ブログ 「ごまめの歯軋り」

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小林秀雄全集第24巻「考えるヒント 下」より「福沢諭吉」

2007年03月31日 | 書評
福沢諭吉

福沢諭吉は幕末に大阪の適塾で学び、明治維新後は西洋文化の啓蒙者、実学を説いて慶応大学の創設者であった。その著にはよく知られた「学問の勧め」、「文明論の概略」、「福翁自伝」が有名である。私もこの書は何回も読んだが、迷信を打ち破るため一つ一つ実証してゆく態度には驚かされた。特に岩波新書の丸山真男の「文明論の概略講座」では声を出して読む魅力を教わった。この本は確かにリズムがあり名文だなという感を強くした。

小林氏はこの書から、幕末から明治維新を経験した思想人(?そんな思想人なんていたのかな。行動家ならいっぱい居たが)が味わった日本独特の経験を述べておられる。幕末の武士社会と西洋化による近代社会を二度経験するこの僥倖を言っているのである。そして幕臣で明治維新後の顕官になった勝海舟と榎本武揚の変節を批判する「痩我慢の説」、「丁丑公論」を引用して福沢の道徳観を展開したつもりだ。戦前の共産主義者の獄中転向と同様に、この勝海舟と榎本武揚の変節もすべて道徳問題である(彼らの果たした役割功績は実に偉大である)。思想ではない。きわめて難解な問題であるが、私はそんな時代に勝や榎本の道徳を公的に問うても意味の無いことで、公的なかれらの功績は充分に余りあるものだった。福沢の意見は道徳問題として個人に宛てて発信すべきものだったと思う、実に軽率な行為と残念でならない(本人はこの書を隠していたそうだが、誰のすすめからにしても出版したのはやはりまずかった)。それを取り上げて人間の複雑性を坦懐される小林氏の意見はいただけない。

そして小林氏は最後に「士道は私立の外を犯したが、民主主義は私立の内を腐らせる」という訳の分からない感想を述べている。私立とは個人の活動と理解してください。これは福沢諭吉の著書の何処をどう読んでも出てこない小林氏一流のデマゴギーである。明治の初めに民主主義なんて存在するはずも無く、芥川龍之介ばりの腐ったようなニヒリズムの文句が明敏な啓蒙行動家福沢の口から出るはずも無い。民主主義を敵視する小林氏のいつものやり口である。本論の趣旨から関係の無い結論を書かれるのは実にまずい。私が裁判官なら意見の取り下げを命令する。



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