つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

さて 森芳雄の裸婦像

2024年07月04日 | 森芳雄展
今日午前中に初めてご来店下さった方は、「前を通りかかって〜」とゆっくり展示をご覧くださり、お帰り際に「抽象と具象の間でとても良い雰囲気の作品ですねぇ。ありがとうございました」とおっしゃってくださいました。


先日ご来店のお客様は以前森作品をお求めになられた方で、今回のご感想をお聞きして、よく絵をわかっていらっしゃるなぁと私も勉強になりました。





まず「桃」に「おー」とおっしゃられ、「今日の気分ならまず「働く人」が一番」、「僕が買えるかな?というところでは 「ひととき」とそれでも圧倒的な一番は「室内」ですね~」とお伝えくださいました。





けれど、しばらくご一緒にお話をしていると、「あぁ、段々見えてきました。それでも、森芳雄の真骨頂はこういう裸婦の群像なのか!!今一番良いと思えるのは浜辺です。」とお伝えくださいました。










「人物像は苦手」とおっしゃられてしまうと、個人のコレクションで人物像しか作品をもっていない私はぎゃふん↓↓と落ち込むしかないのですが、森の1960年代の裸婦の群像はもっともこの画家らしい気品ある作品たちだと思っています。

「なんてあたたかいのかしら!?」先日ご夫妻でご来店くださった際に、裸婦ばかりが展示されている当ギャラリーの中央に立たれ、奥様がそうおっしゃってくださったときにはとても嬉しく感じられました。


【なぜ人間を描くか】

私は〝人間〟に一番関心を持つ。かなり自虐的なところがあった青年期から人間に煩わされたり喜ばせて貰ったりこずかれたりして生きてきた、その生きるということ。それで〝人間〟を描く。 

率直に言って人物の構成は群像となると難しい。日本の明治以降の油絵にはその積み重ねが少ないと思う。 森芳雄







森芳雄のフォルムにも、その造形発想の根底にはいつも何か一種のリリスム(抒情性)が感じられ、そのリリスムは日本の画家の中のでは全く珍しいとおもえるほどの上質な甘美さを感じさせるものだ。甘さといっても、それは決してべとついたものではなく、人間同士の親和感の裡に潜む温かい呼吸のようなものであって、そのことが彼のリリスムの美しい甘さを低俗なものにしていない。言葉を変えれば抒情の為の抒情ではないということだ。それは造形の表情という事に当たる。 今泉篤男


「親和感」「呼吸」
「抒情の為の抒情ではなく、造形の表情としての抒情」

今泉氏のこの言葉が心に響くとき、森芳雄という画家の作品に触れることができたと言えるような気がしています。そして、人物像にこだわり続け、画家として「正統たらん」としづづけた森の姿にも男性らしさを感じます。

次回からは裸婦像の作品をご紹介して参ります。





「浜辺」12号 共箱(桐箱)
1968年再加筆 ◎









◇   ~30万円
☆  ~50万円
☆彡 ~100万円
◎  ~150万円
◎彡 ~200万円













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