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錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『曽我兄弟 富士の夜襲』(その9)

2007-02-02 17:27:29 | 曽我兄弟
 『曾我物語』を読むと、この兄弟の仲の良さが非常に強く印象に残る。弟が箱根の山を抜け出し、兄を頼って里帰りして以来、兄弟の縁が深まったようである。北条時政のところへ連れて行き、五郎を元服させ、危うく坊主にさせられそうなところを男にしてやったのも兄の十郎だった。大磯の遊女の館へ初めて弟を連れて行ったのも兄だったようだ。そのうち、二人で女遊びを続けるようになるのだが、私が不思議に思うのは、遊ぶ金がどこから出ていたのかということである。曽我の家は貧乏で、母親はもちろん、継父からも小遣いをせびるわけにはいなかない。もしかすると、大物の北条時政あたりがパトロンになっていたのかもしれない。
 北条時政と曽我兄弟の関係は、『曾我物語』には説明がほとんど出ていない。兄の十郎が以前から時政の屋敷に出入りしていたことが書いてある程度である。曽我兄弟の伯母が時政の先妻だったようで、また兄弟の叔父も時政が烏帽子親だったため、兄弟はその縁を頼って彼に近づいたらしい。継父の曽我祐信が弱小武士であまりにも力がないこともあり、有力者の後ろ盾を必要としたのだろう。時政と言えば、頼朝の妻・政子の父で、この頃すでに頼朝の参謀役になっていた。伊豆・駿河の守護にもなり、伊豆以西に一大勢力を持っていた。
 ところで、映画では、北条時政は全く登場せず、ただ元服する時の五郎のセリフの中に、その名前が出てくるだけだった。幼い頃から目をかけてくれた北条時政公の名前をいただき、時致(ときむね)と名乗りたいと五郎に言わせるのだが、突然、時政の名前が出てくることに違和感を覚えなくもなかった。烏帽子親として時政を登場させるとストーリーが煩雑になると脚本家の八尋不二は思ったにちがいない。だから、五郎の実名・時致の由来だけに触れて済ませたのだろう。
 
 話が逸れるが、曽我兄弟の仇討ちには、黒幕・北条時政による頼朝暗殺説というのがある。時政が兄弟を利用し、工藤祐経の仇討ちと同時に、頼朝までも暗殺させようと謀ったというものである。この説を主張している歴史家も数多くいるようだ。古くは中世史の碩学・三浦周行(ひろゆき)がその先鋒だったらしいが、中央公論社刊の『日本の歴史』(第7巻 鎌倉幕府)を読むと、著者の石井進・元東大教授もこの説を有力視している一人である。
 要点はこうだ。工藤祐経の仇討ちを済ませた後、なぜ曽我五郎が頼朝の居る本陣まで乗り込んでいったのか、頼朝に諫言するためというのはどうも変で、頼朝を殺すのが真の目的だったと考えられなくもない。北条時政と曽我兄弟の関係はかなり濃密で、権謀術数にたけた時政なら、若い兄弟をうまく利用することも十分可能だったというわけである。1192年に源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた時、北条時政は頼朝の舅として参謀的役割は担っていたが、その地位は決して高くなく、権力の中枢にあるわけではなかった。そこで、頼朝を倒し、政子と嫡子でまだ幼い頼家を操って幕府の実権を握ろうとしたのではないか。1193年、曾我兄弟が仇討ちを行った富士の裾野での巻狩に際しても、北条時政は設営と警備を任されていた責任者であったから、工藤祐経の仮屋も頼朝の本陣の様子も当然知っていたはずで、時政が曽我兄弟に詳しい情報を流したのではないか、というわけである。
 こうした観点から見てしまうと、曽我兄弟が鉄砲玉に利用されたやくざのチンピラみたいで、仇討ちの美談もまるで仁義なき戦いなって、血なま臭い暗殺事件になってしまう。
 時政・黒幕説は認めても、頼朝暗殺まで時政が謀ったということはあり得ないと考える学者もいる。最近になって曽我兄弟に関する本を二冊書いた坂井孝一創価大学教授がそうである。先日私はこの二冊の本、『曽我物語の史実と虚構』と『物語の舞台を歩く・曽我物語』を買い求め通読してみたが、記述も詳しく興味深い本だった。それによると、時政が狩場で曽我兄弟に工藤祐経を討たせる手引きをした可能性は極めて高いが、仇討ち前後の経緯から観て、頼朝の後見人の立場にあった時政が頼朝暗殺まで画策したとは考えられないという意見だった。
 いずれにせよ、曽我兄弟の仇討ちは、純情で一途な二人の兄弟の悲しく感動的な物語として長い間語り継がれて来た。出来れば、このまま美談の形で残しておきたいと思う。鎌倉時代の史料は乏しいし、いろいろ推理を働かせても決して真相は判明しないことなのではあるまいか。まあ、私のような歴史の素人が言うことでないかもしれないが、映画を観て好奇心に駆られ、仮名本の『曾我物語』を拾い読みし、歴史の本を何冊か読んでみて、私はただそう感じたまでのことにすぎない。(つづく)





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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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私も読みました (どうしん)
2007-02-02 23:07:33
「曾我物語の史実と虚構」「物語の舞台を歩く・曾我物語」と玉川こども図書の「曾我物語」の三冊を背寒様の思い入れに引き込まれて、図書館で借りて走り読みしました。史実と虚構は、いろいろ知らなかったことを興味深く読みました。こども図書のは、判りやすくて、よかったですよ。史実がどうあれ「曾我物語」が今の世でも「忠臣蔵」のように大衆の心を打つ物語であるということですね。
あぁ 背寒様の「曾我物語」は何処まで続くのでしょう!
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そろそろ終わります (背寒)
2007-02-03 11:23:58
曽我兄弟のことばかり書いているので、錦ちゃんファンからブーイングが聞こえてきそうです。あと一回で終わりにして、また錦之助の別の映画について書こうと思っています。寄り道もいい加減にして、「錦之助ざんまい」に戻らなくちゃ!
曽我兄弟を書いたこどもの本は何冊かあるようですが、まだ読んでいません。今度探してみます。
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今観終りました (佐藤 重忠)
2007-02-05 23:48:55
ビデオが今日届き
まず一回目を観終わりました。
畠山重忠のおいしい役どころ堪能しました。

小生は「世になし者たちの祝祭 畠山重忠と曾我兄弟」
を読んでいたので一万のほうが、大人しめに描かれて
いたのでちょっと戸惑いました。

背寒様の(その1)からを読み直し、また観直します。
女性達の描かれ方が確かにもったいないと感じました。
しかしこの物語を詳細に描くとしたら某大河クラスの
スパンが要るんでしょうね。

たしかに白い糸、気になりました。

佐藤 重忠
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やっと終わりました。 (背寒)
2007-02-07 02:52:04
今、書き終わりました。あと一回で、「曽我兄弟」を終了しようと思ったのですが、結局三回分も加えてしまいました。
佐藤さんはついにこの映画を手に入れて鑑賞なさったのですね。おっしゃる通りで、曽我物語を忠実に描こうとしたら、とても二時間足らずでは描けない、と私も思います。いろいろ細かい点にケチを付けてしまいましたが、私はこの映画が大好きなことは変わりありません。
十郎は東千代之介が演じたイメージで良いのではないかと思います。大人しくて我慢強い感じですが…。五郎の方は暴れん坊で、錦之助のイメージがぴったりだと思います。ただ、映画では箱王の時代が長かったので、ちょっと子供っぽくてメソメソしている印象が残ってしまいましたが…。
畠山重忠についてはほとんど何も書けませんでしたが、曽我物語には出て来ない所で彼を登場させたことにはちょっと抵抗を感じないわけでもありませんでした。兄弟が狩場の宿所に潜り込んで、警護の者に怪しまれた時、畠山が出て来て兄弟を助けて工藤の宿所を教えたり、また、最後に十郎と刃を交えながら自害するよう説得する場面は変だなーと思いました。十郎と刃を交え、討ち取るのは新田(仁田)忠常という武将で、畠山ではありませんからね。まあ、大友柳太朗の出番を多くして、役柄を引き立たせたわけですが、大友自身も彼のファンもそれで大いに満足したのではないかと思います。でも、曽我物語の愛読者や歴史家はどう思ったのでしょうか。作り変えすぎていると感じた人もいたかもしれませんね。
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