80日間近く何も書かなかったが、今日からまた少しずつ書いていこうと思う。
なにしろ正月から今の今まで、「超」の字が付くほど忙しかった。
1月は、昨年1年間の会社の経理と決算書の作成で忙殺された。
2月から3月前半は、新文芸坐での上映会(「にんじんくらぶ」三大女優特集)の企画と準備に追われていた。具体的には、上映プログラムの作成、ゲスト交渉、チラシと記念冊子の制作である。チラシと記念冊子の校正は、円尾さんと高橋かおるさんに手伝ってもらったが、その他はほとんど私一人でやっていた。今回は、チラシに掲載する上映作品の解説を私が書くことになったため、また、三女優のフィルモグラフィを作成することもあって、ビデオかDVDで観られる映画は出来る限り観た。以前観たことのある映画も、忘れかけている作品はもう一度観直した。久我美子、有馬稲子、岸惠子の三女優の出演作を合計すると、250本余りあるが、そのうち約50本はこの一ヶ月で観たことになる。毎週、新宿のツタヤに行き、まとめ借りして、ほぼ毎日、2本ずつ観ていた。
日中は、DTP(パソコンでの組版)、夜は映画鑑賞と関連書籍の読書という生活で、仕事場にほとんど引き籠り状態だったのだが、ブログの記事を書く時間はなかった。
2月11日に平野洋子さん(長谷川裕見子さんの娘さんで、湯河原の旅館「船越」の女将)が自殺したというニュースを知り、ショックを受けた。洋子さんのことは、以前このブログでも紹介したと思うが、昨年私は二度お目にかかったことがあり、電話では数度話している。長谷川裕見子さんを私に仲介してくださった方であり、昨年5月に洋子さんが本を出された時、私は裕見子さんに頼まれて販売のお手伝いをしたのだった。昨年の暮に裕見子さんと電話で話した時に、洋子さんのうつ病がひどくなって、入院したことは聞いていたが、まさか自殺するとは思ってもみなかった。私がニュースを知ったその日がお葬式だったので、あいにくお伺いできなかったが、翌日裕見子さんの家にお悔やみの電話だけはした。裕見子のお姉さまが電話に出られたので、少しだけお話した。それからずっと裕見子さんを慰めに湯河原へ行こう行こうと思っている。が、どうしても行く暇がなく、まだ行っていない。心苦しく気がとがめてならない。
2月13日、フィルムセンターで『近松物語』の上映会と香川京子さんのトークショーがあったので、出席した。終わった後、香川さんと少しだけお話しした。『風雲児織田信長』で錦之助さんと共演したことをはっきり憶えていらして、「いい映画でしたね」とおっしゃっていた。
2月25日、池袋の喫茶店で石濱朗さんにインタビューした。「にんじんくらぶ」上映会の記念冊子に掲載するためである。
3月1日に有楽町の朝日ホールで岸惠子さんの『忘れえぬ慕情』の上映会とトークショーがあったので、出席した。岸さんには直接お会いできなかったが、会場で新文芸坐での上映会のチラシを配布させてもらった。お客さんに400枚ほど手渡しした。
3月6日、六本木の高層ビルの小ホールで催された中井貴惠さんの朗読会に出席した。小津安二郎の『晩春』のシナリオの一部をピアノ伴奏で朗読したのだが、どちらかというと、朗読の前の貴恵さんのトークの方が面白かった。楽屋で貴恵さんに挨拶する。終わった後、映画評論家の渡部保子さん、脚本家の石森史郎さん夫妻、元松竹プロデューサーの山内静夫さんと階下のカフェへ行き、一時間ほど歓談した。
記念冊子の印刷所への入稿が終わって、今度は私個人の確定申告を済ませる。
3月12日、記念冊子が出来上がる。ぎりぎりで上映会に間に合った。
(紀伊国屋、ジュンク堂などの書店、ネット書店でも発売予定。定価1050円)
3月14日から「にんじんくらぶ」の上映会が始まって、目下、毎日、池袋の新文芸坐へ通っている。その日の映画を2本観て、トークショーがある日はゲストの出迎えと聞き手を私がやっているので大変だ。石濱朗さん、川津祐介さん、有馬稲子さん、山内静夫さんのトークショーは終わり、あとは中井貴恵さんと石森史郎さんを残すのみ。20日(土曜)、有馬さんのトークショーの時は超満員だった。
今日は、昼過ぎに新文芸坐へ行き、『忘れじの人』と『太陽は日々に新たなり』を観て、それから6時に歌舞伎座へ行った。二代目錦之助を観るためである。演目は「菅原伝授手習鑑・道明寺」と「石橋(しゃっきょう)」で、前者は仁左衛門、玉三郎、歌六、後者は富十郎、幸四郎が出ていた。二代目錦之助は両方に登場、どちらも目立つ役で良かった。
なにしろ正月から今の今まで、「超」の字が付くほど忙しかった。
1月は、昨年1年間の会社の経理と決算書の作成で忙殺された。
2月から3月前半は、新文芸坐での上映会(「にんじんくらぶ」三大女優特集)の企画と準備に追われていた。具体的には、上映プログラムの作成、ゲスト交渉、チラシと記念冊子の制作である。チラシと記念冊子の校正は、円尾さんと高橋かおるさんに手伝ってもらったが、その他はほとんど私一人でやっていた。今回は、チラシに掲載する上映作品の解説を私が書くことになったため、また、三女優のフィルモグラフィを作成することもあって、ビデオかDVDで観られる映画は出来る限り観た。以前観たことのある映画も、忘れかけている作品はもう一度観直した。久我美子、有馬稲子、岸惠子の三女優の出演作を合計すると、250本余りあるが、そのうち約50本はこの一ヶ月で観たことになる。毎週、新宿のツタヤに行き、まとめ借りして、ほぼ毎日、2本ずつ観ていた。
日中は、DTP(パソコンでの組版)、夜は映画鑑賞と関連書籍の読書という生活で、仕事場にほとんど引き籠り状態だったのだが、ブログの記事を書く時間はなかった。
2月11日に平野洋子さん(長谷川裕見子さんの娘さんで、湯河原の旅館「船越」の女将)が自殺したというニュースを知り、ショックを受けた。洋子さんのことは、以前このブログでも紹介したと思うが、昨年私は二度お目にかかったことがあり、電話では数度話している。長谷川裕見子さんを私に仲介してくださった方であり、昨年5月に洋子さんが本を出された時、私は裕見子さんに頼まれて販売のお手伝いをしたのだった。昨年の暮に裕見子さんと電話で話した時に、洋子さんのうつ病がひどくなって、入院したことは聞いていたが、まさか自殺するとは思ってもみなかった。私がニュースを知ったその日がお葬式だったので、あいにくお伺いできなかったが、翌日裕見子さんの家にお悔やみの電話だけはした。裕見子のお姉さまが電話に出られたので、少しだけお話した。それからずっと裕見子さんを慰めに湯河原へ行こう行こうと思っている。が、どうしても行く暇がなく、まだ行っていない。心苦しく気がとがめてならない。
2月13日、フィルムセンターで『近松物語』の上映会と香川京子さんのトークショーがあったので、出席した。終わった後、香川さんと少しだけお話しした。『風雲児織田信長』で錦之助さんと共演したことをはっきり憶えていらして、「いい映画でしたね」とおっしゃっていた。
2月25日、池袋の喫茶店で石濱朗さんにインタビューした。「にんじんくらぶ」上映会の記念冊子に掲載するためである。
3月1日に有楽町の朝日ホールで岸惠子さんの『忘れえぬ慕情』の上映会とトークショーがあったので、出席した。岸さんには直接お会いできなかったが、会場で新文芸坐での上映会のチラシを配布させてもらった。お客さんに400枚ほど手渡しした。
3月6日、六本木の高層ビルの小ホールで催された中井貴惠さんの朗読会に出席した。小津安二郎の『晩春』のシナリオの一部をピアノ伴奏で朗読したのだが、どちらかというと、朗読の前の貴恵さんのトークの方が面白かった。楽屋で貴恵さんに挨拶する。終わった後、映画評論家の渡部保子さん、脚本家の石森史郎さん夫妻、元松竹プロデューサーの山内静夫さんと階下のカフェへ行き、一時間ほど歓談した。
記念冊子の印刷所への入稿が終わって、今度は私個人の確定申告を済ませる。
3月12日、記念冊子が出来上がる。ぎりぎりで上映会に間に合った。
(紀伊国屋、ジュンク堂などの書店、ネット書店でも発売予定。定価1050円)
3月14日から「にんじんくらぶ」の上映会が始まって、目下、毎日、池袋の新文芸坐へ通っている。その日の映画を2本観て、トークショーがある日はゲストの出迎えと聞き手を私がやっているので大変だ。石濱朗さん、川津祐介さん、有馬稲子さん、山内静夫さんのトークショーは終わり、あとは中井貴恵さんと石森史郎さんを残すのみ。20日(土曜)、有馬さんのトークショーの時は超満員だった。
今日は、昼過ぎに新文芸坐へ行き、『忘れじの人』と『太陽は日々に新たなり』を観て、それから6時に歌舞伎座へ行った。二代目錦之助を観るためである。演目は「菅原伝授手習鑑・道明寺」と「石橋(しゃっきょう)」で、前者は仁左衛門、玉三郎、歌六、後者は富十郎、幸四郎が出ていた。二代目錦之助は両方に登場、どちらも目立つ役で良かった。
過去ログ(カテゴリー)を拝見したら、錦之助三昧なので、うれしくなりました。
これからゆっくり読ませていただきます。
私はこのところ忙しくて、ゆっくりと錦之助映画を観る暇がありません。このブログを始めた頃は本当に「錦之助ざんまい」で、幸せでした。あの頃に帰りたい気分です。
4月からまた錦之助に専念しようと思っています。また遊びに来てください。
なので、このブログを発見した今、嬉しい気持ちでいっぱいです。
錦ちゃんのこといろいろ教えて下さい。
宜しくお願い致します。
『恋しぐれ 浅間の火祭り』という映画、私は観たことがありません。おそらく東映に上映用フィルムがないと思います。それに主催者でもない私にこの場でリクエストされても困ります。田代百合子と月形龍之介の共演作では『血槍富士』が名作で、これは上映作品の候補に入っていたと思います。