池永陽「珈琲屋の人々」読み終わりました☆
池永さんの作品を読んだのは
前回の感想で書いた「コンビニ・ララバイ」に続いて2作目
「コンビニ・ララバイ」がよかったので
今回のこの作品も
期待大
で読ませてもらいました♪
やっぱり
期待を裏切りませんでしたよ^^b
人間の心理の奥深いところが描かれていて興味深い作品でした
商店街の中にある
美味いコーヒーの店
その名も
『珈琲屋』
その店の店主「行介」は
この店の中で
人を殺し服役していた
8年の刑期を終え
父の死後
この店の店主となり
今は
1杯入魂の美味いコーヒーを淹れている
行介が殺人を犯してしまった経緯は
商店街を地上げしようとしていた「青野」
この男が
地上げ反対派の自転車屋の娘
「智子」を暴行。
そのことがわかり
逆上した行介が
珈琲屋に現れた「青野」を
柱に何度も頭をぶつけ死亡させてしまう。
柔道で腕を鳴らした行介。
力が入りすぎた「事故」だとも言えたが・・
本人は「殺意」を否定することはなかった。
「青野」は殺されてもおかしくない男だった。
商店街のみんなは行介に感謝する者さえいた。
「青野」の妻でさえそう思っていた。
しかし
行介は
「どんな人であろうと・・
人殺しにはかわりない」
そう言う。
人を殺した自分は
「幸せになる資格がない」
と。
事件以前に付き合っていた同級生の「冬子」
行介が服役中に結婚していたが
行介が出所後
冬子が
浮気をしてその家を追い出される形で離婚した
という。
しかし
同じく同級生の「島木」は
これは冬子が行介とよりを戻すために仕掛けた
演出
だという。
それほどまでに
行介といたいと願う「冬子」
珈琲屋に行介の淹れたコーヒーを飲むために通う
そんな冬子の思い
行介もまた同じだった
けれど
「人殺し」という呪縛からは
抜け出せない。
人を殺すということの
重み
それは
それを
その手で犯した者にしかわからないこと。
珈琲屋の行介の
どこにも負けないほどの
おいしいコーヒー
それを飲みに来る客
その中には
『迷い苦しむ自分』を救いだして欲しいと・・
「人殺し」の行介の節くれだった手で淹れた珈琲を飲み
時には
行介の
人を殺したことのある者の重みのある言葉
それを聞いて
迷いを解いていく・・・
夫の浮気に悩むクリーニング屋の女将
家計を助けたいと売春まで考えた団子屋の女子高生省子
自殺した自転車屋の娘「智子」と付き合っていた保彦
そして
寝たきりの妻の介護に疲れ
志摩子との恋に走り
妻を殺そうと思い詰める英治。
人を殺したことのある行介の節くれだった手
その手で淹れたコーヒーを飲み
殺意を高めていく。。
その
思い詰めていくさまが
切なかった。。
岐路にたったとき・・
行介がそれを導く
人は弱いから
過ちを犯す
その過ちは
刑を受けても解かれることがない呪縛になる
過ちを犯しても
幸せになりたい気持ち
だけど
その一線を越えてはいけない
そんな生き字引の役目を
行介は
おいしいコーヒ―を淹れながら示しているのかもしれないなぁ
そんなことを思いました。
行介の淹れたおいしいコーヒー飲んでみたいなぁ