股下山で「札幌50峰」完登。頂上標識ははるか頭上。今年は積雪が少ないらしい。
◎南岳(983m)
南岳山頂にて・・・後ろは余市岳
この南岳は余市岳の南側に延びる尾根の上に位置する。味気ない山名の由来もこのことに因るのかも知れない。
登山口は、豊羽鉱山へ向かう道々95号の「山鳥橋」である。そこから少しの間山鳥林道を辿り、南東尾根を登るコースとなる。
スノーモービルのトレースも頂上まで続いていたが、スノーシューやスキーや下りの橇までと多様なトレースで賑やかだった。夜中は車中泊した豊滝除雪センターでも-7℃まで冷えて、どこを歩いても埋まることのない状態だったので、ツボ足で通すことができた。下山時に2日間で初めて2人連れに会った。
南東尾根は、三角点名が定着した「山鳥峰」(879.6m)までは急な登りが続くが、そのあとはいくつかのポコを越える緩やかな幅広の尾根である。
7:00山鳥橋~8:10山鳥峰~8:55頂上<登り1時間55分> 9:10頂上~9:40山鳥峰~10:20山鳥橋<下り1時間10分>
豊羽鉱山へ続く道々95号沿いの山鳥橋からスタート。
20分ほど、スノーモービルのトレースが続く山鳥林道を進む。その後、南東尾根に取り付く。
南東尾根は下の方は沢が入り組んで複雑な地形だが、徐々に広い快適な尾根となる。
途中から定山渓天狗岳を眺める
1時間10分で、三角点名が定着した「山鳥峰」に到着。
山鳥峰の下から余市岳~朝里岳~白井岳の連なりを眺める。
山鳥峰から一端下って登り返す。
後ろを振り返ると無意根山が見える。手前の長尾山~美比内山(右の木陰)の稜線はスキーで登っている。
山鳥峰から45分で登頂感のない緩やかな頂上に到着。
◎札幌50峰完登の山となった股下山(820m)
この山の登山口は、札幌国際スキー場へ向かう道々1号沿いの春香小屋のある林道入口。ここは前回登ったつげ山や奥手稲山や春香山の登山口でもある。
道路を横断して橋を渡ったところから北西尾根に取り付く。11時になって、雪が緩んできたのでアルミかんじきを履いてスタート。
11:00スタート~12:15頂上<登り1時間15分> 12:35頂上~13:15ゴール<下り40分>
北西尾根への通り付き部分は急な登りだったが、登り切ると緩やかな林の中の歩きとなる。
先に見える尾根を眺めながらの緩やかな登りが続く。すでに下山したと思われる新しいスノーシューとツボ足のトレースがあった。
急な尾根を登り切ると、左手後ろに道々1号を挟んで聳える前回登ったつげ山が見える。
そこから先は雪庇の発達した尾根を登る。
右手に白井岳から北東に延びる荒々しい通称・下白稜(左)~通称・竹の子山が見える。
いくつかの小さなポコを越えると、雪庇の発達した頂上に到着。
頂上から白井岳(左奥)から北東に延びる通称・上白稜~通称・下白稜の連なりを眺める。これらの稜線は「長白稜」と呼ばれているらしい。
この長白稜の記録を探したら、岳友のsaijouさんとIkkoさんが一緒に登った記録が見つかった。これらの通称もその記録で分かった次第。
その記録によると、半世紀ほど前に登山道が存在していた いにしえのルートである。以前、道道1号小樽定山渓線は冬期間は通行止めで、冬期は国鉄銭函駅から銭函峠を越え、ヘルベチアヒュッテに1泊して白井岳へ登っていたらしい。今考えれば何とも遠い山であった。夏期は北東尾根の夏道から白井岳を目指していたようだが、いつの頃か廃道となったようで、地形図からも消えてしまった。昭和40年代の1/25000地形図には載っていたが、この登山道を使って白井岳へ登ったという話は聞いたことがない。奥深いために利用する登山者はあまりいなかったのだろう。白井岳北東尾根のポコにそれぞれ竹の子山、下白稜、上白稜と名前をつけたらしい・・・とのこと。まあ、高所恐怖症の自分にはとても歩けそうなコースではない。
下山後、少し車で移動してベルベチアヒュッテを見に行った。ここにも利用者のトレースがあって助かった。道々から5分ほどの距離だった。
ベルべチアヒュッテ・・・現存する我が国最古の本格的スイス式山小屋で、また最古のログハウス。内部を見たかったが、錠が掛っていた。
ヒュッテの説明版・・・昭和2年(1927年)建設。昭和9年に北大に寄贈。昭和60年北大山岳部OBの協力で大規模な修繕が行われている。
これを見た後に帰路に就いた。途中、留寿都温泉に入って、19時には帰宅。
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