錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『武士道残酷物語』

2006-09-27 00:19:37 | 武士道残酷物語・仇討

 見るも無残で、錦之助ファンが思わず目を覆いたくなる映画と言えば、今井正監督の『武士道残酷物語』(昭和38年)と『仇討』(昭和39年)であろう。先日私は池袋の新文芸座で、『武士道残酷物語』を観て来た。この映画、ビデオでは何度も観ているが、映画館の大きなスクリーンで観ると、やはり迫力が違う。そのすさまじさに圧倒されてしまった。
 もちろん、私はヤワな錦之助ファンではない。錦之助ファンならこういう映画もじっくり観て評価しなければならないと思っているファンの一人である。粋でカッコ良い錦之助も素晴らしいが、演技の鬼と化したすさまじい錦之助にも私は大きな魅力を感じている。だから、この映画を観ても、目を覆うことなく、むしろ目を見張って観たわけであるが、七役を演じ分けた錦之助の並々ならぬ気迫と執念にはいつも感嘆してしまう。ここまでやるのか!と内心思いながら、スゴイ役者、スゴイ映画俳優だ!と痛感しないわけにはいかない。
 『武士道残酷物語』を観ると、錦之助の「闘う姿」に感動する。「闘う姿」というのは、映画の中で立ち回りをして敵と戦うというのではない。実はこの映画に、立ち回りや斬り合いは出て来ない。私が言いたいのは、この「反時代劇」とも言える作品を通じて、錦之助は、自分と闘い、監督の今井正と闘い、また、並み居る出演者たちと闘っているように思えたことである。『武士道残酷物語』ほど、錦之助が闘志を燃やした映画はなかったのではあるまいか。
 今井正は妥協しない監督で有名だった。演技が気に入らないと何度でもテストを繰り返す。それは、有馬稲子が『夜の鼓』(昭和33年)の撮影で、「待って!」と言うだけのカットを500回近くもやらされ、自殺したくなったと語っているほどである。錦之助が奥方の有馬から、その話を聞いていないわけはない。有馬稲子は、死にたくなるほど今井正のしごきにあったにもかかわらず、今度は錦之助と一緒に『武士道残酷物語』に出演するのだから、彼女の役者魂も見上げたものだ。有馬稲子は今井正の映画が好きなのだろう。錦之助を誘って、この映画に出演させたのではないかと思われるフシもある。
 それはともかく、『スクリーンのある人生・今井正全仕事』(編集:映画の本工房ありす)のために錦之助が書いた序文「役者道残酷物語」によると、クランク・インする前に錦之助は10キロも減量したそうだ。タイトルマッチ前のボクサーのような状態だったという。空腹で台本も頭に入らなかったらしい。また、今井正の平然とした態度に、内心「この野郎!」と思ったとも正直に語っている。
 この映画は共演者が芸達者ばかりで見ごたえがあった。オムニバス映画なので、話ごとに共演者が変わっていくのだが、錦之助だけが出ずっぱりで、次々と相手役と火花を散らす演技の闘いを続けていく。
 第三話「飯倉久太郎の章」で男色の殿様を演じた森雅之が何と言っても絶品だった。また、見捨てられた愛妾役の岸田今日子が気味悪いほど良かった。この二人の間に、若衆役の錦之助が入って、引くに引けぬ三角関係を繰り広げるのだから、観ている私は何度固唾を飲んだか分からない。挙句の果ては、錦之助の一物が斬られてしまい、しかも岸田今日子をお下がりの嫁にあてがわれるというのだから、衝撃的な話だった。
 第四話「飯倉修蔵の章」は、この映画のメインで最も残酷なストーリーだと思うが、配役の上でも錦之助(修蔵)の奥方を演じた有馬稲子が控え目だったが実に憐れで、稲子ファンの私は胸が締め付けられる思いだった。殿様役の江原真二郎の凶暴さと狂った表情も強烈な印象を残した。
 最初と最後に現代の話があるのだが、今回観ていて、最後の「飯倉進の章」もなかなか良く出来ているなと感じた。進が勤める建設会社の部長に扮した西村晃が相変わらずの好演で、恋人役の三田佳子も熱演していた。現代劇の錦之助も新鮮で良かった。錦之助は普通の洋服姿で出演していたが、先祖たちとのギャップがこの優柔不断なサラリーマン青年像をかえって際立たせていたように感じた。
 自殺未遂した三田佳子のベッドの脇で、錦之助が「二人だけで結婚しよう」ときっぱり言うラストシーンは、この映画の唯一の救いだった。しかし、この取って付けたような終わり方を観て、はたして、映画全体のテーマからして、これで良かったのだろうかという疑問も残った。
 
 『武士道残酷物語』は、主君に対し忠誠を尽くし、自らの家の永続を願うがために、個人を犠牲にするという武士道の愚劣さを、嫌というほどわれわれの前に突き付けた作品であった。この映画は一貫してこのテーマを追求し、筋立てを変えながら武家社会の不条理というものを執拗に描いていたが、しかしなぜ、ここまで、封建道徳に縛られた先祖たちの生き様を冷徹に描かなければならなかったのか。今井正は、戦争責任の問題を個人の内部の問題として捉え直そうと試みて、この映画を製作したと述懐しているが、この意図はどうも理解できない。主君をお国に置き換えてみたとして、お国の暴虐がどんなにひどいものであれ、臣民は、あくまでもそれに耐え忍び、いざとなれば命をも犠牲にしなければならない。それがどれほど理不尽に思えても、滅私奉公を逃れる道が他にないとするならば、自らの宿命に対し、やり場のない憤りを抱くだけである。『武士道残酷物語』は、過去の日本人の封建的な生き方を弾劾しながら、同時にその血を引く戦後の日本人も体質的に変わっていないのではないかという問題提起をした。が、この映画の限界は、そこにとどまって、現代の日本人に向かって自己変革への意志も希望も示唆できなかったことにあったと思う。



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6 コメント

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映画の題名 (どうしん)
2006-10-04 21:55:34
この映画は、封切当時新聞に広告が出たのを見た記憶があります。残酷物語という題が続いていたように思う。そんな中で、又?と思ったのだろうと思うのです。どの映画が最初で、どの映画が、便乗したような題をつけたのかは知りませんが、題名で、中身が気味の悪い作品ではなかろうかと先入観を持ってしまったんですね

錦之助にとって、七役に挑戦して、賞を獲得した作品だったのに、DVDでしか観ていないのです。大分以前に観ただけなので、又観てみようと思ってます。
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残酷物語? (背寒)
2006-10-06 19:41:34
ヤコペッティという監督のイタリア映画『世界残酷物語』が最初でしたね。「モア」という美しい映画音楽をご存知ですか?あのメロディがバックに流れるドキュメンタリータッチの映画でした。動物の虐殺など、未開地帯から文明国まで、世界各地の残忍な風習をいろいろ描いた作品で、大評判になりました。封切りの後しばらくして、私も観ました。それからですね、「〇〇残酷物語」という題名が流行するのは。

『武士道残酷物語』というタイトルは、時流に乗ろうと東映の宣伝部が付けたんじゃないかと思いますが、原作は南条範夫の『被虐の系譜』とのことです。この本、どこを探しても見つかりません。別に大して読みたくもありませんが、どういう内容だったか少しは興味を覚えます。

ご覧になったら、ぜひ『仇討』と比べてみてください。



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原作 (どうしん)
2006-10-06 20:05:00
今年の8月初めに、図書館で「被虐の系譜」を借りました。大分以前に一心の掲示板で教えてもらったのですが、恐いという先入観があって読んでいなかったんですが、思い切って借りてみましたら、以外なことに

まさに系譜が書かれている、短編でした。あの原作を

画にすると、あのようになるのかという驚きを持ちました。脚本家と監督の意図するテーマがあっての映画化でしょうね。今は、是非大画面で観たい作品です



題名についてのご説明、どうもありがとうございました。
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原作 (背寒)
2006-10-06 20:29:40
今度、読んでみます。短編なんですか。短編ならすぐに読めますね。最近は私は、「錦之助ざんまい」ではなく、「読書ざんまい」です。



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原作ですが・・ (竜子)
2006-10-07 17:52:30
割り込んで失礼します。

双葉文庫に「時代劇原作選集」細谷正充、というのが現在発売されてまして、十篇の中の1篇として入ってます。他に「赤西蠣太」「ひとり狼」「椿三十郎」の原作、「切腹」の原作、「剣鬼」の原作、等等とても面白い本でお勧めです。全部短編なので読み易いです。

「武士道残酷物語」は原作の方がもっと残酷で、想像する方が映像でみるよりきつくなるというのを、実感しました。映画のほうはかなり抑えていたので、ホッとしました。

この映画、封切当時は高く評価されていたのに、現在は余り話題になりませんね。時代なのでしょうか。

だから、新文芸座さんが時代劇傑作選の中で取り上げて下さったのが嬉しいでした。
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助かりました。 (背寒)
2006-10-07 18:01:22
竜子さん、どうもありがとう。へえー、便利な文庫本があるんですね。今度買って読みます!

志賀直哉の「赤西蠣太」だけは昔読んだことがありますが、「切腹」の原作はぜひ読みたいですね。この映画、先日新文芸座で40年ぶりに見て、感動を新たにしたんですよ。

また、本のことで、教えてくださいね。よろしく!

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