初めは、祇園会館で土曜と日曜の2日催そうと思っていたが、中島監督曰く、「京都での興行は難しいぞ。祇園会館は器が大きいから、土曜日一日だけにしたほうがいいんじゃないか。」京都映画祭でも、集客には大変苦労しているそうなのだ。そこで祇園会館では「錦之助映画祭りイン京都」のオープニングとして4月11日の土曜1日だけにして、山田支配人に予約をお願いする。その後引き続いて6月に京都シネマで一週間か二週間、錦之助祭りを行うよう神谷さんと打ち合わせ、3月になってからプログラムを決めることで合意。
10月半ばに「マキノ映画誕生100年~徹底特集」と銘打って第6回京都映画祭が催された。早速、錦之助映画ファンの会の会報を制作し、祇園会館へ1000部送り、配布してもらうことにする。錦之助映画祭りの開催と日程を今のうちに映画ファンに知らせておこうと思って、作戦を開始したわけだ。
10月13日土曜にはマキノ雅弘監督、錦之助主演の映画『おしどり駕篭』と『清水港の名物男 遠州森の石松』の2本が上映され、トークゲストに丘さとみさんがいらっしゃるというので、私は再度京都・祇園会館を訪ねた。ファンの会のみんなも10名以上詰め掛けた。この日は錦ちゃんの映画2本と大川橋蔵主演の『いれずみ半太郎』を観て、丘さんのトークショーを楽しみ、日帰りで東京へ帰ってきた。それにしても、これほど豪華なラインアップなのに、観客が半分も入っていないことには驚く。250名に満たなかったと思う。中島監督の言う通り、京都ではお客さんの入りが悪い。これは大変だ!「錦之助映画祭り」も安閑はとしていられないと気を引き締める。
東京に帰って、急きょ有馬稲子さんのゲスト招聘の方策を考える。京都映画祭の実情を目の当たりにし、京都でお客さんを集めるには、有馬さんくらいのスターを招かないとダメだと痛感したからだった。有馬さんには、8月に錦ちゃん祭りへの協力を要請して快諾を得てはいたが、横浜にお住まいの有馬さんを京都までお呼びするにはそれなりの準備がいる。まず、上映作品に『浪花の恋の物語』を加えることが必須条件になる。『浪花の恋の物語』は東映に上映用フィルムがなく、この映画を上映するとなれば、フィルムセンター所蔵のフィルムを借りるか、ファンの会がお金を出して東映にニュープリントを制作してもらうしかない。10月の時点では、フィルムセンターからフィルムを借りることは困難な状況だったので、東映営業部に連絡をとる。前に注文した5本に加え、『浪花の恋の物語』もニュープリントにしてもらいたいと依頼。この映画、内田吐夢監督、錦之助、有馬稲子の傑作であるもかかわらず、東映に上映用フィルムがないこと自体おかしいと思うが、今更文句も言っても始まらない。次に、中島監督に連絡を取り、お伺いをたてる。監督は、有馬さんとは懇意だそうで、トークショーの聞き手をお願いすると、喜んで引き受けてくださる。「有馬さんを呼ぶなら、出演料に新幹線のグリーン車代と一流ホテルの宿泊費をプラスしなくてはいかんな」と一言。有馬さんは現役の女優さんである。いくら差し上げれば良いのだろう。でも、お客さんを集めるためには、背に腹はかえられない。
有馬さんの事務所へ連絡して事情を説明し、私からの手紙を有馬さんへ渡してほしいとお願いする。8月にも有馬さんへはお手紙を書いて協力をお願いしたのだが、これで二度目である。錦之助映画祭りを企画してから、ずいぶんたくさんの方々に手紙を書いてきたが、ファックスではなく封書で長文の手紙を3通も送ったのは有馬さんだけだ。(実は12月にもう1通送った。)さらに言えば、3通も手紙を送って、ご本人から1通もお返事をいただかず、事務所のマネージャーから電話で伝言をいただいたのも有馬さんだけだった。それはともかく、手紙を出して一週間後に、有馬さんから間接的にオーケーをもらい、一安心する。きっと私の誠意が通じたにちがいない。(つづく)
10月半ばに「マキノ映画誕生100年~徹底特集」と銘打って第6回京都映画祭が催された。早速、錦之助映画ファンの会の会報を制作し、祇園会館へ1000部送り、配布してもらうことにする。錦之助映画祭りの開催と日程を今のうちに映画ファンに知らせておこうと思って、作戦を開始したわけだ。
10月13日土曜にはマキノ雅弘監督、錦之助主演の映画『おしどり駕篭』と『清水港の名物男 遠州森の石松』の2本が上映され、トークゲストに丘さとみさんがいらっしゃるというので、私は再度京都・祇園会館を訪ねた。ファンの会のみんなも10名以上詰め掛けた。この日は錦ちゃんの映画2本と大川橋蔵主演の『いれずみ半太郎』を観て、丘さんのトークショーを楽しみ、日帰りで東京へ帰ってきた。それにしても、これほど豪華なラインアップなのに、観客が半分も入っていないことには驚く。250名に満たなかったと思う。中島監督の言う通り、京都ではお客さんの入りが悪い。これは大変だ!「錦之助映画祭り」も安閑はとしていられないと気を引き締める。
東京に帰って、急きょ有馬稲子さんのゲスト招聘の方策を考える。京都映画祭の実情を目の当たりにし、京都でお客さんを集めるには、有馬さんくらいのスターを招かないとダメだと痛感したからだった。有馬さんには、8月に錦ちゃん祭りへの協力を要請して快諾を得てはいたが、横浜にお住まいの有馬さんを京都までお呼びするにはそれなりの準備がいる。まず、上映作品に『浪花の恋の物語』を加えることが必須条件になる。『浪花の恋の物語』は東映に上映用フィルムがなく、この映画を上映するとなれば、フィルムセンター所蔵のフィルムを借りるか、ファンの会がお金を出して東映にニュープリントを制作してもらうしかない。10月の時点では、フィルムセンターからフィルムを借りることは困難な状況だったので、東映営業部に連絡をとる。前に注文した5本に加え、『浪花の恋の物語』もニュープリントにしてもらいたいと依頼。この映画、内田吐夢監督、錦之助、有馬稲子の傑作であるもかかわらず、東映に上映用フィルムがないこと自体おかしいと思うが、今更文句も言っても始まらない。次に、中島監督に連絡を取り、お伺いをたてる。監督は、有馬さんとは懇意だそうで、トークショーの聞き手をお願いすると、喜んで引き受けてくださる。「有馬さんを呼ぶなら、出演料に新幹線のグリーン車代と一流ホテルの宿泊費をプラスしなくてはいかんな」と一言。有馬さんは現役の女優さんである。いくら差し上げれば良いのだろう。でも、お客さんを集めるためには、背に腹はかえられない。
有馬さんの事務所へ連絡して事情を説明し、私からの手紙を有馬さんへ渡してほしいとお願いする。8月にも有馬さんへはお手紙を書いて協力をお願いしたのだが、これで二度目である。錦之助映画祭りを企画してから、ずいぶんたくさんの方々に手紙を書いてきたが、ファックスではなく封書で長文の手紙を3通も送ったのは有馬さんだけだ。(実は12月にもう1通送った。)さらに言えば、3通も手紙を送って、ご本人から1通もお返事をいただかず、事務所のマネージャーから電話で伝言をいただいたのも有馬さんだけだった。それはともかく、手紙を出して一週間後に、有馬さんから間接的にオーケーをもらい、一安心する。きっと私の誠意が通じたにちがいない。(つづく)