ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

なぜ大阪人は騙しにくいのか

2006年08月23日 | 時事問題
asahi.com 2006年08月23日16時32分
「大阪人はだませない」、他府県狙い振り込め詐欺 
 出会い系サイトの利用者を狙って電話をかけ、利用料や延滞料などと称して現金をだまし取ったとして、大阪府警は23日、詐欺容疑で振り込め詐欺グループの男5人を逮捕した。5人は大阪市内の中学時代の同級生。「大阪人はだましにくい」と詐欺の対象からはずし、約3カ月間に他府県の延べ約100人から約2600万円をだまし取っていた疑いがある。

「大阪人は騙しにくい」のは、反権威主義者が多いからだ
 大阪の「おばたりあん」のパワーを知っている。恐い物知らずの我が物顔。三人寄れば文殊の知恵ならぬ「三界に恐いものなし」ですね。その源はやはり戦国時代からの自立精神にある。信長も真っ青なほど石川本願寺の抵抗はすごかった。江戸に都が遷ってからも天下の台所を担っているという自負もあった。本音を重んじ、権威主義・親方日の丸主義などには無縁で、自分の頭と生活から判断する。人の話は疑って懸かるし、しっかり自分の足で立っているのが大阪人。詐欺師の電話にも「アホか」でどやしつける。警察官に食って掛る。お上の作った規則は守らない。電車が着たら入り口に一目散に殺到。駐車違反など糞くらえ。路地に駐車すればいい。定価ははなから相手にしないで値切りに生きがいを見出す。こんなおばはんやおっさんが言うことををききますか。

中国の真意は

2006年08月23日 | 時事問題
asahi.com 2006年08月23日14時32分
北朝鮮の核実験、中国が牽制 外務次官補「協力できぬ」
 「中国の崔天凱・外務次官補は21日、訪中している土井たか子・元衆院議長と会談し、北朝鮮が準備を進めている可能性があるとされる地下核実験について「中国はそうした行動をとれば協力できない」と述べ、北朝鮮側を強く牽制(けんせい)した。土井氏が23日、会見で明らかにした。膠着(こうちゃく)状態にある6者協議に関連して、北朝鮮側が解除を求める米国による事実上の金融制裁について「北朝鮮側にルール違反があった」と、北朝鮮側の責任を認める一方で、「朝鮮半島の非核化は、金融制裁の問題の解決を待っていられない」と述べ、米国側にも柔軟な対応を求める考えを示した。」

はたして中国の真意はどちらにあるのか(アメリカへの非難か、北への非難か)
 中国の論理は北の非核化六者協議で歯止めがかかるが、六者協議の開催を阻害している要因は米国の金融制裁にある。それを緩めてやらないと北の協議復帰はない。従って非核化は出来ないという3段論法でアメリカに責任を転嫁する意図も見える。
 それとも素直に中国は「協力できない」と言う言葉は北を突き放した言葉か。どちらに力点があるのだろうか。またこの3段論法は正しいのか。北朝鮮が六者協議で素直に核開発停止を検証可能な形で約束するとは思えない。時間稼ぎと危険なカードによる脅しに終始すだけの応酬で2,3年は直ぐに経過する。その間核弾頭を開発すればいいと北は思っている。これまでの経過は、1年に1回くらい協議をやってすぐに席をけって会議を放棄し、またカードを切って1年は出てこないの繰り返しではなったか。中国にとって朝鮮半島の非核化は心配の種を減らす意味はあると思う。中国は北を自分の核で守ってやるような密約が成立しているだろうか。分からない。

イスラム原理主義者と日本の昭和維新

2006年08月23日 | 時事問題
 先のブログ「イスラム社会の理解は難しそう」で述べた原理主義者の社会基盤と先鋭的宗教性について、もう少し論を進めたい。先のブログに追加しても良かったのだが、長文に埋もれて読まれない可能性があるので、改めて一稿を起すことにした。
 この一章の論点はイスラム原理主義者と戦前の日本右翼の類似性についてである。日本の戦前の右傾化は東北地方などの農村の疲弊(娘を郭に売るほど)が背景にあることはよく言われる。そして現社会の政治財界支配層の腐敗を憤り、軍部の青年を中心にした2,26事変(クーデター)が勃発し、政治家と財閥要人の暗殺が行われた。ドイツではヒットラーが合法的に政権を奪取したが、日本では議会政治の腐敗を目の前にした右翼、青年将校が決起した。手法は暴力と暗殺、軍事行動であった。この青年たちの動きはうまく軍部に利用され、軍事政権が成立し戦争へと傾斜していったことは皆さんもよく承知されている通りである。
 この運動の理論的指導者は北一輝、西周などの先鋭な分子であった。この時期に多くの右翼団体が澎湃して多くは軍部にくっついて大陸での物資調達関係で甘い汁を吸った連中である。典型的には同郷新潟のよしみで山本元帥に笹川良一(戦後競艇で財を成した)がくっついた。右翼の理論はお粗末であるが、天皇制神道に基づいて、現政権の腐敗を打倒するものだった。
 これをイスラム過激原理主義者と比べれば、その社会基盤が貧しい下層社会の不満を吸収する点で同じである。イスラム教のアラー神を天皇と置き換えれば大体同じ論理が成りたつ。ただ日本の昭和維新の理論があまりに粗雑なため、求心力がなく軍部の利用するところとなった。イスラム原理主義者はモハメットの社会に復帰すとか革命を継続するという使命観に燃えている点では、かっての共産主義者に似ている。国際派イスラム原理主義者は共産主義の世界同時革命論に酷似する。暴力性については米国がテロ呼ばわりするが、どこの軍隊でも他国での凶暴性は変わらないことは歴史が証明するところである。日本の南京大虐殺、米国のベトコン殺戮、フランスのアルジェリア民族解放戦争、ナチスのユダヤ人虐殺、数え上げればきりがない。ゲリラも最初はテロから始まり組織立てば戦争形態になる。現政権に反抗するものをテロと呼んで圧殺するのは米国のインチキ論理である。
 こう見てくると、イスラム原理主義者と日本の昭和維新は似ている様にも見えるが、理念的緻密さと組織性は共産主義に酷似する。ただ共産主義には神はいない。やはりイスラム圏の人はアーリア民族で欧州人と根が同じだなという感がする。理論構造がしっかりして、極めて執着的で粘り強い。日本の昭和維新は天皇が現政権側についたたためもろくも崩壊するという体たらく。右翼も理論なしのやくざ家業に精を出す始末。全ての点でお粗末だった。
 しかしイスラム原理主義者の「異教徒の国は攻撃せよ」という点は、全世界がイスラム国になるまで戦いはやめないということになると厄介だ。私もコーランを読んでみたが、あそこに書いてあるのは生活倫理で、烈しい言葉でわめいている感じがした。当時のイスラム圏は小さく他の全てが異教徒であった。従って討ちてし止まんといっても当座のことであって、世界中をイスラム化するということにはならない。他の価値の存在を認めないのは偏狭だが、一神教だから論理的には他は認めないものであろう。キリスト教も一神教だが他の価値の存在は認めているようだ。(ブッシュのグローバル化は一種の原理主義に近い)イスラム教が不気味なのは、この他の存在を認めないで抹殺の対象にするということだ。ここを何とか為らないものか。世界が一つの宗教に染まったことは歴史的にもない。この点をイスラム教原理主義者は改めて欲しいと思う。そこからは永久革命、永久戦争しかでてこない。

イスラム社会の理解は難しそう

2006年08月23日 | 時事問題
asahi.com 2006年08月23日01時24分
ウラン濃縮停止 イラン、包括案拒む回答
 「イラン核問題解決のため、国連安全保障理事会常任理事国とドイツの6カ国が6月に提示した包括案に対し、イランは22日午後(日本時間同日夜)、在テヘランの各国大使らに回答書を提出した。」
 「イランは、現状の濃縮活動は研究目的で核兵器開発にはつながらないと主張。米欧は、包括案への回答を先送りにしてきたイランの対応に不信感を強め、安保理は7月、今月31日までに濃縮停止がなければ経済制裁を警告する決議を採択した。中国、ロシアは経済制裁に慎重な姿勢を見せているが、安保理での制裁論議が加速し、イランと国際社会の間の緊張が高まりそうだ。」

グーグルニュース 8月23日
イラン回答を慎重検討/米、EU、中国
 【ブリュッセル23日共同】イラン核問題の解決に向けた「包括的見返り案」に対し、ウラン濃縮活動停止を拒否した22日のイランの回答について、欧州連合(EU)と中国、米国は慎重に検討するとし、現時点でそろって対応を留保する姿勢を示した。


イスラム社会はなぜ米国を嫌うのか
 一時はロシアでウラン濃縮をして原発の核燃料に供給するという案で妥協が成立しそうに見えた問題は、やはりイランがウランの濃縮をやるといことに固執しそれは核兵器開発に直結する構図となった。イランは表向きは原発の平和利用の権利を主張しているようだが、裏は核兵器開発にあることは火を見るより明白だ。
 私はこのブログでイスラム社会は何が何だか良く分からないと述べて系統的歴史的に勉強したいと言った。そこで2,3冊の本を買って只今勉強中である。
 藤原和彦著「イスラム過激原理主義」という本を読んでいるところだが、面白い内容があったので紹介する。この本はエジプトのイスラム過激原理主義者を扱っているが、ビンラディーン氏が率いる国際派過激原理主義は、共産主義の類似で言うと同時世界革命をめざすトロッツキーやチェゲバラに酷似している。アフガン戦争でソ連を撤退させその数年後ソ連が崩壊したのは自分達の原理主義の勝利であり、アメリカのブッシュが自由主義が共産主義に勝ったという構図はデタラメだというわけである。イスラム体制が共産体制(無宗教の大悪魔国家)を崩壊させ、次の標的はアメリカ型民主主義(人権を偶像化して崇拝する国家)だとして2001年9月11日世界貿易センタを飛行機で爆破したのである。つまり次の破壊ターゲットは異教徒のアメリカとその追随者である。
 イスラム原理主義は7世紀の預言者マホメットの革命(世界のイスラム化)を継続して遂行しているとするようだ。内に向かっての革命でイスラム世俗政権を打破して神を主権者(人間には主権がない????)とする宗教主導社会建設を目指し、外に向かっては異教徒の支配する国々を攻撃支配するという崇高な???宗教的目標を掲げている。そのための戦いがジハード聖戦で、最も先鋭な手段(人間爆弾、ハイジャック、暗殺など手段を選ばない)を使ってよいとするのが過激原理主義者である。だからイスラム国家の何処の国のなかにも、最下層民を支持基盤とする過激原理主義者の細胞が結成されている。この宗教的に崇高な目標と貧民救済による社会革命がイスラム社会で支持を得るわけである。この民衆の最下層社会の不平や生活難からくる先鋭分子を取り込んで現社会転覆の細胞を作る手法は共産主義の手法そのものである。共産党細胞が武装化し、それに対する体制側と米軍の引き起こした国鉄松川事件、東芝労働争議など戦後の日本社会の不安定な情況と酷似している。
 日本で言えば幕末の尊皇攘夷の勤皇の志士と同じで下級武士に基盤を置いて、裕福な徳川幕藩体制の打倒を目標にしてテロを繰り返して社会不安を作り上げ、民衆に基盤を置いた民兵組織が武士階級(官僚化していた)の幕府軍隊を打ち破ったことに酷似している。違うところは国際派がいなかったことである。西郷のみが革命継続を訴えて台湾征伐を主張したぐらいである。基本的に明治維新革命は日本社会のみの変革で宗教的背景や理論はなかった。
 イスラム原理主義は国内的には世俗腐敗政権の打倒で国際的には異教徒国家の征服である。マホメットの「片手にコーラン、片手に剣」で次々と領土を増やし中世には一大帝国が出現した。その革命の継続を意識的に遂行しているのが過激原理主義者である。問題は神に主権があって人には主権はないとするところが、日本の昔の天皇制国家神道に類似している、統帥権は天皇が握り兵の命は天皇が握っている。天皇のため死ねといわれれば国の盾になって潔く死ぬことが倫理道徳とされた。いわば日本でも荒人神(天皇)に主権があった時期が僅か60年前にはあったわけだ。イスラム社会を笑って入られない。つい最近まで日本も愚かなことをしていたわけである。
 神に主権があるということは、毎日神が人前に出て「十戒」を垂れるわけではないので、必然的に神の言葉?を人間が述べるわけだ。ここにインチキがある。現人神「天皇」の名で戦争を遂行した軍部、人権を踏みにじってきた特高警察・政府という神の受益者団体がいる。これが支配者階級である。当然イスラム社会にも権力の二重性というからくりが存在する。宗教者が絶対的精神的権力を持っているが、神の言葉を実行する政府軍隊企業体が持つ権力が相克しているはずだ。イラン革命のホメイニ氏の言葉が絶対であった時代もあったが、最近は現世権力との軋轢もあるようだ。