ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 中野晃一著 「右傾化する日本政治」 (岩波新書2015年7月)

2016年09月04日 | 書評
安倍政権の復古主義を、新自由主義の帰結として政治の右傾化と寡頭支配の中で捉える 第8回

3) 自由と民主の危機ー新右派連合の勝利 (その2)

 小泉政権の官房長官をつとめ、小泉から事実上の後継指名を受けた安倍晋三は、「昭和の妖怪」と言われた岸信介の孫になり、1993年冷戦後に初当選した戦後生まれの首相となった。そのまえに中曽根政権の下で外相秘書官を務めたことが安倍の新右派的正確に密接につながっている。安倍は1997年より歴史修正主義バックラッシュの若手騎手の一人である。安倍の急速な台頭には北朝鮮拉致問題の展開で被害者的「反北朝鮮ナショナリズム」を体現したことであった。それが靖国史観と完全に一致をみた。岸信介の国家主義には北一輝の国家社会主義の残影が色濃く影響してると言われ、それに安倍は新自由主義を付け加えたのであるといわれる。官僚的「国家改造論」と新自由主義経済(境界なき市場経済)とどうつながるのは不明であるが、とにかく奇妙な合体というか「いいとこ取り」折衷思想であろう。55体制を戦後レジームとしてそれからの脱却を急いだ安倍は、教育基本法を改定、防衛庁の省への昇格、国民投票法の制定し、集団的自衛権行使容認に向けた検討を開始した。安倍の新右派アジェンダに経団連の御手洗会長が呼応したことは、安全保障が守りとする対象が国民ではなく、グローバル企業に変わっていることである。その意図を覆い隠すためにナショナリズムンの煽動が意識的に行われるようになった。2007年アメリカ下院は日本政府に対して「従軍慰安婦」に対する謝罪を求めたが、これに軍事面での対米追随とのバータ取引を図った。しかし失われた年金記録問題や格差社会問題、郵政造反議員の復党問題で安倍派は急速に支持を失い、2007年参議院選挙で民主党が第1党となり「ねじれ国家」の再来となった。こうして第1次安倍内閣は失意のうちに辞任した。後は福田康夫の「スーパー世襲議員」が首相を引き継いだ。民主党の小沢代表との「大連立構想」で失敗した福田は1年を待たず辞任した。そしてこれまたスーパー世襲議員である麻生が首相を引き継いだ。2008年リーマンショックは世界金融危機を引き起こした。麻生のしj支持率は低迷し2009年総選挙となった。2005年の総選挙のオセロゲームのように民主党は2/3の議席を獲得して政権交代を成し遂げた。ところが民主党は松下政経塾系の中堅若手を中心に対米追随路線の新右派世代を多く含んでおり、小沢という稀代の右派政客を擁しており、新右派路線から自由ではなかったのである。鳩山内閣は沖縄基地移転問題であえなく失脚し、鳩山と小沢のトロイカ体制で成立した管政権は新右派傾向の強い(岡田、前原、野田)「七奉行」と財務省へシフトするなかで、消費税増税問題、TPP交渉に臨んだが、2011年3月11日の東日本大震災と東電福島第1原発事故の対処のまずさで支持を失い、「自民党野田派」と言われるほど自民党寄りの政策をおこなう野田にバトンタッチした。野田首相は消費税増税、尖閣諸島国有化、集団的自衛権行使容認、PKO武器使用基準緩和など、一連の新右派アジェンダを推進した。そして2012年12月再びオセロゲームのように総選挙で自民党が2/3の圧勝となった。そして安倍は谷垣を降ろし、石破を議員選で破って総裁に帰り咲いたのである。第1次政権時代失意の中で辞任した安倍にどのようなマジックが秘められていたのだろうか、著者は2つの要因を挙げる。一つは新右派転換が関鉄したと言え鵜自民党が野党時代にさらに右傾化していたという現実である。政策政党を離れてしまった自民党のアイデンティティは右以外に存在しなかった。それも極端な形の右(極右政党)である。その代表が中川の「保守製作研究会」や安倍の「創生日本」である。彼らはショックドクトリンそのままに、震災・原発事故の責任をすべて民主党になすりつけ、茫然自失の国民心理に乗じて「戦後レジーム」からの脱却をぶち上げるチャンス到来とした。もう一つの要因とは、「政治の自由化」すなわち政権選択が可能となる政党システムが、民主党政権の挫折とともに崩壊したことである。2012年の総選挙は有権者の民主党と政治への失望感から投票率は低下し59%の史上最低となった。2013年参議院選挙で自民党は大勝しねじれを解消した。また2014年安倍は突如解散総選挙を行い、戦後最低記録を更新して投票率52.7%の中で自公連立で2/3を維持する圧勝を得た。比例区での自民党得票率はこの3年間の選挙で16%-17.7%でほとんど変わらない。つまり自民党は政党としての支持率は16,7%で、有効な対抗馬のいない小選挙区で圧勝したのである。右傾化した安倍政権を支持したのではなかった。当所安倍内閣の支持率は高かったが、集団的自衛権行使閣議決定を行い安保法制審議を経て次第に低下し、2015年7月での安倍内閣支持率は40%を切り、不支持率の方が高くなった。

(つづく)