沖縄県知事選(9月30日投開票)で「オール沖縄」陣営の玉城デニー氏が当選しました。安倍政権が全面的にバックアップした佐喜真淳氏が当選しなくて、ほんとうに良かったです。「辺野古新基地」に反対する民意がいかに強いかがあらためて示されました。安倍政権は新基地強行を直ちに断念すべきです。
しかし、玉城氏の当選も手放しで喜ぶことはできません。
なぜなら、玉城陣営(「オール沖縄」)の今回の選挙はきわめて異常で、けっして民主的とは言えなかったからです。今後の「玉城県政」のために、その異常さをあらためて振り返ります。
第1に、玉城氏が候補者になるプロセスです。
玉城氏が正式に出馬表明したのは8月29日、告示(9月13日)の15日前という異例の駆け込み表明でした。なぜそうなったといえば、言うまでもなく、玉城氏の出馬が亡くなった翁長雄志知事の「後継指名」によるものだったからです。
翁長氏が亡くなったのが8月8日。それから11日後の19日、突然、沖縄タイムスと琉球新報がそろって、「翁長雄志知事が死去する直前に、自身の後継として、金秀グループの呉屋守将会長と玉城デニー衆院議員の2氏の名前を挙げていたことが18日、分かった」(8月19日付琉球新報)と報じました。
これを受けて、それまで候補者選考を続けていた「オール沖縄」陣営(「調整会議」)は選考作業を中断し、19日中に早々に玉城氏を擁立することを決めました。
しかし、翁長氏が「生前録音した」とされる「音声テープ」の存在(実物)は、結局、今に至るも公にされていません。
それまで話し合いを続けてきた候補者選考作業を、個人(翁長氏)の「遺言」の一声で放棄し、「遺言」通りの人物を候補者に決定する(もう1人の呉屋氏は玉城氏の選対責任者となりました=写真左)。この候補者の決め方はきわめて不透明で非民主的です。
さらに問題なのは、こうした候補者決定過程に「オール沖縄」陣営から何ひとつ異論の声が出なかった(報道の限りで)ことです。
第2に、玉城氏と「オール沖縄」陣営(例えば「オール沖縄会議」)の間で、「政策・組織協定」が一切結ばれなかったことです。
「政策協定」なき選挙共闘はきわめて問題です(9月10日のブログ参照)。その結果どうなったか。玉城氏の「選挙政策」あるいは「街頭演説」などから、「辺野古新基地」以外の沖縄の基地問題(たとえば緊迫している嘉手納基地問題)はすっぽり抜け落ちました。それどころか玉城氏は「これ以上新たな米軍基地は必要ない」と述べ、現存する米軍基地は容認する姿勢を示しました。
とりわけ重大なのは、宮古、石垣など先島諸島、また沖縄本島への自衛隊基地の新設・増設という重大問題について、玉城氏は「自衛隊を認める」と公言する一方、配備強化については「住民同意」の必要性はいうものの基本的に容認する姿勢(政策)を変えませんでした。
民主的ルール(選挙共闘における政策協定の締結)を逸脱することは、重大な結果を招くことがあらためて証明されたといえるでしょう。
第3に、「翁長県政」が検証されないまま、「翁長氏の遺志を引き継ぐ」(玉城氏)ことが選挙の一枚看板になったことです。
亡くなった翁長氏を前面に立て、その「遺志を引き継ぐ」ことを最大(ほとんど唯一)の「政策」(スローガン)にするのなら、少なくともその翁長氏の3年9カ月の県政とは何だったのか、その功罪を検証したうえで有権者に提示するのが最低限の責任ではないでしょうか。
しかしそうした客観的な検証はまったく行われず、「命をかけてたたかった」などきわめて感情的・情緒的な「訴え」が、遺族も動員して行われました。きわめて異常な選挙だったと言わざるをえません。
翁長県政には、辺野古埋立承認撤回の棚上げ・引き延ばし、辺野古陸上工事容認、埋立石材の海上輸送容認、サンゴ移植容認、高江ヘリパッド容認など、今回の選挙で玉城陣営がけっして触れようとしなかった数々の汚点があります。
選挙結果は「当選」でしたが、けっして「結果オーライ」ではありません。「オール沖縄」陣営、そしてそれを支援した全国の「民主陣営」は、今回の知事選の教訓を明らかにし、今後の「民主・革新運動」に生かす必要があるのではないでしょうか。
「オール沖縄」陣営、あるいは「学者・識者」は、これからでも「翁長県政」を科学的に分析し、その功罪を県民・日本市民に提示すべきです。
それはこれからの「玉城県政」の貴重な指針にもなるはずです。