先日画家の山村國晶先生が奥様とご来店くださいました。弥栄画廊さんのご長男のご紹介でお出かけくださり、皆さんと大変有意義で楽しい時間を過ごさせていただきました。
山村先生は愛知県旭丘高校の美術科から東京の武蔵野美術大学に進まれ、当時実際に森芳雄に教えを受けていらっしゃいました。
今回その時代のエピソードを書かれた文章をご紹介くださいました。
(2003年森芳雄追悼文集発刊会発行「森芳雄追悼文集」より)
森芳雄の実像についてはその晩年を佐橋からも聞いていましたので、なんとなくイメージができていましたが、お若い頃から気性の激しいところはあったのだと知り、私自身が以前に比べ今回一歩森作品の中に踏み込めたと実感できるとき、なぜかその激しさが少しわかるような気持になりました。
また、その激しさと山村先生がこの文章の後半に書かれたような“人間味溢れるなんとも温かい、優しい”姿を作品たちからも十分感じ取れる気がしています。
弥栄画廊のご長男も名古屋から東京にご活躍の舞台を広げられ、その上で当店の展覧会にも沢山のアイディアを分けてくださっています。
鳥海、森、薫、麻生、、この時代の作品のコレクションの意味と価値を未来にどう残していくかを真剣に考えてくださる次の世代のギャラリストに寄せる期待は大変大きく、そのお手伝いができることに私自身も元気をいただいています。
武蔵野美術大学には当時、森、麻生、山口長男らが
東京芸大には小磯、鳥海、林武、などが「先生」として学生に接していました。
幼稚園では今でも、お絵描きをしたり、折り紙を折ったり、七夕飾りをつくったり~暮らしのなかに創作を取り入れようとするのに、、小学校、中学校、高校、大学と。。そして美大さえ、芸術と教育(生活)がどんどん離れ離れになってしまっていくように感じられるのはどうしてでしょう?
「人と家、土、空、川と、つまりはどこにもある人の住んでくらしている街、ちいさい路地の一角、石のすきまから出ている雑草のかたまりでもいいのだ。そのままある自然のかたちで満足して仕事をつづけた。べつにかわった風景をさがしあるいたことはないし、そのような必要もない。」(「川のある家<たった一人の風景>
1962年に神奈川県立近代美術館で森芳雄とともに二人展を開いた麻生三郎の言葉です。「満足」という言葉の意味と重さを、この時代の画家たちの作品に接しながら私はこれから知っていきたいと思っています。
機会をいただくことがあれば、山村先生にもまた当時のこと、そして今までの美術家としてのお暮しのことなどもお聞きしたいと思っています。
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