伊坂幸太郎著、『ジャイロスコープ』読了。
雑誌や新聞などで連載されていた小説の単行本は、しばしば巻末に、「本書は○○に連載されていたものを書籍化に際し、加筆修正しました」みたいな一文が添えられてますよね。
それはわかるんですよ。
作家が連載時に気づかなかった誤字脱字を修正したい、締め切りや字数の関係で書き切れなかった箇所を時間をかけてゆっくりと推敲したいと思うのも当然だと思います。
でもそれに似てはいても、文庫本の巻末の「本書は文庫化に際し、加筆修正しました」という一文は猛烈に腹が立ちます。
誤字脱字の修正ぐらいならまだしも、作品によっては単行本と文庫本では大きく印象が異なる(それぐらい書き換えられている)ものもあったりするのです。
自分の作品を読み直して、ここを書き直したい、書き加えたい、削除したい、そう思うのは当然の欲求を持つのは作家として当然のことでしょう。
でもそれを文庫化に際してやっちゃうのは、高い金を払って単行本を買った読者に対して失礼だと思います。
そういうことをやられると単行本を買うことが馬鹿馬鹿しくなります。
具体的に誰とはいわないけれど、プロの作家であれば、単行本こそ最終稿だと思って欲しいです。
文庫化に際しての加筆修正を激しく憎む自分ですから、文庫オリジナルという刊行スタイルは諸手を挙げて歓迎したいですね。最初から文庫として出版されていたら文庫化に際して云々というようなこともないでしょうから。
さて、伊坂幸太郎初のオリジナル短編集『ジャイロスコープ』が出版されました。
一番大変だったのはもちろん作品を執筆した伊坂幸太郎本人だと思いますが、この短編集を出版した新潮社の編集者もかなり大変だったのでは?と苦労がしのばれます。
なぜかというと、収録されている作品のうち、一作目の『浜田青年ホントスカ』は元々東京創元社のアンソロジーに収録されていたもので、二作目の『ギア』は講談社の小説誌『エソラ』に掲載されたもの、さらに六作目の『彗星さんたち』は実業之日本社と、元々収録された掲載誌の出版社がバラバラなのです。
いわば短編集『ジャイロスコープ』出版は伊坂幸太郎作家デビュー15周年を記念した、出版社の垣根を超えた一大イベントである、と言ってよいのかもしれません。
文庫オリジナルを歓迎し、さらに編集者の苦労を察する自分ではありますが、作品への評価はそれとはやっぱり別なんですよね。
伊坂幸太郎初の短編集『ジャイロスコープ』は正直そこまで面白いとは思いませんでした。
飛び抜けて「これ!」と言いたくなるような気に入る作品がなかったからですねぇ。
以下、各作品へのショートレビューです。
『浜田青年ホントスカ』
意外な結末ではあるんだけど、それが後味の良くないものなので、高い評価は出来ないです。
それに稲垣の最後の選択も納得出来るものではないというか。
『ギア』
長編小説のプロローグだけを読まされた気分。わけがわかりません。
『二月下旬から三月上旬』
手垢のついた多重人格ものでも伊坂が手掛けるとこれだけのものが出来るんだなと感心しました。面白かったです。
『if』
単純に言って捻りが足りないと思います。
『一人では無理がある』
手垢がついた○○○ク○ー○ものは伊坂が手掛けてもこの程度のものしか出来ないんだとガッカリ。一人でも無理だけど、二人以上でも無理なんじゃないでしょうか。
『彗星さんたち』
これが一番面白かった!不思議なことが起きているのか起きてないのかわからない不思議さが好き。
『後ろの声がうるさい』
伊坂曰く「受け皿」的作品らしいけれど、上手く受けられてないような気がするんだけど…。
ちょっと厳しめに書いちゃったかな。
でもこれからも新潮社には、というか各出版社には、ライトノベルだけじゃなく、他のジャンルにおいても文庫オリジナルで本を出版して欲しいですね。
雑誌や新聞などで連載されていた小説の単行本は、しばしば巻末に、「本書は○○に連載されていたものを書籍化に際し、加筆修正しました」みたいな一文が添えられてますよね。
それはわかるんですよ。
作家が連載時に気づかなかった誤字脱字を修正したい、締め切りや字数の関係で書き切れなかった箇所を時間をかけてゆっくりと推敲したいと思うのも当然だと思います。
でもそれに似てはいても、文庫本の巻末の「本書は文庫化に際し、加筆修正しました」という一文は猛烈に腹が立ちます。
誤字脱字の修正ぐらいならまだしも、作品によっては単行本と文庫本では大きく印象が異なる(それぐらい書き換えられている)ものもあったりするのです。
自分の作品を読み直して、ここを書き直したい、書き加えたい、削除したい、そう思うのは当然の欲求を持つのは作家として当然のことでしょう。
でもそれを文庫化に際してやっちゃうのは、高い金を払って単行本を買った読者に対して失礼だと思います。
そういうことをやられると単行本を買うことが馬鹿馬鹿しくなります。
具体的に誰とはいわないけれど、プロの作家であれば、単行本こそ最終稿だと思って欲しいです。
文庫化に際しての加筆修正を激しく憎む自分ですから、文庫オリジナルという刊行スタイルは諸手を挙げて歓迎したいですね。最初から文庫として出版されていたら文庫化に際して云々というようなこともないでしょうから。
さて、伊坂幸太郎初のオリジナル短編集『ジャイロスコープ』が出版されました。
一番大変だったのはもちろん作品を執筆した伊坂幸太郎本人だと思いますが、この短編集を出版した新潮社の編集者もかなり大変だったのでは?と苦労がしのばれます。
なぜかというと、収録されている作品のうち、一作目の『浜田青年ホントスカ』は元々東京創元社のアンソロジーに収録されていたもので、二作目の『ギア』は講談社の小説誌『エソラ』に掲載されたもの、さらに六作目の『彗星さんたち』は実業之日本社と、元々収録された掲載誌の出版社がバラバラなのです。
いわば短編集『ジャイロスコープ』出版は伊坂幸太郎作家デビュー15周年を記念した、出版社の垣根を超えた一大イベントである、と言ってよいのかもしれません。
文庫オリジナルを歓迎し、さらに編集者の苦労を察する自分ではありますが、作品への評価はそれとはやっぱり別なんですよね。
伊坂幸太郎初の短編集『ジャイロスコープ』は正直そこまで面白いとは思いませんでした。
飛び抜けて「これ!」と言いたくなるような気に入る作品がなかったからですねぇ。
以下、各作品へのショートレビューです。
『浜田青年ホントスカ』
意外な結末ではあるんだけど、それが後味の良くないものなので、高い評価は出来ないです。
それに稲垣の最後の選択も納得出来るものではないというか。
『ギア』
長編小説のプロローグだけを読まされた気分。わけがわかりません。
『二月下旬から三月上旬』
手垢のついた多重人格ものでも伊坂が手掛けるとこれだけのものが出来るんだなと感心しました。面白かったです。
『if』
単純に言って捻りが足りないと思います。
『一人では無理がある』
手垢がついた○○○ク○ー○ものは伊坂が手掛けてもこの程度のものしか出来ないんだとガッカリ。一人でも無理だけど、二人以上でも無理なんじゃないでしょうか。
『彗星さんたち』
これが一番面白かった!不思議なことが起きているのか起きてないのかわからない不思議さが好き。
『後ろの声がうるさい』
伊坂曰く「受け皿」的作品らしいけれど、上手く受けられてないような気がするんだけど…。
ちょっと厳しめに書いちゃったかな。
でもこれからも新潮社には、というか各出版社には、ライトノベルだけじゃなく、他のジャンルにおいても文庫オリジナルで本を出版して欲しいですね。