ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 丸山眞夫著 松本礼二編 「政治の世界」 (岩波文庫2014年)

2016年09月27日 | 書評
科学としての政治学の創造を試みた戦後初期の評論集 第7回

3)「政治の世界」 (その2)

次に支配権力の正統化をみてゆこう。被征服者がもし徹底抗戦し最後の一人が殺されるまで戦ったとすれば、これは資源の掠奪であって近代統治ではない。被治者の能動的な服従は、被治者が治者の支配に何らかの意味を認め仲なければ成立しない。その意味が権力の正統性的根拠である。正統性がなければ統治は成立しない。マックス・ウェーバーは歴史的に①伝統的支配、②カリスマ支配、③合法的支配の3つを分類した。丸山は支配の類型を5つとした。第1の類型は家父長制や君主制に見られる伝統的支配です。歴史的伝統はそれ自体が最高の権威をもって被治者のみならず治者をも拘束している。中国の伝統的王朝はいったん成立すると数百年は続くという慣性(惰性)を持っている。第2の類型は統治の正統性を「自然法」に求める場合です。中世から近世にかけての王侯貴族の支配がそれです。第3の類型は近世の絶対君主制の「王権神授説」がそれです。中国王朝の「天命」もそれに近い。第4の類型は統治のエキスパートあるいはエリートが治者となる観念です。いわばカリスマ的正統性となる。カリスマ相続制である天皇制はこれに相当します。宗教的革命者もカリスマ性をもっていました。大衆デモクラシーの人民が卓越した指導者を選択し、その指導者に白紙委任をする傾向が強くなっている。アメリカの大統領制もカリスマ支配である。第5の類型は、近代の正統性的根拠として人民による授権です。フランス革命のときのルソーは「社会契約説」で主権在民を主張した。支配者は自己の支配を人民にょる承認ないしは同意の上に根拠づけます。ヒトラーのファッシズムも最初は人民の同意でスタートしました。社会主義のプロレタリア独裁の人民の意志に基づく権力と主張しました。現在の主要な政治思想は悉く民主主義的正統性に帰一したと言える。これを虚構としないためにも、人民は権力に対して厳しく監視しノーと声を上げなくてはなりません。これはウェーバーのいう合法性に基づく支配です。ただそうした形式的合法性はどこまで行っても実質的正統性とは異なる。つまり人民が作った法に人民が従うという観念が合法性を正当化している。ここに「合法性の虚構」が発生する危険がある。選挙で公約通りに動いた議員はいないのに、彼らの決めることが人民を支配できるとする点に虚構が存在するのだ。ルソーは結局直接民主主義に到達した。効率重視なら議会への白紙委任になる。効率を無視したら一つ一つの重要政策は国民投票となる。我々はいったい何に投票しているのか。小選挙区制では候補者のパーソナリティに、比例投票では政党という政策立案機構に投票し、小選挙区と政党比例投票は真っ向から矛盾している。一旦議員になったら政党の決定(支配)に抵抗できる議員はいない。すると比例投票は意味をなさない。こんな鵺的選挙制度で法の合法性を言われても納得はできない。次に権力行使のための組織化(政府組織・官僚機構)について考える。組織とは構成員・秩序関係・常設機関の要件を備えた、集団の作用能力のことである。こうして現代国家において統治体系をいかに組織化するかが決定的に重要となった。組織原理とされる三権分立を中心に、専門的な官僚制(軍隊を含む)が必要です。議会が統治機構の中で立法機関として重要な地位をしめ行政機関と並立するが、、イギリスの議院内閣制は議会で内閣を選出し官僚の任命権を持つ議会が優位に立ちます。つまり立法府が行政府の根拠を作るからです。ところが、1980年以降新自由主義が盛んになるにつれ官邸の機能強化が図られ、権力の分立では何も決められないという理由で、権力の統合と集中が行われてきた。権力の分立ではなく諸機能の分化と分業であったという統治機構の面目が益々はっきりしてきたのである。こうした傾向をさらに進めると議会政治の実質的な否定になり、ナチスの授権法、日本の国家総動員法などファッシズムの寡占支配の足場となった。組織の高度化や官邸機能の強化集中は少数エリートによる寡占支配となり、社会のエネルギーが低下する。

(つづく)