ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 東京電力福島原発事故調査委員会著 「国会事故調 報告書」 徳間書店

2013年07月31日 | 書評
憲政史上初めての国会事故調査委員会による東電福島第1原発事故報告書 第9回 最終回

要旨から (6)
6) 事故当事者の組織的問題
 事故当事者である東電、規制当局の組織統治能力(ガバナンス)を問題とする。事故の根源的原因は何度も地震・津波のリスクに警鐘が鳴らされたにもかかわらず、東電がシビアアクシデントの原因としての外部事象の発生確率が低いとして地震・津波対策をなおざりにし先送りをしてきた点にある。またそれを許してきた規制当局の責任も重い。やるべきことをやらない、これを行政の不作為という。海外での規制実施を受けて、全電源喪失対策の指針への反映、直流電源の信頼性見直しを検討してきたが、それを考慮する必要は無いと規制を見送った。東電・保安院にとって今回の事故は決して「想定外」ではなく、認識していたのも係らず対策を怠った責任は免れない。電気事業者は耐震安全性見直しのバックフィット、SA対策などの規制強化を拒み続け、電事連を通じて学界や規制当局に規制回避を働きかけた。こうした事業者のロビー活動に規制当局は妥協し、事業者の都合にあわせた指導でお茶を濁してきた。これを「虜の構造」という。東電の経営伝統は自律性と事業の責任感が稀薄で、お国の依頼で原発をやっているから規制を弱めてこちらのわがままを聞いてくれという関係を続けてきた。まさに東電は経産省の一部組織に近い感覚で運営され、お互いに深く依存しあっていた。原子力技術に関する情報格差を武器に、電事連を通じて規制を骨抜きにする試みを続けた。シビアアクシデントの経営のリスクとは、周辺住民の健康や生活に与える影響ではなく、対策を講じる費用や既設炉を停止したり、訴訟上不利となる事をリスクと捉えてきたことである。原子力部門の経営は決して楽ではなく、最近はコストカットや原発稼働率の向上ばかりが重要な経営課題として認識されてきた。「安全第一」は掛け声だけで、利益率最優先の姿勢はどこの企業体とも変わらなかった。扱っている商品事業が極めて危険であることを東電本社は忘れていたのでは無いだろうか。規制当局との伝統的な癒着体質は非公開を原則としてきたため、情報とくに不都合な情報の隠匿は日常茶飯事であった。今回の事故での放射線漏出情報公開は不十分で結果として被害拡大の遠因となった。最後にわが国の規制当局には、国民の健康と安全を最優先と考え、原子力の安全に対する管理監督を確固たるものにする組織的な風土も文化も欠落していた。失われた国民の信頼を取り戻すには、新規制組織は国民の安全を最優先する前提に立たなければならない。そして組織の独立性、透明性を高め、専門能力を持った人材を育成し、国際安全基準に沿ってわが国の規制体制を向上させてゆく「開かれた体質」が必要である。さらに緊急時の迅速な情報共有、意思決定、指令の一元化を図る必要がある。

7) 法整備の必要性
 これまで原子力防災体制は事故があるたびに、改定などのパッチワーク的対応がなされ、予測可能なリスクでも顕在化しなければ対策が講じられることはなかった。日本の原子力法規は原子力の推進を第一義的に設定したもので、規制という側面は「日蔭の身」的に捉えられてきた。そのため日本の原子力法規制は、安全を志向する諸外国の原則に遅れたフェイズの浅い規制しか行なってこなかった。規制当局は最新の技術的知見を反映する法体系に迅速に切り替え、今回の事故を踏まえて新しいルールで見直すバックフィットを実施し、新ルールに合致しない旧型炉を廃炉とする決断が必要である。原子力法体系において、原子炉施設の安全性確保の第一義的責任は事業者にある事を明確にし、原災法は事故対応においては事業者とそれ以外の当事者との役割分担を明確にすることが重要である。

(完)


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