ブログ 「ごまめの歯軋り」

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出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」

2021年08月02日 | 書評
茨城県下妻市  「砂沼」

出 隆 訳 アリストテレス著「形而上学」 

岩波文庫(1961年2月)上・下(その10)


第1部 アリストテレス「形而上学」の概要

第8巻(Η) - 質料(全6章)
第1章 - 前巻の要約、一般に実体と認められている感覚的事物は「質料」と「形相」(形式)とその「結合体」に分かれるが、その中で「質料」は事物の転化の基体となる
第2章 - 「質料」としての実体は可能的存在である、現実的存在としての実体は何か、「差別相」(種差)、「形相」(現実態)の諸相
第3章 - 事物の名前は「質料」と結合した「個体」を指し示すのか、あるいはその「形相」(現実態)をか、個々の構成要素の他にこれらを結合させる何ものか(形相)が存在する、定義についてのアンティステネスの説への反駁、数と類比的な定義の仕方
第4章 - 事物の「第一の最も遠い質料」と「最も近い直接の質料」、諸原因の正しい追求の仕方、限定を受けるもの(属性の基体)は「質料」ではなく「具体的個物」である
第5章 - 事物の転化と「質料」の関係
第6章 - 定義が一つであることの原因は何か、それは定義における「類」は「種差」の可能態であり、「種差」は「類」の現実態だから

第9巻(Θ) - 可能態・現実態(全10章)
第1章 - 「デュナミスにおける存在」(可能的存在)と「エネルゲイアにおける存在」(現実的存在)について、まず本来の意味での「デュナミス」すなわち「運動の能力」としてのそれ、能動的能力と受動的能力、能力と欠除態
第2章 - 非理性的能力と理性的能力、理性的能力は反対のものどもの両方に関係し得るが非理性的能力は一方的である
第3章 - 能力(可能性)を否定するメガラ派の逆説に対する反論、次に新たな意味での「デュナミス」、すなわち現実活動・現実態としての「エネルゲイア」に対する可能力・可能性・可能態としての「デュナミス」について
第4章 - 無能・不可能・有能・可能などについて
第5章 - 能力・可能性の獲得方法と、可能性・可能帯が現実化される諸条件について
第6章 - 「エネルゲイア」に対する「デュナミス」(可能性・可能態)、「エネルゲイア」の二義、すなわち「運動・現実活動」としてのそれと「完了的な現実態」(エンテレケイア)と同義的なそれ
第7章 - どのような場合に、あるものは他のものの「可能態」であり「質料」であるか
第8章 - 「現実態」はその説明方式においても、時間的にも、その本質においても、「可能態」より先である、永遠的・必然的な実体は「可能態」において存することなく永遠的な運動にも単なる「可能性」は存しない
第9章 - 「善の現実態」は「善の可能態」より優り、「悪の現実態」は「悪の可能態」より劣る、幾何学的定理は「現実化」によって発見される
第10章 - 真としての存在、非複合体および複合体の真と偽について

第10巻(Ι) - 「一」について(全10章)
第1章 - 「一」について、「一」と言われる四つの場合、「一」は主に性質・量の尺度である、諸種の尺度
第2章 - 「一」はピュタゴラス派やプラトンが説くような「実体」ではなく、自然哲学者たちが説くような「基体」でもない、「一」が「普遍」であるということの論証、「一」は「存在」と同様に普遍的な述語である
第3章 - 「一」と「多」の対立について、関連する諸概念 --- 「同一性」「類似性」「異他性」「差別性」 --- の解明
第4章 - 「反対性」は完全に「差別性」である、「反対性」と「欠除態」及び「矛盾的対立」との関係
第5章 - 「大」と「小」はどのような対立か、「一」に対する反対のものは一つであるが「等」は同時に「大」と「小」と対立する
第6章 - 「一」と「多」の対立、「少」と「多」の対立について
第7章 - 「反対」のものどもの間にある「中間」のものどもについて、それら相互の関係、「反対」のものどもとの関係、それらが「反対」のものどもから成るということについて
第8章 - 「種」において異なる(差別される)とは何か、「種」における差別性はその「類」の内での差別性であり、「異他性」である
第9章 - どのような「反対性」があるものには「種」における差別をもたらし、他のものにはもたらさないのか
第10章 - 「消滅的」なものと「永遠的」(不滅的)なものとは「類」を異にしている、そこからイデア説が排撃される

(つづく)



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