癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

仙台3大みやげ

2015年07月20日 | 日常生活・つぶやき

 妻は、同じ年のマッチこと近藤真彦の大ファンである。金八先生のドラマを見て育った世代としては当然だろうと納得できる。

 7/19に仙台で開催された35周年コンサートにわざわざ出掛けて行った。席がほぼ前列に近いところだったので、抽選が当たってチケットが届いたときには大興奮だった。

 客層は、当然その前後の年代なわけで、おばちゃんたちが黄色い声を張り上げての会場だったらしい。

 熱烈なファン心理については、「そこまでする?」という冷ややかな自分だった。しかし、先日、田中陽希の追っかけを3日ほどやり、応援の意味を兼ねてTシャツまで買った自分に、「私がマッチの追っかけをしたい気持ちが少しは分かるでしょう!」と言われて、少しは分かるような気がした。

 いろいろグッズも買って、喜助という自分も食べたことのある人気店の長蛇の列に並んで美味しい牛タンも食べて、大満足で帰ってきた。お土産は当然、仙台3大土産の笹かまぼこ、萩の月、牛タン(ジャーキーと旨煮)。

興味があったので、これらの由来と人気のわけについて調べてみた

 牛タンの発祥は、終戦直後の食糧難の時代、仙台に駐屯していたアメリカ軍が、牛の舌を捨ててた。それに目をつけた仙台の「味・太助」の先代が、安く仕入れて、味付けをし、焼き始めたことによるとのこと。芯タンと言われる牛タンの一番美味しい部分を使っていて、原料は外国産とのこと。仙台の牛タンが有名になったのは、「村おこし」のために、仙台上げて牛タンを宣伝したことが大きいらしい。

 萩の月は、過去の調査では、全国の土産ランキングで3位(1位は北海道の白い恋人、2位は福岡の辛子明太子)の銘菓らしい。商品名は、萩の名所宮城野の萩は、中秋の名月の頃に咲き誇る。これらから、月を連想させる黄色い丸形の商品を、萩が咲き乱れる宮城野の空に浮かぶ満月に見立てて命名したそうだ。人気になったのは、交通機関の発達に伴い仙台駅や空港で売り出し、仙台の人が積極的にお土産として使ったことにあるようだ。

 笹かまぼこは、その昔、「ベロかまぼこ」「木の葉かまぼこ」などと呼ばれていたらしい。笹や竹は、古来より生々発展のイメージを持ち、瑞々しくゆかしいものとして、昔から愛されてきた。それをもとに、1935年(昭和10年)創業した当社阿部蒲鉾において、旧仙台藩主伊達家の家紋「竹に雀」の笹にもちなみ、「笹かまぼこ」と呼ぶようになっらしい。

 それにしても、ネットは何でもすぐに調べられて、便利だ!

4 コメント

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三つ子の魂 (黒ウサギ)
2015-07-21 18:41:42
私の職場にも当時のアイドルの熱狂的ファンがいます。
当時、親衛隊だそうで、ハッピやハチマキを今でも持ってて、楽しい青春時代だったと語ります。
正直、少し迷惑なんですけどね(笑)
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黒ウサギさんへ (sakag)
2015-07-21 19:32:00
男と女の違いもあるようですね。どちらかというと追っかけとか熱狂的ファンは女性の方に多いような気がします。
我が家でも、妻が興奮していると、こちらはちょっとしらけてしまいます。
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仙台名物 (ミネズオウ)
2015-07-22 00:24:00
 仙台名物懐かしいです。
4年間過ごしましたが、学費以外の生活費の仕送りは、わずかだったので、3大名物は高嶺の花でした。
自分で稼いでの生活では贅沢はできませんから、
牛タンはたった1回しか食べることができませんでした。「萩の月」は同じようなお菓子の元祖で、小泉今日子がラジオか何かで紹介して爆発的にヒットしたと聞いています。


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ミネズオウさんへ (sakag)
2015-07-22 04:48:28
学生時代は仙台でしたか?懐かしいでしょうね。
いつの時代も学生は贅沢はできませんよね。

調べていたら、小泉今日子でなく、松任谷由実がラジオ番組内で「萩の月」を絶賛し、「萩の月を凍らせて半解凍の状態で食べるのが一番好き」と語ったことがきっかけで一般にブレイクしたとのことです。
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