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イスタンブルの歴史的「プディング・ショップ」を元ヒッピーたちが再訪

2020年01月13日 | 国内
1月14日 60年代から70年代、出会いとコミュニケーションの場としてヒッピーたちに有名だったイスタンブルの「ラーレ・レストラン」が、元ヒッピーたちの間で人気になり、何十年ぶりに訪ねてくる人々も少なくないそうです。

Hurriyet

「ヒッピーたちは道や公園あたりで寝ていました。私たちは彼らにシティ・ツアーの情報を与えました。私たちは彼らに無料で食べさせましたが、5年も10年もたってから、お金を送って来る人もいました」と、レストランのオーナー、ナムク・チョルパンさんはミリエット紙に語りました。

「ヴェトナム戦争が終わると、彼らはみな、職に就きました。フラワー・チルドレンと自称していたヒッピーたちは、金に執着しませんでした。私たちはいつも、彼らから優しくされていました」と彼は言いました。

1957年にチョルパン家の人々がオープンしたこのレストランは、ヨーロッパ諸国からアフガニスタンやイランを通ってネパールへ行くヒッピーたちの溜まり場になり、イスタンブルの“プディング・ショップ”として有名になりました。

古い車やフォルクスワーゲンのヴァンで東へ向かう旅人たちも、このレストランに立ち寄り、新しい友と知り合い、旅費や体験談をシェアし合っていました。レストランはまた、イランの首都テヘランや、アフガニスタンの首都カブールへ行くバスの出発点でもありました。

ナムク・チョルパンさんと兄弟のイドリスさんは、旅人達の情報交換のために、店内に掲示板を設置しました。ヨーロッパへ向かう旅人も、極東へ向かう旅人も、車のヒッチや同乗者を求めるメッセージなどを書き込みました。旅人たちは店の電話室で故国の家族に電話をかけました。

いまでも昔の客たちがよく、オーナーを訪ねてくるそうです。彼らはフィルムのカメラで写真を撮るかわりに、いまではスマホで写真を撮り、SNSにシェアしています。

 Hurriyet
オーナーのチョルパンさんが手にしているのは、ドイツ人の元ヒッピーが
返しに来た塩壺


「1人のドイツ人のヒッピーは、うちの店から塩壺を盗みました。彼らは野宿して、キュウリやトマトばかり食べていましたからね。彼は1993年、ビジネスマンになって帰ってきました。“あの時、私は塩壺が必要でした。今日は塩唾を返しに来ました。ありがとう”と彼は言いました。みなラーレ・レストランをわが家のように思っていたんですよ」とチョルパンさんは言いました。

「私はまだ古い友人たちと触れ合っています。彼らは平和と安らぎ、音楽とダンスを愛していました」と彼は言いました。プディング・ショップこと「ラーレ・レストラン」のSNSの頁には、何十年もたってから訪ねてきた昔のヒッピーたちの写真がたくさんシェアされています。「1973年、JurgenBergerはここにいた」とか「1965年、オーストラリアのDieter Maegdefrauはここにいたが、2013年、帰ってきた」というようなコメントもあります。

Hurriyet

チョルパンさんによると、このレストランを訪れた最も有名な客はビル・クリントンだそうです。彼は1970年代、ヒッピーとしてこの店を訪れ、1999年、アメリカ大統領としてやってきたそうです。

・・・私が初めてイスタンブルを訪れた1981年頃も、プディング・ショップにはまだ掲示板があって、いろんなこと書き込まれていましたよ。それと、プディング・ショップのプディングは大きくて、とってもおいしいです。テークアウトもできますよ。


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