ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文藝散歩  五味文彦著 「源義経」 岩波新書

2008年09月10日 | 書評
源平合戦の英雄「源義経」像を文献・史料から探る 第1回
序(1)

 本書の目的の一つは源義経を鎌倉初期の政治史の中で捉えることだという。決して悲劇の英雄像と云う側面だけでは全体像はつかめない。古くは古事記に書かれた「ヤマトタケル」の人間造型にみられる悲劇的英雄像「白鳥の歌」がある。その対比で義経を鎌倉時代武家階級の創生期の悲劇的英雄と捉えることができる。平家を滅亡させた功績は顕著で争えない。しかし義経の意義はそれには留まらない。それと同時に関東武士団が苦手であった畿内の支配に先鞭を付けたことである。北条時政や一条能保の京都守護代、六波羅探題は実に江戸時代まで継承されるのである。源平合戦の勝利に貢献した義仲と義経に共通な問題点は後から付けられた挿話かもしれない。関東武士団の惣領北条家の陰謀と見ることが出来る。鎌倉幕府の成立は天皇家の権威と武家の惣領たる源頼朝の貴種性(カリスマ性)と北条家を中心とする関東武士団の武力のトライアングルで出来上がった。源頼朝は関東武士団の掌中にあった婿殿である。源頼朝に異を唱える物は排除された。義仲、義経は勿論、素直に従った兄の範頼も曽我事件を口実に葬られた。兄の全成も退けられた。北条家が強力になると、草創期の御家人や源頼朝の遺児さえもすべて葬られた。源氏の名さえ不要になったのである。そうして鎌倉幕府は北条家の単一支配に変質(ようやくなったというべきか)した。天皇家における藤原氏の単一支配のようになった。


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