ブログ 「ごまめの歯軋り」

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足立恒雄著 「数の発明」 

2021年08月09日 | 書評
京都市  枳殻亭「周遊庭園」

足立恒雄著 「数の発明」 

岩波科学ライブラリー(2013年12月)

第1章)  数の概念
1-3) 負数
負数は欧州に関する限り、量の概念とは別のルートで数の中に組み込まれたという経緯をたどった。東洋やアラビアから見ると不思議な成り行きであった。負数と負数を掛け合わせると正数になることが理解できなかった。数とは個数の事だとするギリシャ数学の影響が中世を長く支配したからである。ホワイトヘッドは1911年「数学入門」において「ゼロ0とは空位を表す記号であったが、限りなく小さいという意味で数とみなすようになった」と書いた。パスカルでさえ0-4=0、つまり0は無であるからそこから4を引いてもゼロだと主張した。まして負数を考えることはできなかった。ところが古代中国(紀元前1世紀)の算術書「九章算術」において、負数とゼロ0を含む加減演算の規則が当然の様に述べられている。負数を負債と解釈した場合、損得の会計が明確になる。16世紀クリシュナは「負数は、場所、時間、物質の逆性である」と看破した。数直線上である時点を原点に取ると、時間、距離には正負の関係が見えてくる。負数を含めた四則演算を説明して、クリシュナは「負数に負数を掛け合わせると正数を得ることは、逆性(方向性)の裏返しとなり正となることはだれでも知っている」と述べた。数を個数だけだとするなら、正数だって掛け算はできない。オイラー、ニュートンらは負数を伴う演算には欠かせないことを十分理解していた。負数の利用を放棄した代数学や、デカルトの様に方程式の根としての虚数を数として考慮の対象外に置くことも行われていた時代があったことは、今になっては知性のジレンマとして参考になる。

1-4) 複素数
複素数は実数のペアとして説明される。従って実数が解れば複素数を理解することは困難ではない。デカルトは「数とは方程式の根のことである」と理解していた。しかも正の根だけである。しかし方程式の根とならない実数も無数の存在するため、数は方程式だけでは把握できない。虚数は方程式の根として現れた。2次方程式の根である無理数(√2)と同じ理由である。虚数を含む根としてn次方程式はn個の解を持つ。虚数は理論の簡素化に大いに役立ったというべきであろう。無限遠点とは平行な2直線は必ず交わるという。交わらないとするユークリッド幾何とは異なる定義である。ベズーの定理は「CとDという代数的に定義された2曲線は、Cの次数をm、Dの次数をnとすれば、mn個の交点を持つ」という簡素な美しい定理である。X^2+1=0の根(X=i)という虚数を認めれば、「すべての方程式は次数分の根を持つ」という定理を得る。素晴らしく簡素な定理である。ガウスは複素平面について「まずい命名によって混乱を与えたが、X軸の正負の数直線と虚数軸という縦方向の単位をiとしていれば理解は早かったに違いない」と述べた。1799年ガウスの定理は、実数係数のn次方程式の根はn個の複素数解を持ち、x^n+a_1 x^(n-1)+・・・+a_n=(×-α_1)・・(×-α_n)=0と因数分解されるというものである。1849年のガウスの論文では虚数解を大ぴらに表現し、左辺をp(x+yi)として、p(x+yi)=u(x,y)+v(x,y)iと表し、u(x,y)=0とv(x,y)=0という2つの曲線が交点を持つことを示した。実数体は有理基本列(lim┬(m,n→∞)⁡〖〖|a_m〗^ 〗-a_n |=0)が収束するように作られた体(集合)である。虚数iは容易にx+yiという形式を作り出し、方程式が解を持つようにした。このことはアルベール・ジラール、オイラー、ダランベエール、ラグランジェ、ラプラースらによって証明された。方程式の「因数分解体の存在定理」は代数学の基本定理とされた。しかしこの定理は四則演算を具えた集合という代数学のみでは証明はできない。

(つづく)




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