この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

他人の誤りを正すのは決して悪いことではない。ただし・・・。

2019-12-04 21:23:55 | 戯言
 先日『ガタカ』の考察記事につけられたコメントが珍しく肯定的なものだったので、一足早いクリスマスプレゼントでも貰ったかのような、嬉しい気分になりました。
 マカロンさん、ありがとうございます。

 ごくたまーにですが、考察記事にコメントがつくことがあります。
 しかしそれらのほとんどは「あなたは間違っている!」とか「あなたの考えはうがちすぎです」といった否定的なものばかりです。
 いや、否定的な内容のコメントをするなと言っているのではないですよ。
 拙ブログは考えや意見の異なる人のコメントも大歓迎です。
 ただ、それはちょっとな、と言いたくなることも多いのです。

 まず、名前を名乗らない人が本当に多いです。
 否定的なコメントをする人の半分ぐらいは名前の欄が未記入じゃないかな(正確にカウントしたわけではないですが)。
 この人たちって他人の家を訪ねた時もやっぱり名乗らないのかな?
 それとも意見の異なる人に対しては名を名乗る必要がないと考えている?
 いずれにしても日本人が礼儀正しいというのは過去の話になってしまったようです。
 う~~~ん、嘆かわしい。

 未記入ではなくても名前の欄に「通りすがり」と書く人も歓迎出来ないですね。
 どうしてだ、通りすがりにコメントをするんだから、HNを「通りすがり」にするのも当人の自由だろう、って言うんでしょうけれど、残念ながらそうじゃないです。
 名前って結局誰かと誰かを判別するためにあるものじゃないですか。
 それなのに通りすがりにコメントをする人が全員「通りすがり」と名乗っていては誰が誰やらわかりません。
 偶然名前がかぶるのは不可抗力で仕方ないとしても、事前に被ることが予想されるHNは出来るだけ避けて欲しいです。

 拙ブログにおいてはこちらの忠告を無視して名前を名乗らない、もしくはHNを「通りすがり」のままでコメントをする人に対して相応のペナルティを科すのでご留意ください。

 まだあります。
 あなたは間違っています!と鼻息荒く乗り込んできておきながら、具体的に何が間違っているのか指摘しない人。
 おぃおぃ、何が間違っているか具体的に言ってよ!って言いたいです。

 もちろん間違っていると思うところを具体的に指摘する人もいますよ。
 そういう人って、向こうが指摘した間違いをこちらが認めることを望んでいるわけですよね?
 それは悪いことではないですよ。
 他人の誤りを正そうとすることは決して悪いことだとは思いません。
 でも他人の過ちを指摘して、それを正そうとする人間は、自らの誤りを指摘されたら、その指摘が正しかったら、きちんと認められる人間じゃないといけないんじゃないでしょうか。

 あなたは間違っています!理由はこれこれこれでこうだからです!という人に、いや、それは〇〇について一切考慮してないですよね?と論理の隙を突くともうそれっきりダンマリ。
 こちらの指摘が正しいのであれば、自らの誤りを認めるべきだし、それでも自分が正しいと思うのであれば、自らの主張を貫くべきでしょう。
 なぜちょっと間違いを指摘されたぐらいでダンマリになっちゃうかなぁ。
 その程度の覚悟と理論武装でよく意見の異なる人間のブログにコメントが出来るなぁと感心してしまいます。

 覚悟と理論武装って!!
 いやいや、そんな大仰なものは必要ないんですよ。
 だって人は間違いを犯す生き物ですからね。
 間違いを犯していることに気づいたら、その都度修正する。
 それでいいんじゃないでしょうか。

 などと偉そうに言ってますけどそれが自分に出来ているかどうか定かではないですけどね。笑。
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