ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 広井良典著 「ポスト資本主義ー科学・人間・社会の未来」 (岩波新書 2015年6月)

2016年09月08日 | 書評
拡大・成長を追い求める超資本主義の限界と、定常化・持続可能な福祉社会の構想 第3回

序(その3)

 アメリカの未来学者レイ・カーツワイルは「技術的特異点」ということをいうが、これは先端テクノロジーが集積し融合した時点において、高度に発達した人工知能AIと人体を改造された人体が結びついて。、意識が永続化し死を超えた永遠の生命を得るというSF的荒唐無稽な話で如何にもアメリカ人が好みそうな話である。アメリカではこうした議論は人間の進化に次なる段階ということで「ポスト・ヒューマン論」と呼ばれる。荒唐無稽な話は別にしても、そこで問われている文脈は、科学や技術の発展が人間にとって何をもたらすか、あるいは科学技術と経済・資本主義との関わりあいであろう。金融工学による金融のグローバル化が世界的規模で進んだのは、情報関連テクノロジーの発展と一体のものであった。それが無限のかつ瞬時の取引を可能とし、近代科学と資本主義という二者は「限りない拡大と成長」の追求という点で一致し、車の両輪の関係となった。しかしそれが2008年のリーマンショックでそのシステムの脆弱性や限界が露呈した。バラ色の未来ではなく、歪んだ恐ろしい結末になるようである。そこで「成長・拡大から成熟・定常化」への大きな転換期にあるという見方が生まれた。資本主義というシステムが不断の「成長・拡大」を不可避の前提とするならば、その転換とは資本主義とは異質な原理・価値を求めることになろう。こうした文脈で「ポスト資本主義」という社会の構想が求められるのである。日本は2006年頃より「人口減少社会」という未曽有なステージに立った。そうした成熟社会のフロントランナーとしての日本は、今後の科学の方向性を見極め、ポスト資本主義あるいは定常型社会における価値を探し求める試練に立たされている。雑駁な話ではあるが、本書では人類社会の歴史をおおまかに三段階に捉えると、①20万年前のホモ・サピエンス誕生と狩猟採集生活の始まり、②約1万年前の農耕文明の始まりと都市文明の誕生、③産業革命による資本主義的工業生産の始まりであるとする。人類は約1万年前に農耕という新たなエネルギー利用を始めた。狩猟採集生活よりも高次の集団作業や共同体秩序を必要とするものであり、そこに宗教や階層や、富の格差が生じた。農耕はその拡大成長の過程で紀元前4500年前メソポタミアで都市文明を生んだ。次いでエジプト、インド、中国に大帝国が出現した。第三段階の拡大・成長と定常化のサイクルの全体が近代資本主義の展開と重なる。人類社会の歴史の三段階のそれぞれに「定常期」があり、そこで人間精神が大きく進展し次の発展期を迎えるのだという階段踊り場説を広井良典氏は強調する。市場の発達と産業化そして情報化・金融化を経て現在は第三段階目の定常期だという。前の2段の定常期がどうもはっきりしないので、氏が言うほど楽観的にはなれない。新書という分量ではしっかり分析されていない。さて第4の拡大・成長は果たしてやってくるのだろうか、やってくるとすればポスト資本主義はどんな形なのだろうか。氏はその技術的ブレークスルーは①「人工光合成」、②宇宙開発ないしは地球脱出、③ポストヒューマン(人工知能人間)だという。社会構想という次元では、アメリカ型拡大成長を追求する社会ではなく、欧州型の「翠の福祉国家」、「持続可能な福祉社会」ではないだろうかという。この方がまだ考えやすい。ポストヒューマン(人工知能人間)にいたってはこれはもう人間ではなく、遺伝子操作されたAI埋め込み型の改造クローン人間が増殖して普通の人間を追い出した社会なんて考えたくはない。冗談でしょう、まさか著者は具体的政策提案として考えているのだろうか。やはり知的エリートは人間ではない。そんな空想はSFにまかせて、現実的な社会改造を考えてゆこう。言語の構造と脳神経の構造の分析から、数学などは人間の脳構造を反映しているという脳科学の考えがある。すると「意識の共有」という社会脳もあるかもしれず、現実とは脳が見る共同の夢かもしれないという主張(共同主観性論)も一理ある。まだこの議論は面白そうだが未知である。このようなことも頭の片隅において、本書の構成を示す。第Ⅰ部「資本主義の進化」では、資本主義の発展の歴史を回顧する。そして今後の展望を「ポスト資本主義」という座標軸で見ることにする。第Ⅱ部「科学・情報・生命」ではポスト資本主義を規定する科学のありようを科学史的な視点で掘り下げる。第Ⅲ部「翠の福祉国家・持続可能な福祉社会」ではポスト資本主義の社会像を、時間政策・資本主義の社会化・コミュニティ経済という観点で展望する。

(つづく)