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足立恒雄著 「数の発明」

2021年08月14日 | 書評
京都市左京区吉田山 黒谷「真如堂」 

足立恒雄著 「数の発明」 

岩波科学ライブラリー(2013年12月)

第3章) 数学とは何か

3-1) 純粋数学の成立
数学的論理学(数学基礎論)は二つの面を持つ。証明論は純粋数学に、モデル論は応用数学に相当する。19世紀までは数学は数と量の学問であった。19世紀中頃、数と量という二つの概念から実数体という一つの概念に統合された結果、数学は現象世界から独立し自律的な存在となった。その結果理論と応用つまり純粋数学と応用数学という区別が生じた。しかし数学は本来現象世界の事物の間の関係を描写する手段であったので、純粋数学というのはせいぜい数論、整数論の事をさしていた。ポアンカレ―は「化学と仮設」という著書で、「物そのものが実在ではなく、物の間の関係こそが真の実在である」と述べた。数学は自立した存在だとしても、現象世界との関係がないわけではない。それは理論とモデルという関係である。例として電磁気学におけるマックスウエルの理論とは完璧に電磁気現象を記述できる。マックスウエルの理論は微積分学におけるベクトル解析の活用にあった。微積分学は実数論の上に造られていて、実数体の連続性が根幹にあった。電子は個体であるとすると、連続体ではないが、数十兆個の電子の集団現象は連続とみなせるのである。そして微積分学で記述できる。自然の関係の理解は、科学の進歩によって、変わってゆくものである。アインシュタインの相対性理論は速度の加法定理を否定することから始まった。ギリシャ時代の「ゼノンの逆理(有名なのは、兎と亀)」も偽から真を誘導しているに過ぎない。エミー・ネーターは1927年「イデアル論の抽象的構築」を著わし、ヴェルデンは1930年「現代代数学」において抽象化数学の口火を切った。集合の上で定義された構造が数学の研究対象であると述べ、ブルバキ(数学集団の名称)の構造主義は、「代数構造」、「位相構造」、「順序構造」を三本柱とする全数学の体系化を目指した。彼らにとって理論=構造であった。現在では数学的論理学(数学基礎論)では理論と構造は分離している。

3-2) 純粋数学とは
純粋数学は、それが何の役に立つかという応用的価値を無視したり、厳密で自立していることを誇りに思う気持ちが表象されている。ところが数学者の自負する厳密性にどれくらいの保証があるのだろうか。形式としての数学とは、>、∀、→、∈,¬などの論理記号を一定の規則に従って書ける式が数学だと考えている。数学者の書く書式を列記してみよう。

① ねじれのない加群アーベル群Mの定義(単位元0以外に有限位数の元を持たない加群)
∀n≥1 ∀x∈M(x≠0→nx≠0)
② ねじれ加群Mの定義(すべての元が有限位数である加群)
∀x∈M ∃n≥1(nx=0)
③ 数学的帰納法(Pを自然数nに関する任意の命題、P(0)が成り立ち、P(n)→P(n+1)が成り立つなら)
∀P[P(0)∆∀n≥0(P(n)→P(n+1))→∀nP(n)
④ 実数体Rにおける連続性の定義(Rにおける上に有界な部分集合(≠0)は上限を持つ)
∀XᑕR(・・・)
数学ではかなり自由にいろいろなカテゴリーの量化記号を使用している。そこで1階述語論理で焼き直す事も大切である。①のねじれのない加群では1階述語で書かれた無限の公理のであるとみられる。②のねじれ加群では弱い2階述語論理である。③のペアノ算術PAの場合、すべての命題について並べた1階述語論理で書かれた公理系とみることができる。論理式の個数は家産無限子である、したがって公理の数も加算無限個である。部分集合に対する数学的帰納法であるデデキントの定理は2階述語論理で書かれている。④の実数体の公準系は完全に2階述語論理である。モデルの範疇性が成り立つ。

(つづく)




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