ブログ 「ごまめの歯軋り」

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足立恒雄著 「数の発明」 

2021年08月12日 | 書評
京都市右京区花薗  「法金剛院」待賢門院陵(藤原あきこ墓陵) 

足立恒雄著 「数の発明」 

岩波科学ライブラリー(2013年12月)

第2章) 現代における数体系

2-3) 集合論 による方法
集合論はカントルとデデキントが共同して創始したものである。デデキントは集合算の基本を、代数学のような構造を持つ集合も基礎固めをしたといわれる。デデキントは自然数を数学帰納法によってひとつづつ定義するのではなく、自然数の全体をまとめて、自然数の体系という集合を定義する道を選んだ。1887年「数とは何か、そして何であるべきか」でデデキントは集合演算を導入し、そして本質的な無限集合を定義した。
定義(無限集合)デデキント無限
集合Sが自分自身と対等な真部分集合を持つとき、Sは無限集合である。
自然数の全体N={0,1・・,2,3,4・}とその平方数の全体Q={0,1,4,9,16,・・・}はnにn^2を対応させることで1対1に対応する。従って集合NとQは対等である。従ってNは無限集合である。「全体は部分より大きい」というのは絶対的な真理とみなされていたが、ガリレイは集合NとQは対等であることを見出した最初の人であった。デデキントは「対等な真部分集合をもつこと」それこそが「無限」の特徴であることを見出した。(自然数全体と偶数集合など)デデキントは自然数を1から始めるということを次のような集合でおこなった。Sを無限集合とし単写sが存在するなら、
(1∈X)かつ∀x(x∈X→sx∈X)
なるSの部分集合Xの全体を考え、その共通部分集合をNとする。するとN={1,s1,s(s1)・・・}となる。元aからその像s(s(a))を次々と作り出すより、これを「単純無限集合」と呼んで自然数の「類」を作るアイデアを生んだ。ある性質Pを持つ最小の集合を性質Pを持つすべての集合の共通部分として把握する方法はデデキントの創始による。写像sによって順序づけられた単純無限集合Nwを自然数、数と呼ぶ。要素から他のどんな内容を捨て去ることは、人間精神の自由な創造である。デデキントは自然数の加法・乗法の定義を与えるため、「再帰性定理」を証明した。「再帰性関数」の理論の創始者となった。デデキントの数体系は順序関係を本質としている。順序の数(序数)を数の本質とみる思想を体現したのである。「無限集合は存在するのか」という命題は、集合と写像の概念からは証明することはできない。デデキントは従って無限集合を公理として認めることから始めたのである。時代は公理的集合論へと発展した。

2-4) 論理的に定義する方法
数理哲学の祖といわれるフレーゲは論理主義で数学の基礎付けをおこなった。フレーゲが1879年に「概念記法」を著わし、数学的論理学の刷新を志した。しかし1950年ごろまでは無視されてきたが、ヴィトゲンシュタイン、フッサール、などに影響を与えたといわれる。ペアノのやり方を継承したラッセルに注目が集まりよってフレーゲの論理学は見捨てられた。フレーゲの論理学派現代では「述語論理学」の公理系とほとんど同じで、1階と2階の区別なく(量子化の変数が要素を動く場合も概念を動く場合も)公理化し、論理は絶対的に真であるという信念に基づいた。しかし現代では論理の絶対性は認められていない。フレーゲは主語・述語の代わりに「命題関数」Φ(x)(要素xは性質Φを持つ)を導入した。自然数の系列を論理学的に定義するため、「親子関係」f(x,y)(xはyの親である)を分析することが先決である。次の関係が成り立つとき、性質Fは遺伝的であるという。
親子関係:∀x(F(x)→∀y(f(x,y)→F(y))
子孫関係:∀x(f(a,x)→F(x))→F(b)
この関係をf^* (a,b)という。f^(**) (a,b)も定義され始祖関係という。
次に基数という概念を定義する。FとGを概念(性質、条件)とする。Fを満たすxの外延<集まり)とGを満たす集まりが対等であるとき、
{x│F(x) }≈{x|G(x)}
と書く。そこで基数原理(ヒュームの原理)#F=#Gとは、Fの基数と呼ばれる新しい対象#Fを導入する。それを踏まえてフレーゲは基数の直接的定義に向かうのだが悪戦苦闘する。その過程は省いて現代数学では、0,1を次のように定義する。
0={x│x≠x},1={0}={x|x=0}
基数原理を使って演算を展開できる。具体的には関係fとしてf(m,n)を定義し、Fを満たす一つの要素を取り去った概念の基数がmであるとき、nはmの後者(次の数)であると呼ぶ。これに数学的帰納法を適用すれば0を始めとする自然数の系列が得られる。論理だけで数学の数体系が構築できたといえるだろうか。論理主義は数学は論理に還元することができるというフレーゲの主張であるが、実際は数学的対象は実在する。論理の多様性が認められる現代においては、論理の普遍性を主張することは難しいといえる。

(つづく)




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