ブログ 「ごまめの歯軋り」

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食の安全 中国農産物の残留農薬問題

2006年08月12日 | 時事問題
asahi.com 2006年08月11日19時07分
中国産シイタケから基準値超える残留農薬検出
 「生労働省は11日、中国産シイタケから基準値を超える残留農薬「フェンプロパトリン」が検出されたと発表した。食品衛生法に基づき、全輸入業者に検査命令を出し、基準を満たさなければ流通させないよう求めた。」
asahi.com 2006年08月07日
人民日報 農産物の対日輸出18%減 ポジティブリスト制度で
 「日本が5月29日に施行した「ポジティブリスト制度」の影響が、中国産農産物の対日輸出に現れてきている。概算統計によると、今年1~5月の農産物の対日輸出は前年同期比4.3%の増加だったが、同制度の影響により、6月には前年同期比18%の減少に転じた。
 国家標準規格委員会の担当者によると、同制度は日本が食品中の残留農薬への管理を強化するために制定した新たな制度で、すべての農薬・食品を対象としており、中国よりも対象が幅広く、基準もはるかに厳しい。」

食の安全
 中国からの野菜の輸入が急増している。その野菜類に残留農薬が日本の基準を超える事件が後を絶たない。中国とは安全基準が異なるケースが多いようだが、人民日報は特にこれを貿易摩擦として抗議しているわけではない。米国産牛肉の輸入と同じ日本の独特のリスク管理手法である。この手法も科学性を欠いてはWTOに提訴されるので、農水省は慎重に事を運んで欲しい。それもそうだが、日本の農業も、中国から青物野菜を航空便で輸入しても負けるようでは、自立が危ぶまれるし、農業をやる人の意欲もなくなる。日本の食品自給率は60%程度らしいが、採算の取れない農業では競争できない。地元で作った食品を地元で消費する形が理想だといわれてきたが、その実現もなかなか難しそうだ。


靖国神社の経済的基礎

2006年08月12日 | 時事問題
asahi.com 2006年08月12日08時09分
靖国神社が財政難 戦争世代減り寄付激減
 「神社の収入は、(1)さい銭や寄付、玉串料といった宗教活動による収入と、(2)不動産貸し付けなどの収益事業からなる。 神社の収支は公表されていないが、複数の関係者によると、85年当時は年約32億円あった収入は、企業からの寄付や慰霊祭などが減ったことにより、半分程度(約16億円)に落ち込んでいるという。収入減の大きな理由は、全体の7、8割を占める(1)のうち、戦争世代が亡くなっていく中で、大口の寄付が激減していることだ。
売店やビルの賃貸料、駐車場収入、遊就館の入場料などからなる収益事業も落ち込んでいる。帝国データバンクによると、申告所得額が96年は約4億円だったが、05年は2億3500万円に。神道系の宗教法人では3位だが、1位の明治神宮の5分の1以下だ。ビルの賃貸料が引き下げられているのが響いているという。
神社を支える崇敬奉賛会の会員も減り続けている。奉賛会の年会費は3000円で、会費の剰余金を神社に納めている(05年度分、約1億3600万円)。02年度の9万3000人をピークに、05年度は8万人に。会員の7割は70歳以上で、主に死亡などによる退会で毎月1000人ずつ減っているという 」
靖国神社の経済的基礎から見た本質は何か 
 上の朝日新聞の記事からは靖国神社の収支は見えてこない。現在の約16億円の収入の内訳が不明で、収入減といわれる収益事業や奉賛会を合計しても3億7000万円に過ぎず、あとの12億3000万円は不明だ。
もし靖国神社の会計がこの朝日の記事だけであるとしたら、何時つぶれてもいい民間会社に過ぎない。本当か?。戦没者慰霊という国民的事業が民間神社の倒産でなくなるとは思えない。一神社宗教法人に戦没者慰霊をお願いするとはどんな法律の裏づけがあってのことか。例えば本願寺に戦没者慰霊を厚生省がお願いするとしたら、当然膨大な予算と法律の裏づけがなされなければなるまい。
靖国神社は明治時代にできた陸軍と海軍の管轄化下にある戦死者慰霊のための国家施設であったことは前にも述べた。当時は国家神道を鼓舞していた時代なので神社という形になった。仏教国であれば寺という形になったろう。
 靖国神社は宗教法人だから、小泉個人が身銭を切ってお参りするのは何を祈ろうが個人の勝手でしょという論法は歴史を無視した大嘘である。同様に一宗教法人に戦没者慰霊をするのは憲法違反だとする別派宗教家の訴訟も的を得ていない。これは宗教の問題ではない。何の根拠があって一神社が戦没者慰霊をする義理や義務があるのか。そんな面倒なことは金と権威の後押しがなければ京都の平安神宮でも赤坂の日枝神社も何処も引き受けませんよ。
 靖国神社の経済的基礎から、この問題(戦犯合祀問題)をみれば一目瞭然だ。別に靖国神社にお骨が祭ってあるわけでもなく、あるのは厚生省が提出した戦没者リストである。したがって戦没者リストから名前を削除したいという裁判も難しい。別に厚生省が遺族の許可を得たわけでもなく、勝手に戦死者リストを収めているだけだからだ。神社の中には何も戦死者に関する遺物があるわけでもなく、リストからはずす行為もなにか空しい。つまり靖国神社の中は空っぽだ。こんなものにこだわるのもばかばかしい。しかし馬鹿馬鹿しいといって支配者の行動を容認してはいけない。靖国問題は歴史をどう見るか、戦争責任者の責任を峻別するかどうかの問題だ。戦争遂行者も戦争の犠牲者だという論法は、当時の支配者たる天皇・軍部・官僚・政治家の責任を水に流そうということだ。彼らは生きているときは国民の犠牲の上に立ってそれだけの豪勢な生活を謳歌していた。また神社本殿の横にある「遊就館」には戦車などが展示されており、それは戦争の遺物ということで人それぞれの感興を与えるだろう。軍国主義の残影を見るようでいやだという人もいるし、戦争の反省になるという人もいる。問題は壁に貼ってある歴代天皇の肖像画である。笑ってしまうのが神話時代の存在したかどうか怪しい天皇の肖像画である。笑ってはいけない。靖国の本質はやはり天皇制護持の神社だった。これを一宗教法人では済まされない。靖国神社の収支の公開を求めよう。税金が流れていないかどうかチェックしよう。

イギリス社会のパキスタン移民

2006年08月12日 | 時事問題
 昨日の記事に私は、何故英国でのイスラム教徒テロ事件でパキスタン人の若者が多いのかという疑問を発した。今朝読売新聞を見ると私の疑問点と同じ観点から一面を使った特集があったので紹介したい。1950年以来パキスタンやバングラディシュからの移民が多くなった。主に繊維工業に従事してイスラム社会を作ってきた。この隔離した居住区から二、三世の若者がイスラムス思想に共感を抱くようになった。英国イスラム教会は穏健派、英国イスラム人権理事会は強硬派である。9.11テロ以来世界中のイスラム過激派テロは欧州育ちが目立つ。これは欧州社会での就職や教育での差別が根底にあることは明白である。それによってイスラム教への回帰や共感が生まれる。
 パキスタン政府は「我国は対テロ戦の最前線で重要な役割を担っている」と声明を出しているが、それでもパキスタン・アフガン国境地域がテロリストの温床であることは事実だ。いまもアルカイダ指導者のウサマ・ビンラーディン氏はこの地域に潜んでいるとされる。最近大規模な包囲作戦で追い詰めたとされるが結局捕縛には至っていない。パキスタンは2001年以降イスラム過激派の13組織を非合法化したが一つも解散に追い込んではいない。政府がかってインドやソ連アフガン侵攻対策で過激派を育成利用した経緯があるため(米国もソ連のアフガン侵攻に対してウサマ・ビンラーディンの一派を援助育成した)徹底的に取り締ってはいないようだ。どこかでパキスタン政府組織とウサマ・ビンラーディン氏は繋がっているようだ。
私の推測のうちかなりの部分はあたっていたが、すればパキスタン政府の行動はいずれ破綻するか化けの皮を剥がれるのではないか。最も過激な反米反キリスト教思想はパキスタンにあるともいえる。徹底的に米国がパキスタンを追求せず、なおパキスタンの核兵器やミサイルを黙認しているのは、宗教やテロ対策に主眼があるのではなく、イスラム社会のエネルギー資源の獲得のために複雑な勢力の競争と均衡政策において、当面の敵と対抗する勢力を利用する戦略であろうか。