ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 丸山眞夫著 松本礼二編 「政治の世界」 (岩波文庫2014年)

2016年09月26日 | 書評
科学としての政治学の創造を試みた戦後初期の評論集  第6回

3) 「政治の世界」 (その1) 

本書前半部の中心をなす章である。ラスウエルらのアメリカ政治学の研究から「政治状況の循環モデル」をまず紹介し、そして権力の成立から崩壊までの過程を分析した。現代は情報技術の発達で生活の隅々まで政治化された時代であるという。すなわち政治権力が未曾有の数の人を把握でき、支配できる時代という意味である。横方向の広がりは国際政治(国連と冷戦、広域ブロック化)の圧倒的重要性で、縦方向への広がりはテレビ・映像を通じて個人の生活の内部への政治の浸透状況である。これほど政治が私たちの生活を自由に左右する力を持つからこそ、政治を我々のコントロール下に置くことが死活問題となってくるのです。政治的状況の一番基本的な特徴は、それが一瞬間も静止せず不断に移行することです。つまり政治は運動するという理論だ。政治的常キュの移行ををひとつの循環法則として理解する仕方を「政治力学」と呼ぶ。紛争Cが起き、それが解決されるS過程をC-Sとする。紛争とは広い意味では社会的な価値を巡る争いです。社会的価値とは財貨、資源、知識、威信、勢力、権力のことです。紛争の条件とは当事者が向かい合って、論争による説得から直接暴力行為によって相手を圧伏させることで、そこには紛争は政治的色彩を増す。本来政治的状況は暴力を前提とするのではなく、むしろそれを避けるための方策です。政治的解決は相手に対する何らかの制裁力を背景として、行使の威嚇(暴力、戦争)によってなされる解決のことです。国家間では紛争を最終的に解決する力を「主権」と呼ぶ。政治権力Pが紛争解決の媒介になる構図はC-P-Sとなる。ここに権力の自己目的化(権力のために権力を追求する)傾向が発生する。権力は不断の止むことのない権力の欲望を持つのだ。権力を獲得すると、現在持っている権力を守るためにさらにそれ以上の権力を求めるのだ。戦前の日本軍のように朝鮮ー満州ー中国へと侵略を進めたのと同じ構図です。どこまでが防御的で、どこからが攻撃的かという限界をつけがたい状況である。権力自体の獲得・維持・増大を巡って紛争が起き、その紛争を媒介として権力がさらに肥大してゆく構図は、P-C-S-P'(P<P')となる。権力拡張は国際政治では帝国主義政策です。これは威信誇示の政策とも呼ばれる。政治権力の発生過程を分析するにあたり、まず支配関係の樹立から見てゆこう。支配とは、その社会の最も主要な社会的価値を支配者が占有し、その帰属配分決定権を恣にするためです。だからその支配の出発点は、被支配者の武装解除、その物理的強制装置の解体です。ポツダム宣言によって占領軍が日本を解体した過程を考えましょう。法に依らずいわゆる力による解決が取って代ります。統治関係は典型的には国家において現れ、支配関係は基本的には国家権力を媒介して実現される。資本主義社会を基本とする近代国家の統治関係には2つの顕著な特徴がある。一つは政治権力の直接的な担当者(政府)と、実際上の支配階級との間に一種の分業が成り立っている。つまり政府は支配階級のの代弁者、執行者であり、支配階級そのものではない。支配者とはブルジョワジーのことで自らは手を下しません。第2の特徴は近代国家がいわゆる法治国家という構造を持っていることです。すべての人が社会的地位に関係なく同じ法の下に平等であるという原則です。ブルジョワジーは自身を特別な支配者だとは考えていません。ただ資本家の言うとおりに政府・官僚機構が動くことを陰に陽に要求するだけです。彼らが現代の最も重要な社会的価値である生産手段(資本も含めて)を排他的に所有することによって実質的支配関係は貫徹されるのです。資本と労働の関係も支配関係です。企業体の支配者(古くは財閥、今はホールディング)を「独占政治家」と国家権力の融合が顕著になってくると、近代国家の理念はなくなり、法治主義もかなぐり捨てて、潜在していた支配関係を露骨に主張することを「保守化」と呼び、安倍首相の手法はこの赤裸々な支配者像を見せつけることです。そしてこの寡占支配機構はファッシズムに転化してゆきます。無論それを支持し推進しているのは独占資本家ですが、彼らの支配力の強化維持というよりは、崩壊する支配機構の断末魔の悲鳴です。

(つづく)