7月23日 7月21日夜10時頃、イスタンブルのボスフォラス橋に大群衆が集まり、「われわれはすべてが始まった場所にいる」をモットーに、クーデターに抗議しました。橋は群衆のために、交通止めになったようです。
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トルコ国会は非常事態議案を承認した
政府が3か月間の非常事態を宣言した翌21日、トルコ国会は非常事態を導入する議案を承認しました。賛成346人、反対115人。
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クーデターの夜、大統領とともにホテルにいたAKP議員は語る
未遂クーデターの夜、エルドアン大統領といっしょに、ムーラ県マルマリスのホテルにいた公正発展党(AKP)の議員が、襲撃の夜の話をし、大統領は反乱軍が到着する45分前にホテルを出たと言いました。
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AKPのムーラ選出のニハト・オズテュルク議員は、「われわれは午前12時15分から12時30分の間にホテルを出た」と言いました。「大統領はマルマリスをヘリで発って、ダラマン(同じムーラ県)に着陸しました。しかし、ダラマンの海軍基地には1機のエアバスがとまっていて、クーデター軍がそこにいたので、ライトを消して着陸しました。その後、大統領の飛行機はライトを消して離陸し、同様にイスタンブルに着陸しました」と、オズテュルク議員は国営アナドル通信に語りました。
「クーデター軍の兵たちがオクルク湾のそばで、しばらく待機していたので、大統領が飛び立つための時間が稼げました」と、彼は言いました。オズテュルク議員は、その夜、不穏な状況が起こっていると知って、午後9時45分頃、エルドアン大統領のホテルへ行きました。大統領は市民に、街頭に出て、クーデターに抵抗するよう要請しました。
インタビュー中、オズテュルク議員は、「大統領のホテルからギリシャのロードス島へは15分で行かれますが、大統領は身の安全のためにロードスへ行くことなど考えもしなかった。このようなリーダーと、ともに政治を行えることを、私は誇りに思う」と述懐しました。
「クーデター軍の兵たちがオクルク湾のそばで、しばらく待機していたので、大統領が飛び立つための時間が稼げました」と、彼は言いました。オズテュルク議員は、その夜、不穏な状況が起こっていると知って、午後9時45分頃、エルドアン大統領のホテルへ行きました。大統領は市民に、街頭に出て、クーデターに抵抗するよう要請しました。
インタビュー中、オズテュルク議員は、「大統領のホテルからギリシャのロードス島へは15分で行かれますが、大統領は身の安全のためにロードスへ行くことなど考えもしなかった。このようなリーダーと、ともに政治を行えることを、私は誇りに思う」と述懐しました。
クーデター軍の狙撃兵がボスフォラス橋の塔上で射殺された
7月15日、未遂クーデターの夜、反乱軍の狙撃兵が、イスタンブルのボスフォラス橋のアジア側の塔によじ登り、市民をターゲットにして、橋上の兵士たちに立ち向かいました。
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情報源によると、狙撃兵は塔の上から数人の市民を撃ち、その後、警官に射殺されました。彼の遺体はその後、橋上で発見されました。
また、橋の下の通路で、警官たちが反乱軍を追っているとき、多くの警官が反乱軍の標的にされました。
また、橋の下の通路で、警官たちが反乱軍を追っているとき、多くの警官が反乱軍の標的にされました。
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