『徳川家康』は、封切りの時映画館で観た。その時私は小学6年生だったが、ものすごい感動を受けた。それがなぜかは分からなかった。ただその感動の大きさに打ちのめされた。そして、この映画の何が12歳の私に感動を与えたのかについて考えもせずに、その後ずっと、邦画洋画を問わずに多くの映画を観続けてきた。今私はここで「錦之助ざんまい」というブログの記事を書いているが、錦之助の映画ばかりを観てきたのではない。幼少の頃はそうだったが、自我に目覚め始めた頃以来長い間、映画ファンだった。封切りの映画も古い映画も、観たいと思った映画は出来るだけ観てきたと思う。
時代劇で言えば、もちろん黒澤明の大作も溝口健二の名作と呼ばれる映画も、全盛期の東映時代劇も大映時代劇も独立プロの時代劇も、70年代後半から製作が始まった新しいスペクタクル時代劇も、一応評判となった時代劇映画は、映画館で観たりビデオを借りたり買ったりして、観てきたつもりである。そのほとんどは戦後の映画で、戦前に作られた時代劇映画で観たものは数少ないことだけはお断りしておくが、40年前から10年ごとに新に観た映画も加えて、自分の中で時代劇映画ベスト作品を選ぶと、いつも『徳川家康』が第一位なのだった。たとえば、黒澤明の『七人の侍』や『用心棒』と比べてみても、『徳川家康』の方が私の中では上位に来る。溝口健二の『雨月物語』や『山椒大夫』と比べるのは無理かもしれないが、それでも『徳川家康』の方が私の中では評価が高い。
『徳川家康』は、伊藤大輔監督入魂の力作だったと思う。この映画は昭和40年の正月に公開されたが、この頃すでに衰退していた東映時代劇にとっても、いわば落日の最後の輝きを放った大作だった。
原作は、言うまでもなく山岡荘八の『徳川家康』である。著者が昭和25年に新聞紙上で連載を始めてから18年もかかって完成したこの大部の歴史小説(講談社版全14巻)は、「経営者のバイブル」とも言われ、昭和30年代の大ベストセラーだった。(私は若い頃読みかけたが途中で投げてしまった。)
それに対し、映画『徳川家康』は原作の三分の一弱を描いたものに過ぎなかった。(続編を製作するつもりだったかもしれない。)映画は、家康の誕生から、幼少時の人質時代、駿府の今川家での少年時代と元服後の時代(家康の「忍従の時代」)、そして、桶狭間の戦いで信長が今川義元を滅ぼしてから、若き家康が今川方を離れ、岡崎城を取り戻すまでで終わっている。
この映画は、例のごとく原作に忠実ではない伊藤大輔独特の脚本だったこともあって、公開された当時は、やや期待外れに感じた観客が多かったようである。信長を演じた錦之助の出番もそれほど多くなかった。(確かに、前半では信長がなかなか登場しないので、錦之助ファンは苛立ったことだろう。後半のラスト近く、桶狭間の戦いあたりで錦之助最高の信長が見られるが…。)そんなこともあってか、小説の愛読者や錦之助ファンには、この映画の評判はあまりかんばしくなかった。
今『徳川家康』という映画を観ると、時代劇映画の起死回生にかけた伊藤監督のすさまじい気迫というものをひしひしと感じることができる。(『柳生一族の陰謀』など、その比ではない!)一つ一つの場面が張り詰めていて、濃密なのである。この映画は、内容構成が秀でている。中身の濃い場面と場面が緊密につながり合い、戦国乱世の緊迫した人間ドラマを展開していく。私はこの映画をビデオで観返すたびに感動を新たにしている。時代劇映画の醍醐味というものを十二分に味わえるのだ。
俳優一人一人の演技からも過剰なまでの意気込みが伝わってくる。信長を演じた錦之助はもちろん、家康の母親役の有馬稲子も素晴らしい。父親役の田村高廣も、家康の三人の子役も北大路欣也も、家来の妻で後家役の桜町弘子も、今川義元の西村晃も、出演俳優全員が熱演している。この映画には様々な人物が次から次へと出てくる。主役が何人もいるような映画なのだが、うねるようなドラマの中で緊密に関係し合っているため、人物一人一人に真実味がこもり、彼らが生き生きと躍動している。だから、シーンごとにその人物が主役に見えるのだろう。これは、まさに俳優冥利に尽きる映画だったとも言えよう。(つづく)
そういえば、かなり昔、「徳川家康」をセッセセッセと読んでいた時は前半の家康が岡崎城に帰ってくるまでが、スリリングで面白かったのを思い出しました。家臣団の身を切るような忍従の日々が涙をさそい感動的でした。
今回背寒さまのコメントを読んで、改めてじっくりと見直しました。あの長い小説をよくここまで濃縮して、作られたと思います。竹千代に付いて行く子供達が切腹の練習をするところなど、伊藤大輔監督だからこそ撮れたのではないかと思ってます。あちこちの場面で時代劇の巨匠と言われている伊藤監督ならではの演出を感じました。
錦之助さんの信長は渾身の演技ですね。特に桶狭間の戦いに出陣する前の敦盛の舞は力強く圧巻です。監督も錦之助さんも、力を入れて撮られたように感じました。
背寒様のおっしゃるように、誰が主役とは言えない映画ですね。でも散漫にならず、しっかりと小説の主題をとらえて感動的な映画に出来上がっていますね。
こうして、背寒様によって、今まで気にせずに見過ごしていた映画を再見する事になり、私にとってこのブログは「錦之助の映画の正しい見方」を教えてもらうコーナーです。其れと共にファン暦の浅い私の「ファンとしての正しい錦之助映画の見方」を学ぶところでもあります。
どうぞこれからも宜しくお願いいたします。
この記事は「その3」で錦之助のことや映画の細かい場面について書くつもりでいますが、錦友会の会報を作らなければならないので、中断しちゃいました。
子供が切腹の訓練をするシーンで、太った子供がずっこけたり、痩せた子供がやり直したりするところは、笑っていいのか、観ていて複雑な気持ちになりますね。信長が「敦盛」を舞う場面は、圧巻でした。セットの美術も錦之助の衣装もすごく良かった!
「蹴鞠」や「金の折鶴」をモチーフにして、場面転換をしたところなど、とても鮮やかで、目に焼きつきました。
私はこの映画を観て、有馬稲子の本格的ファンになったんですけど、「徳川家康」は彼女の代表作だと思っています。「浪花の恋の物語」よりこっちの方が好きです。クレジット・タイトルでは、錦之助が最初で、有馬稲子が最後に出ますよね。
「敦盛」の舞、感動しました。舞踊振付:花柳錦之輔とあったと記憶しますが
今日の(8/29)お昼少し前のテレビで、十津川村の盆踊りのことをハイビジョンで放送されるらしいのですが、その予告を見ましたところゲストが、花柳錦之輔さんでした。きっとお孫さんにあたるのでしょうか。舞踊の世界もこのように、名前が継がれてゆくんですね。
『徳川家康』の音楽、伊福部昭でしたけど、荘厳で良かったですね。錦之助の『敦盛』の舞いも、立派でした。『織田信長』での舞いと比べてみると、どれも違うんで、興味深く感じますが、やっぱり『徳川家康』が一番ですかね。錦之助はこの時まだ32歳だったのに、壮年の貫禄がありました。振付師の花柳錦之輔という方については何も知りません。『敦盛』の時、錦之助に指導したのかどうかも不明です。
『反逆児』と比べるのも、ちょっと無理な話ですが、錦之助は別にして、映画独特の表現力みたいなものは『徳川家康』の方が発揮されていると思っています。『反逆児』は演劇的な特長が強く、錦之助もそうですが、何と言っても杉村春子の存在感がすごい!ストーリーも古典悲劇のようです。演劇が好きな方は『反逆児』の方を好むと思います。『反逆児』は舞台にかけられますが、『徳川家康』は無理でしょうね。『徳川家康』を観て感動するのは、演劇性が薄くても映像的な表現が素晴らしいからだと思います。伊藤大輔の映画は、演劇志向が強くセリフ過多の傾向があって、そこが私はあまり好きでないのですが、『徳川家康』は、セリフが控え目で、余韻のある映像が繋ぎに使われていますよね。「蹴鞠」も「金の折鶴」もそうだし、自害した子供たちに波にかぶさる場面もそうです・桶狭間の戦いの場面は、『宮本武蔵』を真似たかどうか(カメラマンは同じ吉田貞次)、モノトーンで迫力を出していました。
『徳川家康』は、映画館の大画面で観たので、私は大感動したのだと思います。『反逆児』は5回ほど観ていますが、全部ビデオなので、映画館で観ると印象が違うかもしれません。今度新文芸座で『反逆児』を上映するので、やっと映画館で観られるなーと楽しみにしています。
不確かな事を書いてすみませんが、この方の名前は結構眼にします。
冷静に見てみると『樅ノ木は残った』を除き悪役は演じていないようですね。