ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 谷川徹三編 宮沢賢治童話集 「銀河鉄道の夜」 「風の又三郎」 岩波文庫

2013年07月31日 | 書評
イーハートーヴォの心象スケッチ 宮沢賢治童話傑作集 34話 第12回

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宮沢賢治作 「風の又三郎」 他18篇 (4)
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24) 十月の末
晩秋の村の風景がスケッチされています。同時に擬音がいたるところで使われています。音と映像の世界です。ミソサザイは「ツツンツツン、チ、チ、ツン」、電線が「ゴーゴー、ガーガー」とうなり、滝の音は「カーカーココー、ジャー」、雷は「ガリガリッ、ゴロゴロ」と鳴って雹が落ちてきます。

25) 鹿踊りのはじまり
民舞の鹿踊りの発祥を記したお話です。嘉十はおじいさんたちと一緒に北上川の東から移住してきて、畑を開き稗・粟を作っていました。嘉十は膝を痛めたので山の温泉小屋に、味噌、糧、鍋をもって湯治に出かけました。野原に出ると栃と栗の団子を食べましたが、少し残して鹿にやること二して嘉十はまた歩き出しました。嘉十は休んだ時に汗を拭いた手ぬぐいを置き忘れたことに気が付いて、手ぬぐいを取りに戻りました。ふと鹿の気配がしたのでもときた野を伺うと、6匹の鹿が団子の周りをぐるぐると輪になって回っていました。嘉十には急に鹿の言葉が聞こえてきました。回りながら鹿たちは嘉十の残した手ぬぐいのことを話し合っていました。そして勇気ある鹿が一匹近づきました。逃げ帰ってきて「縦に皺の寄ったものだ」といいます。第2番目の鹿が近づいてふんふんと匂いを嗅いで「柳の葉みたいな匂い」で、白と青と班色だということがわかりました。3匹目の鹿が近づいて、「息もしていない」といいました。4匹目の鹿が近づいて、「柔らかくて汗臭い」といいました。5匹目の鹿が近づいて、ぺろりとなめて「味がない」といいました。6匹目の鹿が近づいて、手ぬぐいを咥えて戻ってきました。そこで恐ろしいものがなくなったので、ぐるぐる回って鹿たちは栃団子の歌を歌いました。「すっこんすっこの栃団子」今度はお日様の歌を6匹の鹿がかわるがわる歌いました。「じゃらんじゃらんのお日さま懸る」、「ぎんがぎがのすすぎの底で」と歌いましたので、すっかり楽しくなった嘉十も「ほう、やれ、やれい」と叫びながら鹿の輪の中に飛び込みました。これが鹿踊りの精神です。この話は鹿と人間が一体化した童話の傑作ではないでしょうか。

26) 狼森と笊森、盗森
小岩井農場の北に4つの森があります。南から狼森、笊森、黒森、盗森です。岩手山が何回も噴火し、次第に出来上がった森です。小岩井の地に4人の百姓が農機具をもって移住してきました。百姓はここで畑を起こしてもいいかと森に尋ねました。そうしてここに1軒の小屋を建てて居着いたのです。つぎの春に2軒目の小屋ができました。蕎麦と稗の種がまかれ穀物が実りました。新しい畑ができて3軒目の小屋ができました。土が堅く凍った朝、村人は4人の子供がいないことに気が付きました。一番近くの狼森に探しに出かけますと、9匹の狼が火の回りで「火はどろどろぱちぱち、栗はころころぱちぱち」と歌を歌い踊っていました、。その中に子供が4人栗などを食べていました。「童しゃ返してけろ」と村人が叫ぶと、狼たちは「悪気はないんだ、栗やキノコをごちそうした」といって逃げました。次の春子供は3人、馬は2匹増えました。穀物はよく実りました。ある霜柱の立った朝、村人は鉈や鍬といった農機具がなくなっていることに気が付きました。狼森はないといいますので、笊森に行きますと山男が農機具を集めていました。「山男、悪戯はやめてけろ」といいますと、おれにも粟餅をもってきてけろといいましたので、村人は笊森と狼森に粟餅をいっぱい持ってゆきました。次の年の夏は馬は3匹になりました。秋の粟の穫り入れも終わりました。すると納屋の中の粟が皆なくなりました。村人は狼森と笊森に出かけましたが、ここでは粟餅はとらないよといいますので、黒坂盛に出かけました。黒坂盛は今朝がた大きな足が北へ飛んでゆくのを見たといいましたので、村人は盗森へ向かいました。盗森は黒坂森の言うことは嘘だといいますので、村人は途方にくれましたが、その時岩手山が静かに言いました。「粟を盗んだのは盗森に相違ない。皆は帰ってよい。私が責任をもって粟を返させよう」すると翌日の朝には村人の納屋には粟が戻っていました、そこで村ではたくさん粟餅を作って4つの森に持ってゆきました。そして毎年冬の初めにはきっと粟餅を森に届けましたとさ。これは収穫祭の奉納に似ている。森の話はドイツの童話には欠かせないのだが、賢治は岩手山のふもとの森の童話を作った。

(つづく)



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