近衛歩兵第三聯隊第七中隊 中隊長代理
中橋基明中尉 ( 2 8 )
中橋中尉の昭和維新を、
鬼頭春樹 氏が、その著書 『 禁断 二・二六事件 』 で、
恰も再現ドラマの如く物語る
前頁 中橋中尉 『 帷幄上奏隊 』 2 の 続き
《 二十五日 》
「 まず高橋是清の顔写真 だ 」
夜七時を過ぎている。
中橋中尉は夜間照明に照らしだされた神田の写真展のショーウインドーを覗いて回っていた。
蹶起を目前に気が急ぐ。
襲撃迄あと一〇時間しかない。
気温が下がり、吐く息が一段と白くなる。
高橋蔵相の顔は達磨さんの愛称で庶民にも親しまれていた。
御守衛控え将校の勤務割を利用して坂下門で偽装赴援の警護にあたらなくてはならない。
仮に重臣が来た時、顔が判らなければ判断が出来まい。
だが満洲から戻って二ヶ月しか経っていない中橋に重臣の識別は自信がなかった。
その眼はショーウィンドーに飾られた重臣たちのポートレートに吸い寄せられていく。
総理大臣、岡田啓介。大蔵大臣、高橋是清。内大臣、斎藤實。侍従長、鈴木貫太郎。
いずれも勲章を付けた正装姿のカラー写真だった。
「 腐敗した政党政治じゃ日本の改造は出来ない。まず直接行動で君側の奸を斬るんだ。
その上で陛下を奉じて昭和維新を実現する。農民の窮状は直接行動でなければ救えない 」
夜十一時には歩一栗原中尉のもとで武器弾薬を受領する手筈になっていた。
さらに 「 S 作戦 」の詰めが残されている。
この時に到ってもまだ第二小隊長が決まらない。
信頼できる同志が近衛にいないからだ。
・
歩一第十一中隊の二階にある将校室に煌々と明かりが灯る。
栗原中尉の機関銃隊で軍服に着替えた村中、磯部、山本の三名が、夜九時ここに集合したのだった。
香田と丹生が既にそこに居た。
中隊長代理の丹生誠忠中尉 ( 27 ) を中心に、陸相官邸での上層部工作に関して詰めの作業を行うためだった。
村中が殴り書きした 「 陸軍大臣への要望事項 」 なるメモを香田に見せる。
香田が二、三意見を述べると、その個所を修正し、今度は磯部に見せる。
磯部の意見を汲んで、最後は香田が通信紙に清書した。
これだけは手書きである。
なぜ印刷していないのかは、今となっては判らない。
この史料にはミステリーがある。いんぺいされた 「 S 作戦 」 を開錠する小さな鍵が隠されている。
軍法会議で証拠品として採用された 「 押第四号 」 にはこうある。 ・・第七回公判調書
一、陸軍大臣の断乎たる決意に因り速に事態を収拾して維新に邁進すること
二、皇軍相撃の不祥事を絶対に惹起せしめざるため
速に憲兵司令官をして憲兵の妄動を戒め事態を明確に認識するまで静観せしめ、
又 東京警備司令官、近衛師団長、第一師団長をして皇軍相撃を絶対に避けしむること
三、南大将、宇垣朝鮮総督、小磯中将、建川中将は軍の統帥破壊の元兇なるを以て速にこれを逮捕すること
四、根本大佐、武藤章中佐、片倉衷少佐は軍中央部にありて軍閥的行動をなし来りたる中心人物なるを以てこれを除くこと
五、ロシア威圧のため荒木大将を関東軍司令官たせしむること
六、同志大岸頼好、菅波三郎、小川三郎、大蔵栄一、朝山小二郎、佐々木二郎、末松太平、江藤五郎、
若松満則を即時東京に招致してその意見を聴き事態収拾に善処すること
七、前各号の実行せられ事態の安定を見るまで突出部隊を現占拠位置より絶対に移動せしめざること
この七項目を見せられて、だれしも首を捻ひねるに違いない。
実際、青年将校の要望事項を読むと些いささかなさけなくなる。
「 天皇親政 」 の下に一君万民主義を理想とした国家改造を掲げて蹶起したのではなかったのか。
ところが頭を捻りたくなるような内容が書かれている。
「 武藤章や片倉衷を省部から追い出せ 」とか、統制派の中堅官僚や軍閥の中心人物を名指しして批判するような、
内輪揉めの要求ばかり 」 ・・『 昭和--戦争と天皇と三島由紀夫 』
ところが 茲に全くニュアンスを異にする史料がある。
内田信也鉄道大臣 ( 55 ) が五項目にようやくしたものだ。
蹶起当日の午後二時半、宮中では臨時政府会議が西溜りの間で開催された。
本来は閣議が想定されていたのだが、襲撃に怯えた小原法相の参内到着が遅れたため、閣議は延期され、
次善の策が講じられる。
この場で一木枢密院議長と閣僚たちを前に、川島義之陸相が早朝からの情況報告を行う。
そこで述べられた 「 蹶起軍の陸相への要望事項 」 を出席者の一人 内田鉄相がメモしたものだ。
一、昭和維新を断行すること
二、之がためには先づ 軍自らが革新の實を挙げ、宇垣朝鮮総督、南大将、小磯中将、建川中将を罷免すること
三、速やかに国体明徴の上に立つ政府を樹立すること
四、即時戒厳令を布くこと
五、陸相は直ちに用意の近衛兵に守られて参内し、我々の意思を天聴に達すること ・・内田信也 『 風雲五十年 』
このメモには、蹶起軍の政治的要求が骨太に述べられている。
昭和維新、新政府樹立、戒厳令公布、上奏隊などのキーワードが並び、蹶起軍のバックボーンが明確に語られている。
とりわけ第五項に帷幄上奏とは明記されてはいないが、
陸相は直ちに用意の近衛兵に守られて参内し と あることが眼を引く。
内田メモには 「 S作戦 」 が顔を覗かせている。
歩三週番指令室は巨大な現代建築の一階、表門を入ってすぐ左手にある。
夜十一時五十分、歩一から五百メートルしか離れていない歩三では、
刷り上がったばかりの決起趣意書を手に、重要な謀議がおこなわれようとしていた。
「 S作戦 」 の最終確認だ。
出席者は週番指令の安藤の他に五名。
磯部、野中、栗原、田中、中橋が顔を揃えた。田中は謀議が終るとすぐ市川の駐屯地に戻る。
そこを三時過ぎには車列が出発、寝てはいられなかった。
すべての蹶起将校がそうだ。
不眠不休の行動は二十五日から始まる。
この日、満三十一歳の誕生日を迎えた安藤大尉が当番兵の前島清上等兵 ( 21 ) に云い渡す。
「 誰も部屋に入れるな。貴様はドアの前で立哨警戒せよ 」
蹶起を目前にした謀議だ。
時間が切迫していることに加えて 「 S作戦 」 の機密が輪をかける。
磯部が一枚のガリ版メモを配布した。
これだけは山本に任せず磯部自らがガリ版を切る。
「 S作戦 」 のスケジュールだ。後に回収され痕跡はどこにも残されていない。
以下の時刻であったと推定される。
・五時 同時蹶起
・六時 各部隊、陸相官邸に襲撃結果報告
・六時三十分 偽装赴援隊、坂下門の非常警備、直ちに信号発信
・六時四十五分 首相官邸で警備隊編制
・六時五十分 陸相官邸に上奏隊参加者集合、ただちに信号発信
・七時 上奏隊および警備隊が陸相官邸出発、坂下門より参内
磯部がリードする。
「 作戦のスケジュールを想定してみた。大勝負は七時とみる。タイミングを逸すると勝機を逃す。
是非とも七時には陸相官邸から宮城へ帷幄上奏隊の車列を出発させたい。
その前提でのスケジュールだ。モト、高橋のダルマはどこにいるんだ 」
「 蔵相は赤坂私邸にいることが中島少尉の下見で判明しています。
従って二つの小隊は、近歩の営舎を五時少々前に出れば間に合います 」
磯部が中橋に矢継ぎ早に確認を求める。
「 モト、宮城の第二小隊から警視庁屋上への連絡は手旗信号か 」
「 手旗信号が基本ですが、悪天候の場合は懐中電灯のモールス符号に切り替えます 」
「 符丁は 」
「 春が来た が準備完了。 春が来ない が準備不了・・・・」
「 オイ、春 とはどういう意味だ 」
堅物で知られる警視庁担当の野中大尉が突っ込む。
困惑の顔の中橋に代り、栗原がごまかす。
「 春は古来、時節到来、首尾上々と云うことです 」
野中が職業軍人らしく確認した。
「 警視庁を占拠したらすぐ望楼に通信兵を上げる。宮城堤とは直線距離で七百メートルだ。
発行信号でも手旗信号でも問題はない。清原少尉に指揮させる。
受けた通信文をテルの中隊に伝令で送るんだな。
陸相官邸での車列の準備が出来たら、今度は警視庁から宮城に信号を送る。これは ? 」
中橋が答える。 「 春が出る と お願いします 」
先に見た内田メモにある 『 用意の近衛兵 』 とは、
蔵相を襲撃したあと、一旦 首相官邸に引揚げ、待機していた砲工学校の中島少尉指揮の中橋中隊を指すのだ。
第一小隊六十名の近衛兵であり、
これに栗原中尉の歩一機関銃隊十五名が加わった七十五名ほどの連合警備隊である。
磯部がここで次のメモを配布した。
眼もには計十九名が二つのグループに分かれて書かれていた。
一同ジッと名簿に見入る。
『 陸相官邸表門通過を許すべき者の人名表 』 ・・北博昭 『 二・二六事件全検証 』
・七時まで
陸軍次官・古荘幹郎中将、斎藤瀏予備役少将、東京警備司令官・香椎浩平中将、
憲兵司令部総務部長・矢野機少将、近衛師団長・橋本虎之助中将、第一師団長・堀丈夫中将、
歩一連隊長・小藤惠大佐、歩一第七中隊長・山口一太郎大尉、陸軍省軍事調査部長・山下奉文少将
・七時後
侍従武官長・本庄繁大将、軍事参議官・荒木貞夫大将、同・真崎甚三郎大将、陸軍省軍務局長・今井清中将、
陸大校長・小畑敏四郎少将、参謀本部第二部長・岡村寧次少将、軍務局軍事課長・村上啓作大佐、
軍務局兵務課長・西村琢磨大佐、内閣調査局調査官・鈴木貞一大佐、陸大教官・満井佐吉中佐
「 上奏隊が陸相官邸を七時に出発すると想定して、この上奏隊に参加する将官の候補が第一グループだ。
第二グループは上奏隊には参加しないが我々のシンパになりそうな連中だ 」
従来この「 人名表 」 に書かれた 七時 の意味は、全く注目されていない。
これは実は上奏隊が陸相官邸を出発する予定時刻から来るものだった。
第一グループは天皇に帷幄上奏する際、人質に取って役立ちそうな人材、
荒木や真崎、本庄が第二グループなのは、天皇への信頼度が低いため。
斉藤予備役少将が第一グループに入っているのは、栗原の強い推挙からだった。
矢野は痛風と糖尿病で療養中の岩佐司令官の代理役。
侍従武官を経験したことがあり、宮中に明るいひとが買われる。
田中中尉が確認を求める。
「 上奏隊に加わるお偉方は乗用車で運ぶんだね 」
野中が躊躇しながら質問する。
「 で、宮城で上奏したあとはどうなるんだ 」
「 そんなこと 出たとこ勝負ですよ 」
「 心配しても詮無い、うまくいかなけりゃ腹を切るまでのことです 」
野中は何か云いたそうな顔つきだったが沈黙する。
実は磯部は肝心な情報を伏せていた。
さきほど西田が営門を通り、栗原の将校室に短時間やって来たのだ。
席ね衛兵司令によれば、歩一の営門で敬礼しなかったことから誰何され、
名刺を差し出す羽目になり、痕跡が残ったのだ。
「 伏見宮と加藤海軍大将が参内するのは五時過ぎ、蹶起直後で決定した 」
加藤大将が時刻を決めて小笠原中将に伝え、それが西田に入る。
磯部のスレジュールは、その大前提で組まれていた。
だが皇族が絡むこと故、同志の前でも伏せられたのだった。
歩三での最終謀議は終る。
日付は代わって二十六日に入っていた。蹶起迄四時間を切る。
・
三時頃、中橋は中島莞爾少尉 ( 23 ) と共に今泉義道少尉 ( 21 ) の個室を訪ねる。
鎌倉の実家から通う今泉は、雪で帰りそびれて将校室でなにも知らず眠っていた。
「 おい今泉、起きるんだ。今泉少尉起きろ 」
今泉と中島は佐賀出身で同郷だった。
「 今泉、いよいよやるぞ、昭和維新の断行だ、午前四時半になったら中隊に非常呼集をかける。
俺達二人は高橋是清蔵相を襲撃、襲撃隊は中島が引率して首相官邸に向う。
俺は中隊の半分を率いて宮城に入る。
恰度今日はこの中隊が赴援隊控中隊に当っている。
そこで貴公だが、俺達が襲撃している間、控中隊を引率し待機していてもらいたい。
実は貴公は中島を知っているそうだな、
中島の奴、貴公に内緒で中隊全部を連れ出したら面目を失うだろう。
知らせてやるのが武士の情というものだ、と ぬかすからな。
まあ それはそれとして、出発迄に未だ二時間ばかり間がある。
俺は貴公に無理に行けとはいわん。行く、行かぬは貴公の判断に委す。
行く以上は貴公に赴援中隊の副指令として参加してもらう 」
こう云い渡すと中橋は部屋を出た。
「 もし今泉が断れば、第二小隊は下士官の斉藤特務曹長に頼むしかない。
斉藤とは昭和八年の救国埼玉挺身隊事件以来、維新を語り合った仲だ。
だがそのとき今泉をどうするか、放っておけば蹶起はおろか 「 S作戦 」 の機密までが露呈する危険性がある。
かと云って今泉を殺すとなると覚悟が・・・・。
「 中尉殿、両親に遺書を書きました。お供させていただきます 」・・今泉少尉 (1) 「 よし決心だ! 余は行動を倶にせんとす 」
宮城の暗闇で非常ベルが鳴り続けた。
午前四時四十分、蹶起の最初の兆候が、こともあろうに宮城でキャッチされる。
近衛師団宮城守衛隊司令部では仮眠中の当番将校以下全員が飛び起きた。
常夜灯が申し訳程度に照らし出す暗がりでは、ベルはまるで暁の静寂を切り裂く悲鳴音のように聞こえたことだろう。
近歩三の二箇中隊二百四十名が騒然となった。控兵に上番していた中橋と同じ聯隊だ。
現場は二十メートルおきに外灯が並ぶ宮城前広場。
その玉砂利が敷かれた車輌進入禁止区域に軍用車輌五台がいきなり侵入したのだった。
乗用車一台、トラック三台、サイドカーが一台。
馬場先門から直進した車列は、二重橋 ( 正面鉄橋 ) に到る手前の正門石橋直下で停止した。
これを目撃した正門警備にあたる守衛隊歩哨が直ちに非常ボタンを押す。
平時では宮城の警備は宮内省警察部が主体だが、ボタンを押したのは近衛兵だった。
従って近衛師団の警備網に異常が伝達される。
不法侵入した車輌部隊の指揮官は野重第七第四中隊、田中勝中尉 ( 25 )。
十三名の下士官兵を乗せた計五台は、夜間自動車行軍をかねて靖国神社に参拝 と称して、
市川の駐屯地を三時十五分に出る。
車列は途中、小岩にある田中宅に立寄った。
拳銃と軍刀、そしてキャラメル多数を夫人から受取る。夫人は身重だった。惜別の意味があったろう。
その遅れを意識して猛スピードで都心に向かったのだが、逆に早く着きすぎてしまう。
陸相官邸五時の待合せまで時間をつぶすため、まず靖国神社に詣で、
次に宮城前広場に参拝しようとして 立入禁止区域に乗り入れたのだった。
之には当然、S作戦 の下検分の意味もある。
非常ベルに驚いた仮眠中の近衛師団将校や皇宮警察警手が正門守衛所にあたふたと駆けつけた。
総勢十二名にも上ったと 『 皇宮警察史 』 は記す。
「 衛兵所まで同行願おうか・・・・」
近衛の守衛隊当直だった小坂少尉が、田中中尉の星が二つの階級章にチラリと目を遣りながら丁重に誘う。
行先は上道灌濠に近い正門儀仗衛兵所だった。
守衛隊司令部と同じ建物の一階に入っている。
「 いや 単に訓練中の宮城参拝です。地理に不案内でご迷惑をおかけしました 」
田中は所属を名乗った上で素直に詫びを入れて一件落着だった。
この時刻 まだ宮城では雪が降りだしてはいない。
麻布の歩三、歩一では未明から粉雪が舞っていた。首相官邸でも同様だ。
田中は一段と高い土手堤に建てられた衛兵所にいた。
目の前に伏見櫓の白壁が黒々とシルエットで聳え、その向こうに御常御殿が見えた。
すでに蹶起部隊は非常呼集を終え、歩三、歩一、近歩三の各営門を出ていた。
「 ようし 三宅坂だ、いよいよ五時の蹶起だ、陸相官邸に行くぞ 」
・
赤坂区赤坂表町は瀟洒しょうさいな屋敷町だ。
午前四時四十五分。
近衛歩兵第三聯隊第七中隊、中橋中尉は
百二十三名を率いて表町三丁目の高橋蔵相私邸附近に到着する。
静かに粉雪が舞っていた。
渋谷から青山、赤坂見附を経て築地に到る市電通りの 「 赤坂表町 」電停の南側に、
この高い黒塀で囲まれた広大な敷地の邸宅があった。
北側には貞明皇太后が居住する大宮御所がある。
一ツ木町の近歩三の営門から歩いて五分とかからない。
憲兵隊訊問調書と判決文では営門を出た時期が五分違うが誤差の範囲内であろう。
中橋中隊の行動は敏速だった。
軽機関銃を警戒のため市電通りに配置したあと、
五時十分、第一小隊、砲工学校の中島莞爾少尉が容易した縄梯子で高橋邸の高い塀を乗り越える。
表門と東の塀の二ヶ所から突入隊が敷地になだれ込む。
服装は行動しやすい演習服。
まず内玄関を破壊し、直ちに室内に二十名の兵が乱入。
ところが広い屋敷内で勝手が判らず、二階に上る階段がどこをどう探しても見つからない。
各所で兵と家人が衝突し、右往左往混乱の極みを迎えてしまう。
中橋が 恐怖の念を起さしめ手出しをせざる如く するため、拳銃で三発 廊下に向けて威嚇発射し、ようやく収まるのだった。
同時に二階への階段も見つかり駆け上がる。二階奥の寝室までまっしぐら。
高橋蔵相は寝ていたと謂う説と 起きていたと謂う説がある。
判決文は前者、松本清張 『 昭和史発掘 』 での家人の証言は後者である。
庶民にもダルマの愛称で親しまれた高橋是清蔵相 ( 81 ) は蒲団の上に座り大きな目を向く。
「 無礼者、なにしにきたか 」
「 天誅 」
と 唯一言 叫んだ中橋が拳銃を即座に四発発射する。
同時に中島が軍刀で右肩に切り込み、返す刀で胸を突き刺す。
蔵相は何か唸ったように中島には聞こえたが静かに倒れた。
アッという間の出来事だった。
蔵相の次女、真喜子 ( 26 ) が階下にいた。
二階からドヤドヤと軍人が降りて来る。
指揮官の中橋は真喜子を肉親と認めると、立ち止まり無言で最敬礼する。
と 見るや 赤マントを翻し風の如く去って行った。
突入から引揚げ迄襲撃は十五分足らずで終わる。
中橋は撤退の際、門前に催涙弾を投げ捨てて行く。
煙と叫び声が交錯するなかを、口と鼻をハンカチで押さえた警官の手で非常線が張られた。
中橋は呼子笛を鳴らし、第一小隊六十名の蔵相襲撃隊を門前に集結させると、
中島少尉に小隊を率いて首相官邸の栗原隊に一旦合流するよう命じる。
肩で息をしていた中橋は上着のボタンを外す。
一息つくと暗闇のなか少し離れたシャム公使館脇へと急ぐ。
そこには第二小隊長、今泉義道少尉以下の六十二名が待機中だ。蔵相を襲撃する間、小休止を命じてある。
その際、空包しか渡さず、目的は明治神宮への参拝だと称した。服装は第二軍装。
この場所では蔵相邸内からの射撃音は聞こえないはずだった。
つまり第二小隊の兵士たちには襲撃蹶起は伏せられる。
中橋は第二小隊にこう云い渡すのだった。
「 非常事件が起きたから参拝は取止め、宮城へ控兵として行く 」
さあ、次は半蔵門だ。
次頁 中橋中尉 『 帷幄上奏隊 』 4 に 続く