ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中秀明著 「日本の財政」 中公新書 (2013年8月 )

2014年05月28日 | 書評
日本の財政改革の失われた20年と財政再建の道筋ー財政規律と予算制度改革 第5回

2) 財政赤字の政治経済学ー予算制度と政治家のコミットメント (その2)
 要するに財政赤字の問題は、予算編成過程における政府サービスの便益と負担に関する情報の問題に集約される。財政の機能には一般に、資源配分、所得再配分、経済の安定化という3つの機能がある。政府サービスの便益と負担を問う観点から、税を納めることで政府サービスを享受することなのだと説く、井手英策著 「日本財政 転換の指針」(岩波新書 2013年1月)は参考になる。井出氏は税の普遍主義を次のように定義する。「自由主義者(リバタリアン)は再配分を真っ向から否定する。市場で獲得した分配の結果は常に公正だという。しかし資源の分配は獲得した分だけ、人の資源を奪ったのである。正当化の理由としての「努力」は「運」と「格差」から来ている事を隠している。リバタリアンは課税は所有権の侵害であると叫ぶ。アリストテレスは「分配の公平」には「比例的正義」と「矯正的正義」があるといった。比例的正義とは自由主義者の論である。財政が所得配分の是正(矯正)を行なうのは貧しい人を救済することにあるのではない。これは自由主義者の市場の失敗を補完するための道具では無いからである。自由主義者は慈悲で貧しい人を救うという考えを持つ。財政の目的は人間の尊厳を傷つけない形で分配の公平を実現する事にある。ここにいう人間の尊厳とは物質的なことだけではなく、社会から認められる存在として扱われることである。「分配の公平」を実現するにもいろいろ気を使わなければならない。所得の少ない人を選別して証明するいわゆる「ターゲッティズム」(行政でいう生活保護世帯の認定)では差別になる。弱者への配慮を可能な限り人間の尊厳と両立させるため、ユニバーサリズム(普遍主義)に基づく財政という基本理念が必要である。「ユニバーサリズム」とは人間共通のニーズに答えるため、人間を収入の多寡や性別では区別せず等しく扱うことである。ユニバーサリズムでは中間層を含めあらゆる階層が受益者となる(子ども手当てで所得制限を設けない)。中間層の受益感が強められ、納税も自らの利益と結びつく。納税を所有権の剥奪ではなく、自身の受益に繋がると考えられるのである。」 日本国憲法では租税法律主義、国費の支出・債務負担の国会議決原則を規定している。日本のように歳出と歳入が一体となった形の予算は実はアメリカにはない。財政赤字の原因を「財政ルール・予算制度」に求める説(本書はそれにあたる)では予算編成過程の集権化と透明化の重要性が主張される。これにより便益と負担の乖離が避けられるとする。財政ルールは財政政策に恒久的な制約を課すもので、①財政収支ルール、②債務残高ルール、③支出ルール、④収入ルールの4つのルールがある。基本的伝統的ルールは財政収支均衡ルールである。日本の財政法の原則も均衡予算である。日本・ドイツの建設国債は世代間の負担公平から(後付け理由のこじつけみたい屁理屈のように私には聞こえるが)借金を認めるという「ゴールデンルール」という特別枠がある。財政ルールを機能させるためには「中期財政フレーム」を明確化しなければならない。IMFは1998年4月「財政の透明性に関する優良慣行規定」を発表し、予算・財政の透明性を確保するように求めた。OECDも1999年透明性に関するOECD基準を定めた予算制度は予算委関わるプレーヤ(政府・議会など)の「コミットメント」が求められる。コミットメントとは財政規律を維持する意志の問題である。経済危機や政権交代の時はコミットメントは高まるが、景気が回復すると弛緩するのが世の常である。それを担保するのが財政規律である。予算制度改革が難しい根本的な理由は、財政規律を維持するための予算制度の導入がプレーヤの意志(コミットメント)に依存していることである。プレーヤが利己的に走れば財政規律は反古にされる。日本のプレーヤは花見景気で規律の骨抜きが好きなのである。

(つづく)


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