ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 姜尚中著 「続・悩む力」 集英社新書

2013年06月20日 | 書評
夏目漱石・ウェーバーの言葉に現代人の悩みを問う 人生論続編 第6回

7) 神は妄想であるか
夏目漱石「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか、この3つしかない。僕は好き好んで人間嫌いを通しているわけではないのです。僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ」(行人より) 
テイラー「家族や環境、ひいてはポリスといった公的な伝統が掘り崩され、一掃されてしまうとき、決定的に重要な人間的善を再び活力ある物にするには、個人的な共鳴という言葉が必要になる」(自我の源泉より) 
人生に何らかの意味を見出せるかどうかは、その人が心から信じられるものをもてるかどうかにかかっている。3.11大震災と原発事故以来、日本の宗教界は沈黙したままであった。無力そのものであろうか。しかしこれだけの災害は科学にまかせておけるものではない。宇宙物理学者ドーキンスは「神は妄想である。宗教との訣別」を叫びます。マルクス主義批評家イーグルトンは「神は必要のためにあるのではない。世界を愛するが故に世界を創った」と反論します。科学が神を追い払って創った世界は何だったのでしょうか。著者は、我々はもう一度宗教的な問いを引き受けなければならないのではないでしょうかという。我々に残された最後の人間性とは「まじめ」という言葉だろうか。個人の究極の孤独の時代に、他者との共鳴を可能にする最後の砦になるのでないだろうという。

8) 生きる根拠を見出せるか
夏目漱石「洋行中に英国人は馬鹿だと感じて帰ってきた。日本人が英国人を真似ろというのは何を真似ろといっているのか今もって分からない」(狩野宛の書簡より) 
E・F・シューマッハー「一番大きな廃棄物といえば、耐用年数を過ぎた原子炉である。・・・このような悪魔の工場の数と場所を人は考えてもみない。地震は起こらない、戦争も内乱も、今日アメリカをおおう騒擾も予想の中に入っていない。使用済みの原発は醜悪な記念碑として残り、今日わずかでも経済的利益がある以上、未来は意に介しない考えの愚かさを記録し続ける」(1973 スモールイズビューティフルより) 
人類が背負う負の遺産「廃炉」はまさに福島第1原発が目の前にしている。漱石は20世紀初頭にイギリスに留学したとき「これは日本が手本にすべき国ではない」と思いました。ドイツ生まれのイギリスの経済学者シューマッハは自然に対する最大の暴力は放射能汚染だといいました。まさに今日の日本を予言していました。市場経済が商品化する、人間労働、資源、貨幣のうち、人間労働ほど今日のグローバル資本主義で卑しめられているものは無いでしょう。まるで人間労働をゼロに持ってゆくことが理想(原価のうち賃金分をゼロとしたい)とするような勢いです。人を商品化した経済システムが社会全体を覆って、人の尊厳を著しく傷つけているようです。ケインズは果せぬ夢と知りながら「完全雇用」を目的としました。フランクルは人間という者は誰でも、一回性と唯一性の中で生きていると述べています。今を大切に生きてゆくには、よい過去を持つことです。過去から自分が規定されるのです。人間にとって本当に尊いのは実は未来ではなく過去なのではないでしょうか。
(つづく)



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