうございます!」
 で、有馬さん、最後にぐさっと一言。
「あなたって、よくしゃべるし、いろいろ要求が多いわね!」
 お化粧直しをなさってから『浪花の恋の物語』をちょっとご覧になりたいとおっしゃるので、私は控え室を出て、付き人さんの方に関係者用に取って置いた桟敷席の場所をお教えする。

 受付に戻りしばらくすると、中島監督が戻っていらっしゃる。そろそろ『浪花の恋の物語』も終わりそうになって、今度は中島監督といっしょに控え室に行き、有馬さんに中島監督が挨拶されてから10分ほど歓談。お二人が会うのは久しぶりらしいが、懐かしそうに昔話をしている。私は口をはさまずそばで聞いていただけだが、有馬さんは錦ちゃんまたは錦之助さんと呼び、中島監督は錦兄イと呼ぶ。中島監督にとって有馬さんは姐さんのような存在だったようだ。
 錦之助さんと有馬さんが結婚されて夫婦であったころに中島監督はお二人と親しくなさっていたとのこと。これは監督のお話だが、助監督時代、最初は有馬さんのほうと親しくなり、有馬さんから錦之助さんと付き合うように指示されたのだという。当時錦之助さんは撮影所のスタッフの方とばかり飲んでいて、大学出のインテリの飲み仲間がいなかった。そこでインテリ好きな有馬さんがお気に入りの中島さんを錦之助さんの話し相手に選んだそうな。中島さんは東大文学部卒で、大学時代から演劇青年であった。その後錦之助さんと何度も飲んで話しているうちに、錦兄イの人柄に惚れ込み、錦兄イを慕うようになったのだという。
 錦之助出演作品で中島さんが助監督に付いた映画は、『親鸞』『続親鸞』『ちいさこべ』『武士道残酷物語』『関の彌太ッぺ』などである。中島さんの監督作品で錦之助出演作は『真田幸村の謀略』1本だが、『赤穂城断絶』では深作欣二監督に頼まれ、B班の監督をやったそうだ。錦之助さんの出演しない場面の多くは中島監督が撮ったようで、以前監督は私にこんなことをおっしゃっていた。
「錦兄イから、オレの出るところも撮ってくれよと言われて、困っちゃったんだよ」錦之助さんが深作監督とソリが合わなかったのは有名な話だ。
 有馬さんと中島監督の会話が一段落して、有馬さんがふーっと一言。
「でも錦ちゃん、なんであんな病気になっちゃったんだろ?」
「やっぱりお金で苦労したからでしょうな」と中島監督。
 会話がとぎれた合間に私が口をはさむ。近代映画の『浪花の恋の物語』特集号の対談で、錦ちゃんがネコちゃんのことを「女中」と呼び、ネコちゃんは錦ちゃんを「ジイヤ」と呼んでいるのだが、その真偽を確かめようと思ったのだ。が、私の質問は言下に否定された。
「そんなことなかったわよ!女中なんて呼ぶわけ、ないわよ」
 なんてことを訊くんだという顔つきで有馬さんが私をにらむ。恐い。
 雑誌の対談記事というのは、ご当人が実際に話していないことも多く、面白おかしく書いてあるので、「女中」「ジイヤ」の呼び名はでっち上げかもしれない。あるいは、有馬さんがもうお忘れになったのかも……。どうでもいいか。
 そうこうするうちに、トークショーの時間が来る。祇園会館のスタッフに案内され、舞台裏に向かう。(つづく)