ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 デカルト著 井上庄七・森啓・野田又夫訳 「省察 情念論」 (中公クラシック 2002年)

2019年01月25日 | 書評
ルネ・デカルト

近代哲学・科学思想の祖 デカルトの道徳論  第1回



今更言うまでもないことであるが、ルネ・デカルト(1596年3月31日 - 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者、数学者である。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。本書「省察、情念論」に入る前に、デカルトの概要をおさらいしておこう。考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上でもっとも有名な命題の1つである。そしてこの命題は、当時の保守的思想であったスコラ哲学の教えであるところの「信仰」による真理の獲得ではなく、人間の持つ「理性」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している。デカルトが「近代哲学の父」と称される所以である。初めて哲学書として出版した著作『方法序説』(1637年)において、冒頭が「良識はこの世で最も公平に配分されているものである」という文で始まるため、思想の領域における人権宣言にも比される。また、当時学術的な論文はラテン語で書かれるのが通例であった中で、デカルトは『方法序説』を母語であるフランス語で書いた。その後のフランス文学が「明晰かつ判明」を指標とするようになったのは、デカルトの影響が大きいともいわれる。レナトゥス・カルテシウスというラテン語名から、デカルト主義者はカルテジアンと呼ばれる。デカルトを代表する著作を以下に列記する。
① 1628年 『精神指導の規則』 未完の著作。デカルトの死後(1651年)公刊される。
② 1633年 『世界論』 ガリレオと同じく地動説を事実上認める内容を含んでいたため、実際には公刊取り止めとなる。デカルトの死後(1664年)公刊される。
③ 1637年 『方法論序説および3つの試論(屈折光学・気象学・幾何学)』 「みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法」で、序説単独で読むときは「方法論序説」と呼ばれる。
④ 1641年 『省察』
⑤ 1644年 『哲学の原理』
⑥ 1648年 『人間論』 公刊はデカルトの死後(1664年)である。
⑦ 1649年 『情念論』
デカルトの思想の概要を述べよう。まず最初は哲学の体系である。『哲学の原理』の仏語訳者へあてた手紙の中に示されるように、哲学全体は一本の木に例えられ、根に形而上学、幹に自然学、枝に諸々のその他の学問が当てられ、そこには医学、機械学、道徳という果実が実り、哲学の成果は、枝に実る諸学問から得られる、と考えた。デカルトの哲学体系は人文学系の学問を含まない。これは、『方法序説』第一部にも明らかなように、デカルトが歴史学・文献学に興味を持たず、もっぱら数学・幾何学の研究によって得られた明晰判明さの概念の上にその体系を考えたことが原因として挙げられる。次に哲学の方法であるが、ものを学ぶためというよりも、教えることに向いていると思われた当時の論理学に替わる方法を求めた。そこで、もっとも単純な要素から始めてそれを演繹していけば最も複雑なものに達しうるという、還元主義的・数学的な考えを規範にして、以下の4つの規則を定めた。
① 明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れないこと。(明証)
② 考える問題を出来るだけ小さい部分にわけること。(分析)
③ 最も単純なものから始めて複雑なものに達すること。(総合)
④ 何も見落とさなかったか、全てを見直すこと。(枚挙 / 吟味)

(つづく)


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